最低気温は19.9℃と少し秋らしい奈良の朝、東の春日奥山には雲が多いが、
午後2時には25.8℃と過ごしやすい一日に。
10時半
今日は「御嶽山・3067m」の噴火(死者58人、行方不明者5人)の日で、
もう6年を迎え、慰霊祭も・・・・・・黙祷
現在尾根「八丁ダルミ」はまだ立ち入り規制が残っている。
昨年から御嶽山へ登る話も、腰があがらず。
噴火時刻は午前11時52分で、その3時間半前、成田に向かう飛行機左下に
見えた御嶽山、紅葉が始まっているのに不思議と薄汚れた雰囲気を感じた。
噴火を知ったのはドイツのボンのホテルに着き、TVから御嶽山の噴火の画像
で衝撃を受け思い出し、背筋が・・・
その後のベートーヴェン・フェスティバルも上の空だった。
オペラハウスの席は取れず、ベートーヴェン・ホールだったからかも。
2014.9.28
「ボン」を少し紹介します。
「ボン」といえば、旧西ドイツの首都、年齢が判りますね。なんといっても
楽聖と呼ばれる『ルートヴィヒ・ヴァン・ ベートーヴェン』が生まれた町、
誕生は1770年12月16日頃で、2020年今年は生誕250年にあたり、コンサート
はベートーヴェン一色だったのに、コロナ禍で海外からの招聘はない。
ボン中央駅から近くのボンミンスター(大聖堂)が目印、目指すと。
その前のミュンスタープラッツの中央に佇む「ベートーヴェン記念碑』で、
会うことができました。
生家『ベートーヴェン・ハウス』にも伺いました。
ハイドンに認められて21歳(1792年11月)にウィーンに移住するまで
住んでいた家、一階はお土産屋さんで二階に・・・
なおベートーヴェンは20代後半から難聴が徐々に悪化し、28歳最高度難聴
となり、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』を書いている。
40歳頃には全く聞こえなくなるも、交響曲9番を書き上げている。
アルコール依存症だったらしく、10番目の交響曲に着手するも未完成のまま
1827年3月26日、肝硬変のため波乱に満ちた生涯(満56歳)を閉じられた。
さてコンサートの帰りはフリードリッヒ通りの『Brauhaus Bönnsch』に。
自家製のボンシュビールは白濁した黄金色、
バイツェンともケルッシュとも違う?。3杯は飲んだかな。
グラスの形が面白いですね。
ラインの白ワインと・・・
全面的に制限が解除されたら、ハレて御嶽山へ登りたいもの。