醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  508号  白井一道

2017-09-07 13:23:35 | 日記

「花にうき世我が酒白く飯黒し」。天和二年、芭蕉39歳


侘輔 「花にうき世我が酒白く飯黒し」。天和二年、芭蕉39歳。この句には前詞がある。「憂ヒテハ方知リ二酒ノ聖ヲ一、貧シテハ始メテ覚ル二錢ノ神ヲ一」。憂いてはまさに酒の聖を知り、貧しては、はじめて銭の神を覚る。このような意味のようだ。
呑助 生きることに憂いている時に飲んだ酒が美味しく、生活が苦しくなって初めてお金の有難さが分かると、言う事ですか。
侘助 浮世は花に彩られているが私の飲む酒は濁り酒で白い。食べるご飯は玄米だ。しかし私は花に彩られたこの世に生きていることが嬉しくて、嬉しくてしかたがない。このように私はこの句を読んでいるんだけどね。
呑助 上水道の維持管理の仕事を請け負い、俳諧宗匠として豊かな生活をしていた時にはお金の有難さが分からなかった。お酒の美味しさも分からなかった。がしかし、深川に隠棲し、これといった収入源がなくなって初めて酒の旨さと飯の美味しさが分かったということなんですかね。
侘助 そうなんじゃないのかな。芭蕉の偉さは貧しさを嘆くのではなく、肯定的に受け入れていると言うなんじゃないのかな。
呑助 自分の身の回りの世話をしてくれていた妾の寿貞が甥の桃印と逃げ出しても、寿貞や桃印を恨んだり、憎んだりすることなく、人目につかないよう、隠棲するということなんですね。
侘助 芭蕉はこの世もこの世の人も受け入れている。否定的に受け入れるのではなく、肯定的に受け入れている。ここに芭蕉の人生観があるように思っているんだ。
呑助 誰だって、この世を受け入れることなく生きていくことはできないし、自分の回りにいる人を受け入れることなく生きることはできないですからね。それだったらニコニコしながら一緒に生きていきましようということですね。
侘助 うん。そういう事かな。誰でも自分一人の力でこの世を変えることはできないし、自分の身の回りにいる人々を自分の気に入ったように変えることはできないからね。
呑助 でも芭蕉は結婚をしなかったんですよね。
侘助 芭蕉は妾を持つことはできたが、結婚することはできなかった。家を持つことができなかった。
呑助 家族を持つことができなかったんですね。
侘助 深川に隠棲してからは、自分一人が生きることで精いっぱいの生活になったからじゃないかと考えているんだ。
呑助 そんなささやかな生活の中で感じたことを詠んだ句が「花にうき世我が酒白く飯黒し」だということですか。
侘助 「うき世」に花ではなく、「花」に浮世と詠んだところに芭蕉の手柄があるように思うんだ。
呑助 「花に浮世」と「うき世に花」ではどのような違いがありますか。
侘助 「うき世」と芭蕉は詠んでいる。うき世は「浮世」でもあるし、「憂世」でもあるでしよう。嫌なうき世にも花があると、いうことが「うき世に花」ということだと思う。それが「花にうき世」ということになると花の中にうき世はあるということになるじゃない。飲む酒は濁り酒であっても、食べるご飯は玄米飯で黒くてもこのよき世は花のような世界だということ。