醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  520号  白井一道

2017-09-19 14:46:42 | 日記

 海苔汁の手ぎわ見せけり浅黄椀(あさぎわん)

侘輔 「海苔汁の手ぎわ見せけり浅黄椀(あさぎわん)」。この句の前書きに「あさくさ千里がもとにて」とある。天和4年、芭蕉41歳の時の句として岩波文庫『芭蕉俳句集』に載っている。
呑助 芭蕉門人の千里(ちり)というと『のざらし紀行』の旅の供をした俳人でしたね。
侘助 そう、その『のざらし紀行』の中で芭蕉は「何某(なにがし)千里(ちり)といひけるは、此たび路のたすけとなりて、万(よろず)いたはり心を尽し侍る。常に莫逆(ばくげき)の交(まじわり)ふかく、朋友に信あるかな此の人」。
「深川や芭蕉を富士に預け行く」と千里は詠んでいる。
呑助 「莫逆(ばくげき)の交(まじわり)」とは、どんな交わりだったんですか。
侘助 きわめて親密な交友関係だったということだと思う。「朋友に信ある」と書いているから信頼できる友人だと芭蕉は思っていた。
呑助 「深川や芭蕉を富士に預け行く」とは、何を詠んでいるんですかね。
侘助 芭蕉庵をしばらく留守にしますがよろしくお願いしますよと、富士山に挨拶した句なのかな。
呑助 当時、深川から富士山を眺めることができたんですか。
侘助 今だって、甲州街道の中野坂上から冬の日には富士山を眺めることができるからね。
呑助 そう言えば、いつだったか、東京の「富士見町」と名の付く町では富士山が眺められると放送していたのを覚えていますよ。
侘助 千里は大和當麻村竹内の俳人は江戸に出て、浅草に住んでいた。芭蕉は浅草の千里を訪ね、「海苔汁の手ぎわ見せけり浅黄椀(あさぎわん)」と千里に挨拶した。
呑助 その時、実際に千里は「海苔汁」を作って芭蕉にご馳走したんでしょうかね。
侘助 芭蕉は伊賀上野藤堂藩の勝手方に奉公していたようだから、調理を心得ていたと思うんだ。だから千里が海苔汁を作る手際の良さに驚いたんじゃないのかな。
呑助 千里のつくった「海苔汁」とは、どんなものだったんですかね。
侘助 大根や里芋を入れた味噌汁にたっぷりと生海苔を入れた味噌汁じゃなかったのかな。当時の浅草では、海苔がとれたので今でも「浅草海苔」というブランド名が残っているからね。
呑助 生海苔の味噌汁ですか。
侘助 冬の日の具だくさんの味噌汁は体も心も温まるものだったのだろう。
呑助 特に生海苔に芭蕉は舌鼓をうったと言うことですか。
侘助 生海苔は産地でないと食べられないものだったんだろうから。浅草の千里の家を訪ね、そこで浅草の生海苔の入った味噌汁を馳走になった挨拶の句が「海苔汁の手ぎわ見せけり浅黄椀(あさぎわん)」だったのではと思っているんだ。
呑助 当時、庶民が食べられた海苔は生海苔だったんですかね。
侘助 そうなんだろうと思う。芭蕉には海苔を詠んだ「衰ひや歯に喰ひあてし海苔の砂」という句があるんだ。老いてくると分かるでしょ。この句が詠んでいる海苔は間違いなく生海苔だと思うよ。今、海苔を食べて歯に食い当てることなんてない。