京都市二条通あたりから鴨川のすぐ西側に小さな流れがある。
江戸時代の初期、角倉了以が京都中心部と伏見を結び開削した物流用運河である。
見えている船は当時の高瀬船を再現したものである。
高瀬船が往来することから、この運河は高瀬川と呼ばれた。
画面左側に水が取り込まれている。
押小路通りから回り込んでみると船が入り込めるようになっていることが分かる。
ここは一之舟入といい高瀬川から直角に突き出ていて、
荷物の上げ下ろしをしたり船の方向転換をするのに利用された。
舟入は二条から四条にかけて9カ所ぐらいあったが、現在は一之舟入だけが残されている。
最初の写真の右斜め前あたりに高瀬川二条苑がある。
高瀬川を開削した角倉了以の別邸跡庭園で今は日本料理レストランになっている。
そのレストランで高校の同窓会(学年同期会)が開催されたので参加した。
1年に1回のペースだが今年も50数名が集まり楽しく歓談し庭園も散策した。
高瀬川に沿う道を木屋町通りと言う。
木屋町通りを下がって四条通の手前で右側の小路に入ると小さな喫茶店がある。
あるいは河原町四条を上がってすぐ一筋目を東入ると言った方が分かりやすい。
ここは昭和9年創業の「築地」という喫茶店で我々の若いころも有名店であった。
関東に移り住んで47年、この喫茶店のことはすっかり忘れてしまっていた。
少し前、会社で同期の友人が参加している写真会の展示会があったので鑑賞に行った。
その時、古い感じの喫茶店の写真が目を惹いて何か気になった。
作者の方がいらしたので聞いてみると京都の喫茶店で「築地」だとのこと。
今回、京都へ帰った機会に訪ねて撮ってきた。
時間の都合で中に入るのは次の機会に回した。