醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  509号  白井一道

2017-09-08 13:03:24 | 日記

「笑ふべし泣くべしわが朝顔の凋む時」。天和二年、芭蕉39歳


侘輔 「笑ふべし泣くべしわが朝顔の凋む時」。天和二年、芭蕉39歳。この句を読んだとき、あぁー、いいなぁーと思ったんだけど。
呑助 どこがいいんですか。
侘助 人間の一生が表現されているように感じたんだ。そうでしょ。人間が生まれてきたときの笑顔は神のような輝きがあるでしょ。年老い、顔には深い皺が刻みこまれて亡くなっていく。まさに「笑ふべし泣くべしわが朝顔の凋む時」じゃないかと感じたんだ。
呑助 なるほど。そんな鑑賞の仕方があるんですね。
侘助 芭蕉は道のべに朝顔を栽培している農家の前に佇み、朝顔をじっと見ている。人間は老いていくに従って泣くことがある。その度に皺が刻み込まれていく。朝顔の短い一生も人間の一生と同じような過程を経て萎んでいくのだなぁーという認識を獲得したんじゃないか思う。
呑助 芭蕉は朝顔を見て人間の一生のようなものを認識したんですか。
侘助 そうなんじゃないのかな。人間を知る。これこそが文学だと思う。人間に対する理解が深まらないような句は文学にはならないんじゃないのかな。
呑助 文学とは人間についての認識を深めていくものなんですか。
侘助 そう。人間を知るということが自分の隣にいる人を知るきっかけになっていくんじゃないのかな。
呑助 確かに、句や歌、小説を読むことによって他人のことを理解する能力を得ることができるような気がしますね。
侘助 「笑うべし泣くべし」。これは市中に生きる町人や農村に生きる農民の日々の暮らしそのものじゃないかな。
呑助 確かに武士や貴族は大きな口を開けて笑うことはしないような気がしますね。はしたない。人前で涙など見せるものではない。そんなことを武士や貴族はしないような気がしますね。
侘助 そうでしょ。「笑うべし泣くべし」。ここには農民や町人の生活が表現されているように思う。
呑助 笑ったり、泣いたりすることに抵抗感が農民や町人にはないように感じますね。
侘助 そうなんだ。そこに人間の真実があるのではないかと芭蕉は感じたんじゃないかと思っているんだ。
呑助 泣いたり笑ったりすることを慎む武士や貴族の在り方はあまり人間的ではないということになりますか。
侘助 そうだよ。名誉を重んじ、泣いたり笑ったりすることをはしたいとする文化は人間を人間足らしめない。そんな気持ちを芭蕉は持っていた。だから率直に「笑うべし泣くべし」と詠むことができた。ここには新しい農民や町人の道徳文化が生まれつつあったことがこの句に反映しているのではないかと考えているんだ。
呑助 芭蕉は江戸に生きた町人の文化を表現した文学者だったということですか。
侘助 「わが朝顔の凋む時」と、詠んでいる。「朝顔」自体が江戸庶民が愛した花だったようだからね。朝顔の花が綺麗だなと感じること事態が新しい時代を表現しているといえるのかもしれないよ。朝顔は庶民の花だから。