蛤坂(金沢市寺町5-1-40先)
加賀藩前期に妙慶寺坂といったが、享保18年の火災後、蛤が口を開いたようになったのでこの名がついた。標柱より
左;犀星のみちと蛤坂の分かれ道。右;蛤坂標柱、寺町寺院群。谷口吉郎・吉生記念金澤建築館案内表示板
犀川大橋南詰交差点を犀川上流側に左方向に曲がった犀星のみちと呼ばれる緩やかな登り道が蛤坂と呼ばれている。想像力の乏しい私には蛤が口を開いたようにと言われてもいっこうに想像できない。
右に入ってすぐに道は二股に分かれる左は犀川に沿って桜橋南詰へとつながる。右手の方は蛤坂が緩やかに右にカーブし蛤坂交差点にと出る。
坂道上側から見る、左;浄土宗妙慶寺三門、右;三錦楼
道の途中には浄土宗妙慶寺の山門(三門)その手前には格子が連なる三階建ての木造建築物が目に付く。三階建てと記したが地下位階地上三階建てで犀川側からは四階建ての建物だ。
左;三錦楼を登り方向から見る。右;建物の腰下を覆う犬矢来。
この建物、三錦楼は明治28年創業の老舗料亭で明治30年頃建築のこの町家に移り、大正14年から商は2年ごろにかけて増改築を行い現在の姿になったとのこと。(金沢市の文化財三錦楼より)
山錦楼(文化財保護課HP)金沢市指定保存建造物