北陸道の最大の難所 親不知子不知
芭蕉も「奥のほそみち」の旅の道中で越後路から大垣の途中でここを通っている。
“田海川、青海川を渡ると、大岩が重なり合ったところに出るここが駒返しで、その先が子不知、親不知になる.。
断崖絶壁の下の海辺を8キロも行く北陸道最大の難所だが、幸いに波も穏やかで難なく通ることができて市振に到着”とある。
親不知記念広場より撮影;2023.07.08
現在は断崖に波が押し寄せるが、このころはがけ下には砂浜できていたようだ。
歌川広重『六十余州名所図会』より「越後 親しらず」百科事典『ウィキペディア』より
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E4%B8%8D%E7%9F%A5
小林清親『親不知浜』(1897年・明治30年)百科事典『ウィキペディア』よりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%AA%E4%B8%8D%E7%9F%A5
加賀藩の参勤交代でも親不知・子不知を通過している。
あるサイトの記述によると参勤交代が通るときに人足を雇、波を弱めるための人垣を作り通過したとある。
静かな日本海、ひとたび荒れだすといくら砂浜があったといえ、断崖まで波が押し寄せたのだろう。
今回は芭蕉とは逆方向から越後入り、朝日町宮崎から境宮崎線・8号線から市振関所跡を過ぎ親不知へと。
市振関所跡の石碑
市振関所跡説明板
関所 榎(せきしょえのき)糸魚川市指定文化財 推定樹齢250年江戸時代からこの地に植えれれ関所を通る人々を見守ったのでしょう。
関所榎・糸魚川市天然記念物説明板と高田藩・幕府代官管理の市振関所「定」立札
今回は下調べ不足と思い付きで車を走らせたため、親不知コミュニティロード・レンガトンネル等は巡ることができなかった。またの機会に巡ってみる・・・・・。