深夜の12.1℃が最低気温、一日中曇り空も午後2時過ぎに24.1℃迄上がる。
外に出れば、一気にくしゃみと鼻水、そして目のかゆみも・・・
ヒノキ花粉と共に黄砂の影響が大ですね。
11時、21.2℃、48%
NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「アマナ・甘菜」。
単子葉植物、ユリ科の多年草で、里山のやや湿った地に生え、チューリップに
よく似た花をつけ、早春の山野草として鑑賞されている。
和名の由来は、球根が甘く食用できるところからで、別名「ムギクワイ」
「アマイモ」「トウロウバナ 」といわれたが・・・
地域では、柔らかい葉や茎は春ニラに似た味の山菜や、お浸しや天ぷらに。
さらに生薬の漢名として山慈姑(さんじこう)、老鴉弁(ろうあべん) とも
葉の間から出る花茎は15cm程で、先端に一つだけ白い花が咲く。
その花の少し下には一対の苞があり、小さな葉状で緑色をする。
2㎝大の花被は6枚で、披針形で先端がやや尖り、白で背面には紫の筋が入る
上向きかやや斜めに咲き、雄蘂は六個で黄色い葯をつける。
花言葉は冬を耐え忍び、早春に光り輝く星のような白い花をつける姿から
幸運の使者として 「運が向いてくる」と。
借用
奈良市の市民だより4月号に「富雄丸山古墳」の特集が出ていた。
当古墳は4世紀後半の109mの円墳(日本最大規模)、卑弥呼の時代と大和政権
を繋ぐ空白の4世紀、この謎を解くカギとなる古墳かもしれない。
第一次調査(平成20年):直径109mで国内最大の造り出し付円墳と判明する
第三次調査(令和元年):墳頂部で中国製の青銅鏡(斜縁神獣鏡)の破片発見
第六次調査(令和四年):国内最古で最大の蛇行剣と盾形銅鏡が出土
奈良県立橿原考古学研究所付属博物館で蛇行剣が特別公開されている。
「富雄丸山古墳の蛇行剣-クリーニング作業が明らかにした巨大鉄剣のすがた」
現状で見られる最後の機会となるかも知れません。
期間は3月30日から4月7日まで
第七次調査(令和五年):写真は調査の様子です。
【粘土槨の構築方法が判明】
1.古墳に墓穴を掘り、木棺の身(下部)が埋まるほどまで、さらに掘る。
2.薄く粘土を敷いた後、身を置き、遺骸や埋葬品を納めて蓋を閉める。
3.粘土ブロックを2~3段、木棺の両端から中央に向かって積む。
4.厚さ2~4㎝の粘土を被せ、棒状の工具で押し広げる。
実際の粘土槨
【全長約5.6m・幅約64~70㎝の木棺を発掘】
木製の棺がきれいに発掘されたのは・・・
1.周辺の土の保水力が高く、雑菌が繁殖しにくく腐食を防いだ
2.木棺傍の「盾形銅鏡」のCu+成分が雨水により木棺に染み込み腐食防止
木棺はコウヤマキを縦に割り、くり抜いた割竹形(仕切り板のみスギで作製)
蓋は全体の三分の一が残存
石棺でよく見られる縄掛突起が割竹形木棺で初めて確認される
棺の両側小口板で密封し、その内部空間が2枚の仕切り板で3分割
【木棺内の一部が水銀朱で真っ赤に染まる】
主室の底面(遺骸頭部:骨成分Pに反応)の朱色は、古墳時代の風習「施朱」で、呪術的に神聖なもの=生命の象徴と考えられ、魂を守り防腐効果も。
重なった銅鏡3枚
【木棺内から副葬品として鏡3面と竪櫛9個を発見】
上記写真で、3枚に重なる(理由は謎)青銅鏡、鏡面がきれいに残る。
だが上面を向けていたため背面の文様が確認できない
主室の南東端(遺骸の足元)から漆塗りの竹製の竪櫛(髪飾り)が9個出土し
、装身具もしくは魔よけとして納めたと言われている。
*古事記の神話、イザアナギノミコトが暗闇の黄泉の国で妻に合ったおり、
火に照らされモノノケの妻の姿を見て、櫛を投げつけたことからと。
櫛の配置
さてこの木棺に眠る被葬者は誰でしょうか?
奈良市埋蔵文化財調査センター所長「鍾方正樹」によれば
6次調査で男性を象徴する武器武具を模した蛇行剣・盾形銅鏡が発見で、
7次調査では木棺内に甲冑や武具が入り、男性が埋葬されかと思っていた。
実際は化粧道具であり、呪術等を得意とする女性ではないかとも考えれば
〝墳頂部に眠る当時の支配者(兄)が政治を祈祷・呪術で支えてくれた亡き
巫女(妹)の魂を守るため、大切にしていた蛇行剣や盾形銅鏡を供えたか〝
謎が謎を呼び、今後の調査、特に墳頂部の発掘が待たれますね。