二百十日、長月の朔日の今朝の最低気温は24.0℃、三日ぶりの奈良の朝も爽や
かさに程遠く、一晩中エアコンをONのままに。
日中も夏の様な日差しで、午後3時過ぎには35.4℃を記録して猛暑日に。
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さて心配な南海上の台風や熱帯低気圧、次から次へと発生していますね。
週末は先島諸島が影響を受け、来週の日本列島は台風などからの湿った空気が
流れ込み、雨がちな日が続くようだ。
今日は台風の多い日もしくは風の強い日といわれる二百十日で「防災の日」
各地で防災訓練が行われているが、その元は1959年の伊勢湾台風でこの翌年
1960年に閣議決定されている。
そして1923年9月1日午前11時58分の関東大震災ですね。
このおり「大正俳壇の啄木」と言われた「富田木歩」が26歳で焼死され
「木歩忌」にあたり、没後100年の節目に。
1989年墨田区が、富田木歩終焉の地である枕橋近くに句碑を建てた。
「かそけくも咽喉鳴る妹よ鳳仙花」 木歩
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この「ホウセンカ・鳳仙花」、昨日広島県立美術館と縮景園の手前にある
「広島市立幟町中学校」の道路沿い「雪椿の乙女」、柵内の「折り鶴の碑」の
近くに、雨に濡れて咲いていたのを思い出した。
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幟町中学校は、2歳で被爆後10年も経て白血病を発病した「佐々木禎子」さ
んの母校、名古屋淑徳高校からお見舞いに贈られた「千羽鶴を折れば、願いが
叶う」という千羽鶴の意味を知り、薬包紙や見舞い品の包装紙で、折り鶴を折
り始め、1ヶ月も経ずして8月の終わりには1000羽以上を折り上げた。
だが病状の悪化と共に折り鶴は徐々に小さくなり、生きたい、良くなりたいと
の思いを、より強く込めるため針を使って折るようになった。
1955年の1年生時に8カ月の闘病で12歳という短い生涯を閉じたが、折り鶴の
数は最終的には1500羽以上にのぼるといわれるが定かではない。
このように病床で生き抜く希望を折り鶴に託した「サダコの物語」とともに
級友たちはその死を悲しみ、全国の子供たちに呼びかけて、1958年に広島の
平和記念公園に「原爆の子の像」が建てられた。
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訪問時、高校生?が英語で紙芝居をされており、マスコミも取材していた。
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世界中から千羽鶴が贈られてくることで、「千羽鶴=平和のシンボル」として認識され、サダコの遺品の折り鶴も世界の3箇所(中野区平和資料展示室、
サンパウロ 、米国立トルーマン図書館 )に展示されている。
また被爆80年の2025年登録を目指し、ユネスコ「世界の記憶」へ、101羽の折
り鶴、検査結果を記す自筆手書きのメモなど9種類の遺品を国内申請された。
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悲惨な核を用いた戦争は広島長崎だけに・・・・
そして戦争のない地球、いつになればなるのでしょうか。