カメラを片手に

源内忌で

昨日までは黒い雲に覆われていた東の春日奥山、今朝0.6℃まで下がり、7時
過ぎの日の出とともに陽の光が差し込み、寒気が緩み日中は10℃にまで。
                             (11:46)

散歩の途中で出会ったのは、サクラの木、下の固い蕾に毛が絡まっている。
多分ススキの毛、穂の銀色に光る毛は芒(のぎ)と呼ぶ部分で、これが風に
乗ってタネが飛んでいく。


今日は「源内忌
江戸時代中期の多彩な才能を発揮した『平賀源内』の忌日、安永8(1779)年、
享年54歳です。勘違いから大工の棟梁2人を殺傷したため、11月21日に投獄
の後、12月18日に破傷風?により獄死したと(諸説ある)。

蘭学事始にもページを割くほどの「杉田玄白」 が源内の葬儀を執り行い、
その死を悼み後に石碑を建立している。
嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常 」 
訳)ああ変わった人よ、好みも行いも常識を超え、
        死様迄も異常だ畳の上で死んでほしかったと

そのマルチな活躍の場は、本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、
戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家等の及びます。
そのため号なども多く、画号「鳩渓(きゅうけい)」俳号「李山」「紙鳶堂」 
筆名としては戯作者「風来山人」、浄瑠璃作者「福内鬼外」、
事業家として「天竺浪人(てんじく)」、「貧家銭内(ひんかぜにない)」
一世「森羅万象」、「松籟子」、「無根叟」 等

俳句を紹介します。
若かりし讃岐での句
(さえず)や花の余りを只の園』 李山(源内)
庭のツバキに夜明け前から吸密にメジロがやってきているが・・・
用心深く、戸に姿が映るやあっという間に飛び去ります。
      ワビスケ

ワビスケの下には落ちた花と、傷ついた花ビラが目立つようになりました。
一番賑わうのは餌のない1月過ぎから2月までで、メジロとヒヨの場所取りが
始ります。

もう一句は晩年「貧家銭内」と号し、世に受けいれられず、荒んだ生活を
送っていた時の句
功ならず名ばかり遂げて年暮れぬ』  李山

寂しくなりますね。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事