石巻白梅ししの会便り

石巻のためにできることを一緒にしようね!!

防潮堤

2019年01月14日 | お知らせ

  

 

 最初の写真は門脇から北上川に突き当たる場所の防潮堤。 次の写真は新しい野蒜駅の前の防潮堤です。

 川も海も全然見えません。本当は野蒜海岸付近はこんなに美しい風景!!

 

 北上川も、私たちが知っているのは、小学校の写生会で川べりに出かけて見た、あの船が泊まっている景色。

 もうそんなことはできないのかなあ...。

 

 昨年、気仙沼でできた防潮堤についての問題があった。

 県が造った防潮堤の高さが予定より20㎝ほど高かったのだ。気仙沼の住民は予定通りの高さに直すよう要求したが、県は造り直しはできないと回答し、結局宅地等の陸地の方をかさ上げするという方法を提案した。

 まだ、決着はついていなかっただろうか?

 なんとも、間抜けな話だ。なにしろ防潮堤を計画する段階だけでも、景観が損なわれるとか、様々な意見が出されていたのだ。

 それがよりによって予定よりさらに高くなるなんて!

 

 震災直後に、知り合いの方から聞いた話があった。その方の身内の方で三陸だったかの防潮堤の設計をした方がいらしたが、東日本大震災の大津波で防潮堤が破壊されたことを聞き、ショックを受け、その後亡くなられたとのことだった。

 絶対に壊れるはずがないと信じていたようだったとのことだった。

 でも、まさか東日本大震災のような大きな地震の津波を予想していただろうか?

 

 子どものころ、家族でよく野蒜海岸に海水浴に行きました。

 あの高いコンクリートの堤?の上を歩きながら、海の様子を見ながら胸を弾ませたものです。

 「どうしてこんな大きな壁のようなものがあるのだろう?」と思いながらも楽しい道のりでした。

 でも、あの防潮堤も徹底的に破壊され簡単に乗り越えられてしまったのですよね。

 

 そんなことが起こるなんて想像もしなかったことが起きたのです。

 この頃、世界的に地震や火災、水害等次々におきるので、今では「大きな災害は起きませんように」と祈る気持ちがありますが、何が起こるかは分からないという気持ちもあります。

 

 今までよりも高い防潮堤を造ったから安全と思い切ることもできません。

 でも、門脇からのあの上の写真のような防潮堤を目にして、「どうしてこんな所に大きな壁があるの?」という誰かの疑問に答えるたびに、東日本大震災や大津波のことが話題にのぼることは良いことなのかなあ...。

 大自然と人間の共生...難しい課題ではありますがより良い方法を見つけなければならないのでしょうね。

 下の写真は、今年の南浜町や門脇の様子です。

 

 

 

 下は北上川沿いの風景です。左に見えるのは、工事途中の防潮堤かな?

 だんだん景色が変わっていきますね。

 

 


「野鳥の楽園物語」~~メロリンさんから~~

2019年01月12日 | お便り

         

     木のてっぺんに止まるモズ       分かるかな?ちょっと見えにくいですね。

 メロリンさんの野鳥の物語、昨年届いていたのですが、新年のアップになりました。そのことを念頭に読んでいただければと思います。

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 今年の春、3月18日にジョー子ちゃんの姿を最後に見ました。翌日は気配がありません。あぁ大陸へ行ったんだなぁ、元気で又、来いよとお空に向かって思いました。

 ジョー子ちゃんとはジョービタキのオスのジョー君の娘の事です。私が自分勝手にそう思っているだけの事なのですが。

 ジョービタキは冬の渡鳥。春には雀くらいの小さな体で日本海を渡って大陸へ行くそうです。

  今年の春は、ジョー子ちゃんがいなくなる一週間前からウグイスがホーホケキョと鳴き、ホトトギスもトッキョキョカキョクと鳴き、コジュケイもコッチャコイ、コッチャコイと鳴き始めました。明るく賑やかな春でした。

  そして猛暑の夏がやって来て、私はその暑さをイヤというほど利用して梅干づくりを楽しみました。暑さの庭にプンプンと甘酸っぱい匂い。でき具合が楽しみで楽しみで。

  猛暑の夏が楽しかったのには理由がもう1つありまして、実は一羽のホトトギスから元気をもらっていたからなのです。

  今年の暑さは半端じゃなかった。あの暑さの中でホトトギスのホット君がたった一羽で、360度の大空を占有していたのです。

というのは、ホット君は  飛ぶとその姿は十字架形になり、カラスより小さく雀より大きく体は中くらい。大きな声でトッキョキョカ

キョクと鳴きながら東西南北を我が物顔で縦断していたのです。しかもその声は物凄い大音量。やゃっ、元気だなぁと驚くばか

り。東から西へ、そして暫くして西から北へ。そして又北から南へと、うるさいほど鳴り響く声量。あの暑さの中をですよ。おぉ

ホット君よ、有り難う。君の元気が伝わって来るよ。

 

