明け方雨が少し降ったようで8.0℃と暖かな朝、9時過ぎから上空は晴れだせば
一気に空気が乾燥する。居間とサンルームの戸を開けると、暖気が流れ込み、
斜めの日差しも背中に届き、ぽかぽかとして眠気に襲われている。
12時、13.1℃、27%
今日は「シルバーラブの日」で「老いらくの恋」という流行語を生んだある
事件が元となり、「高齢者の愛」を考える日とされている。
*縁遠いことですが・・・
元は75年前、1948(昭和23)年のこの日、68歳の歌人「川田順」が28歳違いの
弟子・大学教授夫人と3年間も恋愛の末、死を覚悟して家出し、亡き妻の墓前
で自殺未遂に。
その折、伊勢物語(97段四十の賀)や古今和歌集(巻7-賀-349)の在原業平の歌
「桜花散りかひくもれ老いらくの来むといふなる道まがふがに」
訳)桜の花よ、散り乱れてあたりを曇らせよ。
老いがやって来るという道がわからなくなるように。
この歌を元にしてと後日語り、詠んだ歌は
「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」
この顛末が、大きく報道されて「老いらくの恋」が流行語となる。
なお翌年49年に二人は禁断の愛を実らせ再婚、1966年1月22日に亡くなる。
今日で11月もお終い、先日率川の暗渠をめぐった折、訪れた奈良市内の二つの
寺社を紹介します。
三条通にある浄土真宗本願寺派「淨教寺」、この時期の菊の花が飾られます。
写真の背後の大きな「ソテツ・蘇鉄」樹齢300年、周囲6.5m枝が25本も有名。
今年も菊人形ならぬ「菊鹿形」が登場していました。
江戸時代末の山門を抜けて
右に庫裏、その前にも菊の鉢が並ぶ、後ろのバナナの木、花が咲くそうです。
左がわに仏足石も置かれている。
本堂前にも菊の鉢が並んでいる。お参りをさせていただきました。
この本堂で、1888年アーネスト・F・フェノロサが「日本の美と心の発見」
として講演され、現在の文化財保護法の制定に繋がることになります。
もう一つは大神神社摂社「率川神社(いさがわじんじゃ) -率川坐大神御子神社」
6月17日の「三枝祭(さいくさのまつり)」別名を「ゆりまつり」が有名です。
HPより
社伝によると推古天皇元年(593)2月3日、大三輪君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が
勅命により神武天皇皇后の媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)を祭る。
後に元正天皇により、媛蹈韛五十鈴姫命の父神・狭井大神(さいのおおかみ)と母神
玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)祭る。
治承4年(1180)12月、平氏の南都焼討で社殿焼失、建久元年(1190)に興福寺が
再建後、興福寺の支配下、春日若宮神官が管理していた。
明治10年(1877)、内務省通達により大神神社摂社と定められている。
現在の本殿は一間社春日造の社殿が三棟並列(江戸初期、奈良県指定有形文化財)
三棟の本殿左側には父神の狭井大神
中央にはお子様・媛蹈韛五十鈴姫命、両親に守られているように
、右側には母神の玉櫛姫命
お子様を守るように鎮座される姿から、古くより「子守明神(こもりみょうじん)」
として安産、育児、生育安全、家庭円満の神様として信仰がよせられている。
平成9年に奈良市万葉歌碑を建てる会が建てた万葉歌碑 第7巻1112番 作者不詳
『はね蘰(がつら)今する妹をうら若みいざ率川(いざがわ)の音の清(さや)けさ』
原)『波祢蘰 今為妹乎 浦若三 去来率去河之 音之清左』
意)葉根蘰を新たにする娘が初々しいのでさあと誘う