醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  513号  白井一道

2017-09-12 13:14:26 | 日記

 「貧山の釜霜に鳴(なる)声寒し」。天和二年、芭蕉39歳

侘輔 「貧山の釜霜に鳴(なる)声寒し」。天和二年、芭蕉39歳。侘びしく寒い芭蕉庵の冬を表現した句のようだ。
呑助 この句には季語が二つ入っていますね。
侘助 「霜」と「寒し」かな。芭蕉は寒さを詠みたかったんだよ。
呑助 「貧山」とは、何ですか。
侘助 寺のことを山という場合があるから、貧しい寺ということになるが、この句の場合は芭蕉庵ということなんじゃないか。
呑助 芭蕉は自分の住いを寺だと自覚していたんですか。
侘助 清貧な生活を自ら選んだことを出家と自覚したのかもしれない。
呑助 冬、釜に霜が降りるんですか。
侘助 釜に食べ残した黒い玄米飯があるとそこに霜が降りることがあったのかもしれない。
呑助 そんなことって本当にあるんですか。
侘助 いや、知らないよ。経験したことはないけどね。中国の地理書『山海経』に「豊山之鐘は霜降りて鳴る」と言われているが深川芭蕉庵では鐘ならぬ釜が寒さに耐えきれずに音をたてている。
呑助 「声寒し」の声とは、誰の声でしよう。
侘助 釜が鳴る音を声と表現したんでしよう。
呑助 釜を擬人化したということですか。
侘助 これはきっと芭蕉自身の声だったんじゃないのかな。これといった暖房設備のない冬の夜、釜を開けて茶碗に盛りつけようとしたとき、半ば凍り付いた玄米飯に杓文字(しゅもじ)を差し込むと霜を押しつぶしたような音がした。この時、芭蕉は釜が鳴いていると感じた。芭蕉自身が寒さに泣いていたから釜の中で鳴る飯粒の音に共鳴したんだと思う。
呑助 それはワビちゃんの想像だね。
侘助 勿論、想像だよ。句は勝手に読者が想像していいもんだろうと思っている。
呑助 釜の中に霜が降りて来るような寒い夜だったんでしようね。
侘助 冬の夜の微かな音に寒さを感じたんだと思う。
呑助 この句には、冬の闇夜の深さのようなものがありますね。
侘助 天和元年に詠んだ「艪の声波を打って腸凍る夜や涙」や「芭蕉野分盥に雨を聞く夜かな」と同じような句だよね。
呑助 そうですね。一種の境涯俳句のようなものですか。
侘助 うーん、言われてみると確かにそんな感じがしないでもないよね。境涯俳句と言われている句の中で有名な句というと何があるかな。
呑助 私か好きな句で言うと「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」でしようか。
侘助 久保田万太郎の句だね。こういう句も境涯俳句なんだ。
呑助 そうなんじゃないですか。老いの境涯が詠まれていますからね。
侘助 万太郎の弟子の真砂女の句「今生のいまが倖せ衣被」もやはり境涯俳句かもしれない。
呑助 「羅(うすもの)や人悲します恋をして」。恋に生きた女の境涯を詠んだ句なんだろうと思います。
侘助 そうなんだろうね。「戒名は真砂女でよろし紫木蓮」。こうした老いや恋の境涯を詠んだ句には芭蕉の影響があるのかもしれないな。きっと芭蕉の精神は生きている。