  おかげで見ているだけで、声を聞いているだけで、暑さを乗り越えられるよ。 

  昼頃少し一休みして静かになり、夕方また始まります。トッキョキョカキョク…。 

  おぉご苦労さんだね、今日も1日有り難う。 

 こんな調子で毎日を過ごしホット君のおかげで自分の元気を感じたものでした。 

 いつの間にかホット君が居なくなり、10月になるとギジギジとアカモズの声がする。

 双眼鏡を覗くと百舌鳥のメス。全身が茶色い。尻尾の動く角度が面白い。アカモズの鳴き真似が得意な百舌鳥のメス、モズ子ちゃ

んがやって来た。 

 単独行動する鳥には名前を付ける事ができる。モズ子ちゃんの声は特徴があり分かりやすい。

  そして電線にいるのはシジュウカラのカララちゃん。シジュウカラは群れているときは名まえを付ける事が出来ません。どれが

どれだか分からないからです。でも、カララちゃんは特別なシジュウカラなのです。 

 ケーブル線を電柱に止めている角形鋼材を寝床にしていて、夕方4時半頃、眠る前の儀式のダンスをするのです。唄い踊り1日の感謝を天

に向って表してから眠るのです。リズミカルなダンスの儀式が終ると四角い直径5センチ程の穴から入って消えました。 

 目の当たりにした私は感動を覚えました。今のは何?! 

  一人で見るのは勿体ない。翌日、夫と共に同じ光景を同じ時間に観察できました。笑い、笑い、笑いました。イヤ、イヤ楽しい。 

 野鳥ガイドブックには、シジュウカラは西洋では軽薄な鳥とされていると書いてある。それは、この事か。

  (これがその写真のようなのですが、どれが鳥なのかよくわからないのが残念です..。)

 

 それから、ある日の夕方、集金人が来たときにもカララちゃんがこれをやっていました。三度見ました。今度見たらスマホに収録しよう

と構えているのですが、その後は見ていません。 

 歌って踊って調子よく楽しいカララちゃんは今どこにいるのでしょう。

 

 モズ子ちゃんが鳴いている。部屋の中からも外の様子が分かるようになって来ました。

 

 11月12日、庭にいる私の背中でヒヒヒと鳴いた、弱々しい声。オヤッと振り向くとジョー子ちゃんのお腹が見えた。あっ、ジョー

子ちゃんだ。ジョー子ちゃん、来たの?来たのね。

 

 背中の紋付を確認したい。ヒッヒッヒッと元気に鳴かないから、よく分からない。と思った瞬間にくるっと向きを変えて背中の紋付が見

えた。ジョー子ちゃんに間違いない。すると、エサを取りに向こうへ出かけて行った。その夜暗くなって寝床に入る前のジョー子ちゃんを

見た。到着1日目の夜、ジョー子ちゃんに感動して私も眠った。

 

 その後暫くはジョー子ちゃんの声は聞けなかった。10日後、東からヒッヒッヒッのジョー子ちゃんの声。今回初めて聞いた。渋柿

の木にいるジョー子ちゃんを見つけた。5分くらい行動を観察してジョー子ちゃんは寝床を東側道路向こうの藪の中へ変えた事が分

かった。それから日を変えてジョー子ちゃんは、鳴かずに数度姿を見せてくれた。

 

 12月になるとオスのジョービタキが庭に現れた。ヒッヒッヒッとよく鳴く。これはジョー君の息子なのか?つまり、ジョー子ちゃんの兄

弟か?私はジョー太郎と名付けた。もしかしたらジョー子ちゃんの息子かも知れない。だからジョー子ちゃんは疲れているのかも

知れない。ジョー子ちゃんとジョー太郎の縄張りは隣同志で仲が良いのだ。

 

 私は今日、ジョー太郎の声に誘われて庭へ出た。 

 後でキリリコロロとカワラヒワの声がした。電線に数羽止まっていた。冬本番。

  ヒヨドリは大群で日本海を渡って来て、一度下北半島で羽を休めてから其々の小さな群れが思い思いの 場所に散らばって行くそ

うです。 

 うちの庭には毎年うるさくヒヨドリの群れがやって来ます。 

 小さなヒガラ達もやって来ます。セキレイ、雀、カラス…。 

 今年の冬も野鳥達と一緒に心暖かな日々を過ごしましょうと思います。

 

 皆さまよいお年をお迎えください。 

 

 

  野鳥に誘われて野をうろつく老女より

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  最後の挨拶は昨年の記事なのであしからず。

 メロリンさんの周りは相変わらず自然の四季の移り変わりが鮮やかですね。読んでいる私も少し鳥の種類について思い出してくるようです。

 では、ホット君、ジョー子ちゃん!ジョー太郎くん!モズ子ちゃん!カララちゃん!お元気で!!

 

 

 

 


2019あけましておめでとうございます! 初投稿ーー「貞山運河」 ーー

2019年01月01日 | 紹介

  明けましておめでとうございます!

 「平成最後のお正月」と言って良いのでしょうか? 4月1日に新元号が発表されるというニュースが載っていましたが、どんな名前になるのかなあ?パソコンのことを心配しています。年月日を選ぶ時、今までのものは平成までしかありません。新元号になったら換算が面倒です。

 ま、できるだけ西暦にしてもらうのが分かりやすいということになるのかなあ?

