醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  515号  白井一道

2017-09-14 13:27:55 | 日記

 「世にふるも更に宋祇のやどりかな」


侘輔 「世にふるも更に宋祇のやどりかな」。岩波文庫『芭蕉俳句集』には天和二年、芭蕉39歳の時の句として載せてある。
呑助 この句には季語が入っていないですね。
侘助 将棋の格言に「名人に定跡なし」という言葉があるからね。俳句の名人には俳句の定跡は必要ないのかもしれない。
呑助 季語なしでも俳句になるということがあるんですか。
侘助 尾崎放哉の「せきをしてもひとり」。自由律俳句があるから、季語や切れ、五七五から開放された俳句もあるんだ。
呑助 「せきをしてもひとり」。わかりますね。こういうのが俳句なんですか。
侘助 「世にふるも更に宋祇のやどりかな」。分かりますか。
呑助 宋祇の心の世界に私は生きていると、いうことですか。
侘助 宋祇の句に「世にふるも更に時雨のやどりかな」がある。この句の「時雨」を「宋祇」と置き換えただけの句が芭蕉の「世にふるも更に宋祇のやどりかな」なんだ。だから芭蕉の句には「時雨」の面影があるから冬の句だと主張する人がいる。
呑助 へぇー、宋祇の句を知らない人は芭蕉の句を味わうことはできないんですか。
侘助 一定の教養がなければ、鑑賞ができないと言う句は、自立した文学とは言えないように思うね。
呑助 分かります。そういう点からいうとこの「世にふるも更に宋祇のやどりかな」という句は自立文学作品とは言えないような句なのかもしれないですね。
侘助 ノミちゃんは宋祇の句を知らなくとも芭蕉の句が表現したことを理解してたよね。だからやはり、この句は文学作品になっているともいえるのではないかと思う。
呑助 たった一つ名詞を入れ替えただけで芭蕉は立派な句を詠んだということですか。
侘助 この句には、『笠はり』という前詞がある。それは次のようものだ。「草の扉に待ちわびて、秋風のさびしき折々、妙観が刀を借り、竹取の巧みを得て、竹をさき、竹をまげて、みづから笠作りの翁と名乗る。巧み拙ければ、日を尽して成らず、こころ安からざれば、日をふるにものうし。朝に紙をもて張り、夕べにほしてまた張る。渋といふ物にて色を染め、いささか漆をほどこして堅からん事を要す。二十日過ぐるほどにこそ、ややいできにけり。笠の端の斜めに裏に巻き入り、外に吹き返して、ひとへに荷葉の半ば開くるに似たり。規矩の正しきより、なかなかをかしき姿なり。かの西行の侘笠か、坡翁雪天の笠か。いでや宮城野の露見にゆかん、呉天の雪に杖を曳かん。霰に急ぎ時雨を待ちて、そぞろにめでて、殊に興ず。興中にはかに感ずることあり。ふたたび宋祇の時雨にぬれて、みずから筆を取りて、笠のうちに書き付けはべりけらし」。この前詞を読むと芭蕉は竹を割き、竹を熾った炭で曲げ、漆を塗り、笠を作った。霰に急ぎ時雨を待ちて自分で作成した笠を用いて出歩いたことがこの句を詠むきっかけになったのかもしれないな。
呑助 自分用の笠を自分で作るとは、実に器用な人だったんですね。
侘助 芭蕉は生活力旺盛な人だっただろうね。