霜折れの朝、最低気温は0.8℃と冷え込みは少なく、晴れ間の多い一日に。
だが夜には気圧の谷の接近で夜明けとともに雨が降り、寒い一日になりそう。
関西は雨だが、関東は雪になるかも知れない。
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『寒木瓜に予報たがへずいつか雨』 村田脩
NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はバラ科の「カンボケ・寒木瓜」
晩秋から咲きだす木瓜でカンボケと名付けられるも、ボケには三種、平安時代
親しんだ日本原産の「クサボケ・草木瓜」、中国原産の「マボケ・毛叶木瓜」
と、中国原産で幾多の品種改良がなされた「ボケ・皱皮木瓜」がある。
日本でボケと言えば、江戸期元禄1800年頃に渡来した最後の改良品種を
指すようだ。
和名は赤い花をつける木瓜から「ヒボケ・緋木瓜」と呼ばれる。
花言葉は「熱情」
花言葉は「熱情」
別名は「チョウシュンボケ」「モケ」「ヨドボケ」などがある。
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一昨日の7日(火)、珠光茶会の会場の一つ『大安寺』に連れ合いを送れば・・・
講座「平城京に残された古墳」で、訪れなかった大安寺旧境内の杉山古墳へ。
案内板によれば、平城京造成時に杉山古墳前方部から土砂や葺石が運び出され
その跡地に瓦窯も築くことで、大安寺の資材調達の場でもあったとされた。
昨日のブログ「平城京に残る杉山古墳は旧大安寺境内だった」参照
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大安寺の旧境内、北はこの杉山古墳後円部から、南は東塔跡・西塔跡まで
8万坪を有する広大な境内でした。
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杉山古墳から南下して京終薬師寺線の狭い旧道へ至れば「元大安寺村役場跡」
の石碑とともに、保存された柱跡と「石清水八幡宮」の石碑、何故なのか。
なおその奥は大安寺小学校の校庭になっている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/f5/5b11e42db5b7a185e172a8093672804c.jpg)
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柱跡を示すところに、白い表示「大安寺北面中房跡」で、案内板によれば、
749年頃の大安寺には887名の僧がおられ、起居された房が金堂と講堂を囲み
東、西と北の三つの房が二重に配置され、内を太房、外を中房と呼ばれたと。
その反対側がまた面白く、ゴミ置き場横に「南都大乗院門跡大安寺墓所」と
「大安寺村道路元標」とお地蔵さまが祀られている。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/d7/c74336f81fe7797728253153483069f4.jpg)
地蔵尊右奥に石仏が祀られ、「孝?大僧正」「経覚大僧」などの石碑もあり
「南都大乗院門跡大安寺墓所」か、興福寺でも大きな力を持つ塔頭なのに?
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150m南に下れば、昭和43年に国の史跡として「大安寺旧境内」が指定、
石碑が建てられ、そしてここは「大安寺経楼跡」と。
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その東側の「御霊神社」が寂しく佇んでいた。後から知ったのだが・・・
石清水神社を現在地に移された折、行教和尚が手を洗う水を求めて、松林の
中の磐座を法具で叩いたところ、美しい清水が湧き出し池を作ったと。
それが御霊神社の境内にある「龍池」になり、それが石清水の謂れ?。
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西側は大安寺の現在の境内、収蔵庫が完成真近で、反対側に小さな神社
「推古天皇社」があり、祭神は日本で最初の女帝で、摂政として聖徳太子を
用い、輝かしい時代を治世された。
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やっと「大安寺」南大門跡に建つ入り口まで戻りました。
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通り越して鎮守の森「八幡神社(元石清水神社)」越えれば、一気に開ける。
東側には「東塔跡」
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塔跡には礎石跡と石碑、遠くに若草山、山焼きの跡の一部だけ黒くなる。
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そしてその南側に「富ノ宮跡」の碑が新しく建てられ、白梅がちらほら。
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西側には「西塔跡」で遠くに生駒山を望む
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西塔の心礎石(直径2.6m、厚さ70㎝、中央に矢穴)が残され、どれだけ大き
な塔であったかというと、高さ70mの七重塔と考えられている。
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発掘時の写真が・・・四方の長さ21m、高さ1.8mにも
水煙や金銅の風鐸なども出土している。
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訪れる人は少なく、ここまで来たのは初めてで大安寺のすばらしさを再認識
でき、この跡地、今後奈良市はどう生かされることになるのでしょうか。