 そんなことはともあれ、今年が皆様にとって良い年になりますように!とお祈り申し上げます。

 

 遅くなりましたが、本題に入ります。

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 昨年末、友人から昔の新聞記事が届きました。(上)

 貞山堀(ていざんぼり)についての記事です。

 「貞山堀」石巻に住んでいた方は聞き覚えがありますよね。山下の石巻工業高校の脇のあたりは、貞山という地名なのでしょうか?

「貞山小学校」という学校もできています。

 石巻工業高の脇の堀が貞山堀なのかな?ボート部の練習場所でもあったような記憶がありますが...。正しいかな?

 

 今回、友人から送られてきた記事、読めるでしょうか?

 貞山運河(貞山堀)についてのホームページがあります。  

http://teizan-canal.com/teizancanal/meiji/

 貞山運河研究所のものです。

 読んでみると、この運河は日本で一番長いものであること。そして江戸時代に伊達政宗によって作られ当時の木材の運搬などで大いに役立っていたこと等、歴史的価値に触れ、その環境保全等に努め新たな観光地としての価値を生み出そうという構想のもとに活動を持続しているとのことです。

 貞山運河は初めは、名取と仙台を結ぶ水路だったのですが明治になって新たに地域(国)の発展のために野蒜に港を作ったり運河を石巻まで伸ばす計画を、当時の大久保利通も視察に訪れ決定したのだそうです。野蒜築港については「奥松島物語」で私たちの同級生のOさんが詳しく執筆しています。

 今回この貞山運河のホームページを見てから読んでみると、野蒜築港の意味がより理解できました。

 

 観光地化にむけての構想のモデルも示されています。

 

 なるほど...。そんな構想も考えられていることが分かりました。

 昔、石巻の実家に車で帰る時、当時は国道45号線を通ることが多かったのですが、矢本を抜けて赤井のあたりを通る時でしょうか?右手に川?が流れていて、いつも眺めていました。あれが野蒜から石巻に続く貞山運河だったのですね。

 〇十年前からは、そのあたりの道路の脇に漫画に出てくる飛行機の模型のようなものがたっていたように記憶していますが、あれも観光の一環だったのかもしれません。

 でも、それほど強いインパクトは受けなかったように思います。

 

 ホームページによると、観光資源としていくつか示されています。

・ 自然環境の再生

 例えば、津波によって一瞬にして破壊されてしまったものの以前あった砂浜、干潟、塩生湿地。黒松海岸林などの恵まれた自然。

 湿地植物群落や鳥類、魚類などにとってかけがえのないエリア。松並木や防潮林によって形成されていた歴史を物語る景観や干潟と生き物が調和する景観。そのようなものを蘇らせるとともに保全に力を注ぐ必要。

・ 親水性の確保 

  船着き場、釣り場、水辺の散歩道

・ 歴史的遺産としての価値の保存

  修復の際、コンクリートを使わずに昔のような石積み方式を採用する等昔の姿を保つようにして歴史の重みを残す等が望まれる。

  貞山運河沿いにある野蒜築港や石井閘門等の歴史的遺産

 

 また、観光資源としての必要な安全面の配慮や集客のための施設設備等についても触れられています。

 

 なるほど。みなとても良い案だと思いますが、なかなか難しそうですよね。

 でも、多少時間がかかっても実現できたらとても素晴らしい場所になる可能性が感じられます。

 家族連れできてくつろぎながら自然体験をしたり、潮干狩り等で自分の力で貝を収穫するなど達成感なども味わうことができたなら、教育的にも価値がありますよね。

 昔、子どもの頃大曲のあたりを通って潮干狩りにいきましたが、その浜辺に着くまで随分歩きました。でもその歩く行程のその場の景観がそのままそのうち地理や理科の勉強に結びついたように感じます。そんなふうに楽しみながら自然の不思議や仕組みに興味や関心を持つことができるなら、多くの人が訪れるのではないでしょうか。

 一朝一夕には、環境の回復は難しいとは思うのですが少しずつでも進めたら嬉しいことです。

 川沿いの葦の茂みや、今はほとんど見られない堀等水辺の植物「河骨(こうほね)」等が花開いている水場があったら、それは懐かしい豊かな自然です。価値ある観光資源になるような気がします。

   左 河骨(こうほね)の写真です。〇十年前には石巻の堀?のようなところに自生していたそうです。

 その他、地域ごとのお祭りに取り入れる等参加型の活動も良いかもしれません。周りの景観もひと工夫したらもっと見ごたえのあるものになるかも....、と考えるだけならいろいろ浮かぶのですが..、それだけなのが残念です。

 

 何はともあれ、今回は「貞山運河」が何回かに亘って作られ、伊達政宗の法名「瑞巌寺殿貞山禅利大居武」から命名したと伝えられること等様々なことを知ることができました。

 情報ありがとうございます!

 今年も元気で過ごせますように、皆さまのご健康ととご多幸を改めてお祈り申し上げます!!