醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  518号  白井一道

2017-09-17 16:48:15 | 日記

 青ざしや草餅の穂に出でつらん  芭蕉

侘輔 「青ざしや草餅の穂に出でつらん」。この句は天和3年出された其角撰のアンソロジー『虚栗』に載っている句のようだ。天和3年、芭蕉40歳の時の句だ。
呑助 「青ざし」とは、なんですか。
侘助 日本最古の和菓子、『枕草子』に清少納言も書いているお菓子のようだよ。
呑助 原料は何ですか。
侘助 青い麦の穂をホーロクで煎り、石臼で引き作った糸状の菓子らしい。
呑助 清少納言はどんなことを書いているんですか。
侘助 皇子の五月五日の節句の日に清少納言は皇后に「青ざし」を艶やかな硯の蓋の上に薄い紙を敷き、その上に菓子「青ざし」をのせ籬(まがき)越しに差し出すと皇后定子は菓子がのせてある紙を引きちぎり「皆(みな)人の花や蝶やといそぐ日もわが心をば君ぞ知りける」と感謝してくれたというようなことを書いている。
呑助 平安時代から食べられていたお菓子なんですか。和菓子の原点にあるようなお菓子なんですか。
侘助 「青ざし」というお菓子は貴族や武士が食べていたお菓子なのかもしれない。江戸時代になって裕福な農民や町人も食べられるようになったお菓子なのかもしれないな。
呑助 芭蕉の生きていた時代の庶民が食べていたお菓子というとどんなものがあったんですか。
侘助 そりゃ、春になると道野辺に咲く、御形(ごぎょう)別名母子草で作った草餅だったんじゃないかなと考えているんだ。
呑助 草餅といったら、普通蓬(よもぎ)で作るんじゃないんですか。
侘助 そうだよね。でも芭蕉が生きていた時代の草餅は蓬ではなく、御形を用いて作っていたようなんだ。
呑助 へぇー、そうなんですか。今じゃろも草餅の中には餡が入っていますが当時はどうだったんですかね。
侘助 砂糖は当時、大変な高級品だったからね。アンコは入っていなかったんじゃないのかな。
呑助 「青ざし」は甘かったんですかね。
侘助 草餅は江戸時代になっても甘くなかったが、「青ざし」は甘いお菓子だったのかもしれないな。
呑助 どうしてそんなことが分かるんですか。
侘助 麦にはでんぷんが含まれているからね。そのでんぷんが麦芽で糖分に変えられているのかもしれないからね。飴は麦のでんぷんが糖分に変えられたものの事だから。
呑助 そうなんですか。
侘助 芭蕉は菓子屋の店先で「青ざし」を見た。貧しい芭蕉は高価な「青ざし」を買うことができなかった。草餅なら買える。この草餅に穂が出て、「青ざし」にならないかなぁーと叶わぬ夢を見た。
呑助 とんだ想像力の読みですね。
侘助 貴族や武士の文芸であった和歌は草餅など庶民の菓子を歌に詠むことはなかった。芭蕉は庶民の菓子を句に詠んだ。ここに芭蕉の句の新しさがあるんじゃないかとおもっているんだけど。
呑助 江戸庶民の願いのようなものを芭蕉は詠んだということですか。
侘助 そうなんじゃないかと私は理解しているんだけどね。当時の庶民にとって甘い菓子というものは手の届かない美味しい美味しい贅沢品だったんだろうと思っているんだ。