世に盛る花にも念仏申しけり 芭蕉
侘輔 「世に盛る花にも念仏申しけり」。この句は貞享元年、芭蕉41歳の時の句のようだ。
呑助 17世紀の後半になると江戸庶民の間に花見という行事が一般化していたんですかね。
侘助 貞享の時代になるとすでに花見に代表される江戸庶民の元禄文化はもう始まっていたのかもしれないな。
呑助 貞享の次の時代が元禄時代ですか。貞享時代は何年続いたんですか。
侘助 たったの四年間だった。この四年間の間に芭蕉は「蕉風」という新しい俳諧を創造していったようだ。
呑助 「世に盛る花にも念仏申しけり」。この句はまだ蕉風の成立前の句なんですかね。
侘助 そうなんじゃないかと考えているんだけどね。
呑助 芭蕉は花見の宴をしている際に満開の桜に念仏を唱えている老人を見かけたんでしょうね。
侘助 この句は嘱目吟だな。
呑助 桜の花に念仏をする人を見て芭蕉は奇特な人もいるなぁーと、面白がったんでしようね。
侘助 私はそうじゃないと考えているんだけどね。
呑助 じゃー、桜の花に念仏を唱える何か、特別な意味でもあるんですか。
侘助 満開の桜の花の下には美少女の死体が。満開の桜の花に美少女の死を幻想した詩人がいたでしょ。「汚れっちまった哀しみ」なんて詠った詩人がいたでしょ。
呑助 中原中也ですか。
侘助 散る桜に美を西行は発見しているでしょ。桜の花は死を美化する働きがあるように思うんだ。
呑助 靖国神社は桜の花に囲まれていますね。
侘助 そうでしょ。だから芭蕉は桜の花に念仏を唱えている人を見て、あぅー、あの人の大事な人が身罷っているんだなと想像したんじゃないのかな。
呑助 なるほど、それで桜の花に囲まれた極楽に往生してほしいと念仏をあげているんだなと芭蕉は想像したということですか。
侘助 そんな風にも解釈できるかもしれないなと思ってね。単に桜に念仏唱える人を笑ったんじゃないと思ったということなんだけど。
呑助 酒を飲み、歌を歌って楽しむ花見が湿っぽくなってしまうような句になりますね。
侘助 花見という行事はそもそも湿っぽいものなんじゃないかと思っているんだ。この湿っぽさを払いのけるのが花見なんだと思う。だから土台には湿っぽさがあるんだ。
呑助 そうですよね。
侘助 「死支度(しにじたく)致せ致せと桜哉」と一茶も詠んでいるからね。陽気な花見の席で笑い転げていても心の中ではそろそ死支度する年になってきたなと感じたりすることがあったんじゃないのかな。満開の桜に念仏唱える老人を見て、どうか、桜の花に囲まれた極楽に応じようさせて下さいと願っているのかもしれないなあーと、芭蕉は感じたのかもしれないよ。
呑助 上島鬼貫という俳人は芭蕉とほぼ同世代じゃないですか。鬼貫の句に「骸骨の上を粧うて花見かな」という句があるそうですよ。やせ衰えた鬼貫はどうか今日の桜のような花に囲まれた極楽に往生したいものだと詠んでいるんですね。
侘助 鬼貫は芭蕉より十数歳年下かな。でも確かに同じ時代を生きていた。