身延山にある「御命講や油のような酒五升」の石碑
御命講(おめいこう)や油のような酒五升 芭蕉
句郎 岩波文庫『芭蕉俳句集』から「御命講(おめいこう)や油のような酒五升」。『芭蕉庵小文庫』芭蕉45歳の時の句。
華女 「御命講」とは、何なのかしら。
句郎 日蓮の忌日(十月十三日)に営まれる,宗祖報恩のための法会をいう。
華女 私、池上本門寺の万灯練行列を見たことがあるわ。
句郎 今でも凄い人出のようだね。
華女 元禄時代から万灯練行列はおこなわれていたのかしらね。
句郎 芭蕉も池上本門寺の御命講を見たことがあるんじゃないのかな。日蓮聖人が亡くなられた時、庭先の桜が時ならぬ華を咲かせたという故事から、万灯は紙で作った造花で灯明輝く宝塔を飾って行列を作るようだからね。
華女 「御命講(おめいこう)や油のような酒五升」とは、何を表現しているのかしら。御命講という行事に信者からお酒五升を頂いたということなのかしら。
句郎 そう、ひな壇のような所にお酒五升が飾ってあったのかもしれないな。
華女 日蓮宗はお酒御法度じゃないのね。
句郎 日蓮自身もお酒を嗜んだようだからね。百薬の長としてお酒を飲んだということのようだけど。
華女 「油のような酒」という表現が上手だと思ったわ。薄っぺらなお酒じゃない。しっかり味ののったお酒という感じがするわ。
句郎 この表現は日蓮消息文の中にある、日蓮が信徒からもらった贈り物への礼状に書いた文章、「新麦一斗、筍三本、油のやうな酒五升、南無妙法蓮華経と回向いたし候」から採ったようだ。芭蕉自身のオリジナルではなかったみたい。
華女 芭蕉は、日蓮へ差し出された手紙の一節を読み、上手いなと思い、自分の句の一部にしたということなのね。
句郎 「油のような酒五升」という言葉が御命講という行事を表現していると私は思うな。
華女 日蓮宗が江戸庶民の宗教になっているということね。
句郎 そうだと思う。「おめいこうや」という字余りに芭蕉の思いが籠っていると思う。
華女 「御命講」という行事の本質が「油のような酒五升」という言葉によって表現されているということね。。
句郎 山本健吉がこの句を場使用の名句の一つとして取り上げていることに納得できると思う。だからというわけでもないが、この句の石碑が日本全国に九つもあるそうだ。
1埼玉県深谷市の光厳寺
2千葉県勝浦市の本行寺
3同県・松戸市の本土寺
4静岡県富士市の「かんかん堂」
5長野県富士見町真福寺
6山梨県身延町の久遠寺
7大阪府大阪市の妙法寺
8岡山県井原市の妙典寺
9長崎県平戸市の瑞雲寺
華女 こんなにもたくさん芭蕉のこの句の石碑があるということは、芭蕉のこの句を愛する日蓮宗の信者がたくさんいるということなのよね。
句郎 「葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さず」という仏教の教えを日蓮は乗り越え、仏教を日本の民衆の仏教にしたということなんだろうな。そのような日蓮の仏教の教えの本質を表現している句が芭蕉の「御命講や油のような酒五升」だと思うな。
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