どんぐりさんのお母さんのホームでの様子 一番下の写真は節分の時の鬼の出現の様子のようです。
今年は、東日本大震災から6年経過という年です。大震災以来、日本ではそれまではあまり考えられなかったような天災等が次々に起こっています。それぞれが思いがけない事態に遭遇して以来、平穏な暮らしにもどるようにと日々努力が続けられていることを私たちは時に忘れていることもあるかもしれません。
どんぐりさんのお便りは、そんな日々の暮らしの一面を知らせてくれました。
私たちが子どもの頃、気軽に笑顔で声をかけてくれていたどんぐりさんのお母さんのこの頃を綴ってくれました。
以下に紹介いたします。
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震災から6年がたった。ということは、父ががんで亡くなって、石巻から東京に母を引き取って一緒に暮らして5年半になるということだ。あっという間だった気がするが、5年半というのはけっこう長い。
今年で母は90歳になった。石巻から出たことがなく85年を過ごし、年を取ってから全く違う土地に住んでいるわけだ。我が家に来て最初の頃は、石巻に帰るとしたらどこでどう生活するかという話をしていたのは3年くらい。温泉地や旅行にも一緒に行ったが、すぐ行ったことを忘れるから、どれくらい楽しい思い出になったのかはわからない。
石巻の実家を取り壊してからは、帰りたいとはあまり言わなくなった。帰る場所がなくなったからかもしれない。石巻のきょうだいにも電話しなくなった。
次の1年間は、脚を交互に骨折して、救急車で運ばれ、手術・入院2カ月、リハビリ入院3カ月を繰り返した。入院するたびに認知症が進んで、昔の時代に遊んだりしている。
その次の1年は、私も意地でも元気に過ごさせたいと思ったし、母も一皮剥けたように生活を楽しんだ。都合の悪いことはみな忘れて、青春の頃を思い出しつつ結構楽しく過ごしている。
石巻で昔遊んだ友だとか、一緒に仕事をした人だとか、ちょくちょく話に出てくる。そんなわけないだろうと、私は母の意識を現実に戻そうと話の腰を折るのだが、全然負けてはいない。認知症の人の話を、現実に引き戻さなくてもかまわないそうだが、娘としてはあまり認知症を認めたくはなくてよく母の話を否定する。厳しい娘になる。
デイケアに行くのが一番の楽しみという母であるが、私としてはやはり行動にだんだん制約がかかり、あまり出歩く気にはならない。まあでも、人より行動しているほうかな。
東京に来て、片目だけ白内障の手術をした。もう片方は黄斑変性症で、手を付けられないとのこと。いろいろ病院を代わったが、3回目の病院で手術をしていただいた。石巻にいたら手術はできなかっただろう。これだけは母を呼んで一番親孝行できたことだったと思っている。
震災がなくても、母を引き取っていたと思う。でも、震災がなければ石巻に思いを残すことはなかっただろう。震災後の石巻には思いが残る。母が同じ家に居るかぎりは、毎日石巻を気にしてぶら下げて生活している気もする。石巻の母のきょうだいたちは今どうしているだろうかとも気になる。
母にたずねると、今は刺激が多くて楽しいという。デイケアに行くのが家にいるよりずっと楽しいという。ほんとうにデイケアの若者たちはよくやってくれて、感謝である。いろいろ介護の問題も見えてくる。母の世話をしなかったらわからなかったことだ。
この調子だと母はどんどん90歳を更新して長生きするだろうと、夫と話している。今は自分のことは自分でできているが、できなくなるのはいつ頃だろうか不安ではある。
石巻を離れて5年半、90歳の母は結構明るく楽しく毎日を過ごしている。
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どんぐりさん、ありがとうございます。
東日本大震災後に、お母さまを自宅に引き取って一緒に暮らすようになった方は、たくさんいらっしゃいます。今では高齢になられている方も多くいらっしゃいます。友達の話を聞くと、どんぐりさんと同じようなことをよく話しています。親子の姿というのは、年月とともに変わっていくのですね。それが親孝行の姿なのかもしれません。たまには?厳しくしたりというのも実の親子だからなのかもしれません。
どんぐりさん、お疲れ様です。お母さまを大事になさってください。お母さまも安心なさっていることと思いますよ。