一句の働きとは
句郎 越人(えつじん)の句「月雪や鉢たゝき名は甚之亟(じんのじょう)」を芭蕉は「月雪といへるあたり一句働見へて、しかも風姿有」と述べたと『去来抄』にあるんだ。
華女 「月雪や」とは、「月」と「雪」と言う意味なのかしら。
句郎 「月光の下の雪」という意味なのではないかと復本一郎氏は『芭蕉の言葉』という著書の中で述べているんだけどね。
華女 なるほどね。そういう意味なのね。分かったわ。「鉢たゝき」とは何なの。
侘助 次世代を背負う若者に役職や地位を受け継ぐ。
句郎 冬の季語になっているんだ。京都では十一月十三日の空也忌から大晦日までの四十八日間、空也堂の僧が洛中洛外を鉢や瓢箪を叩き巡り歩いた空也念仏、踊念仏のことを言うようなんだ。
華女 京都に住む人でなければ知らないわね。
句郎 そうだよね。
華女 都の風俗を詠む句は都、京都の句、一地方の句の域をでないと思うわ。現在でもこのようなことが京都では行われているのかしらね。
句郎 今は、そういう問題を考えるのではなく、越人の句を芭蕉がどう批評したかということを考えたいんだ。
華女 いいわよ。
句郎 上五に「月雪や」と置いたことによって「働きが見える」と芭蕉は言っている。この「働き」ということを華女さんはどのように理解するかと思ってね。
華女 「甚之亟(じんのじょう)」とは、人の名前よね。雪の月夜に鉢たたきして回っている僧侶だと理解していいのかしら。
句郎 降り積もった雪道を月光が照らしている。その道を鉢たたきの若い僧が行く。その僧侶の名前は街の人々に知られている甚之亟だと。
華女 「月雪や」という上五が「甚之亟」という念仏を唱えながら鉢たたきして廻る僧を魅力ある男にしているような気がするわ。
句郎 芭蕉が言う「「月雪といへるあたり一句働見へて」とは、そういうことなのかな。
華女 京の月光に照らされた雪道というイメージが若い僧侶を思い浮かびあがせているのじゃないかと思うわ。
句郎 それが「風姿あり」ということなのかもしれないなぁー。
華女 そう、イメージよ。想像の世界よ。
句郎 そう。現実じゃないよね。
華女 僧侶の姿を風景として見た世界よ。
句郎 そうだよね。実際の僧侶の立場立って考えるとそんなもんじゃないよね。裸足に草鞋履きで雪道を行くわけだから、冷たい水が足を冷やし、しびれていくような感覚の中で京の町を廻り歩いて行くわけだものね。
華女 そうよね。京の冬の街景色として温かい部屋から眺めている方はいいけれども、僧侶の方は厳しい寒さと戦いながら、声を張り上げ、鉢を叩き、速足で雪道を行くわけだでしょ。
句郎 確かにそうだよね。でも、「甚之亟」の表情は晴れやかなのかもしれないな。そんな気がするんだ。越人の句から読み取れる世界は。
華女 だから芭蕉は越人の句を批評し、褒めているんじゃないのかしらね。
句郎 芭蕉は師匠として弟子を上手に認める方法を極めているのかもね。