果ての二十日の今朝は4.9℃と冷え込みは少なく、日差しも雲間から十分で、
気温も二桁の11.5℃で、サンルームは暖かく洗濯物もよく乾く。
続く居間も扉を開ければ、暖房なしで午前11時から午後二時までは暖かい。
11時、9.7℃、49%
今日は「石鼎忌」、俳人「原石鼎・せきてい」1951年、65歳の忌日、没後70年
島根県の医師の三男で名は「鼎」。高浜虚子に師事し、豊かな感性と高朗な
調子で独自の句境を開き、色彩感覚に優れ、俳画も能くした。
辞世の句は『松朽ち葉かゝらぬ五百木無かりけり 』 石鼎(1951年)
受験に失敗し、後に京都医専に入学するも2年続きで落第し、1911年から各地
を放浪する。1912年から3年間、奈良・東吉野の山奥で兄を手伝うも孤独な生
活を送ったことから、俳風に影響を与えたようだ。
この三年間の句をあげる
『頂上や殊に野菊の吹かれ居り』 石鼎(1912年)
山本健吉は、大正期の軽やかで自由な表現の先鞭をつけた句と評している。
『淋しさにまた銅鑼うつや鹿火屋守』 石鼎(1914年)
*鹿火屋(かびや)とは、田畑を荒らしに来る鹿や猪を追い払うため、大声や
火を焚いたり板を打ち鳴らしたりした小屋のこと。
東吉野村・萩原にある「鳥見霊畤址(とみのれいじあと)」を訪れた石鼎が霊感に
打たれて詠んだ句とされる。
なお鳥見霊畤とは神武天皇が橿原宮で即位の後、戦勝を神に感謝されて秋津野
の鳥見山中に建てられた祭りの庭のこと。
1921年俳誌『鹿火屋』を創刊・主宰し、誌名をその淋しさを一生忘れまいと
して取られた。
石鼎は「常に心持を出来るだけ低めて、即ち親しみて物を見る」という姿勢を
提唱され、鹿日屋の作句のみならず選句の指標にもなっていると。
『山茶花に日を疑わず歩きけり』 石鼎
写真は小庭のサザンカとツバキの交雑種の「(這)寒椿・カンツバキ」です。
樹高により二つに大別し、ハイカンツバキ(這寒椿)とタチカンツバキ(立寒椿)
10年ほど前まで「山茶花・サザンカ」は擁壁沿いに植えていたのだが・・・
連れ合いが道路下へ落花し、その掃除が長く続き大変と言い出し、
代わりに3月過ぎから咲く小さな椿に植え替わっている。