知りたくないの・コニーフランシス 翻訳 甘く切ない歌声を
<第54回 哲学カフェ> 2018年1月23日(松畑)
あなたはどのような「人生設計(ライフデザイン)」を持っていますか?
問1: 次のような生き方を、あなたはどう思いますか?
「この地球上には、いまだに時計も使わずに暮らしている人々がいる。文明の手垢のつか ない森の奥地やサバンナなどで、のんびりと自給自足、かれらが時計をもっていないからと いって、時間の感覚がないわけじゃない。
花の開花、牛の活動(乳搾りの時間、牧草地へ連 れて行く時間など)、潮の満ち引き、月の満ち欠け・・・・・といった自然のリズムやできごとが、 ときをはかる目安になっている。
こんな社会では、自由時間の方がだんぜん多い。平均すれば、毎日が半休みたいなもの 。おしゃべりや遊び、音楽やダンス、昼寝などを楽しみながら、ゆったりと日々がすぎていく。
収穫物はたくさんある者が乏しい者に与えるならわしだから、貧富の格差はない。暮らしてい ける以上の富を求めないナマケモノ主義者たちなのである。
狩りや食糧の採集は生態系に 配慮しているため、環境破壊もおこらず、周囲には豊かな自然が残っている。」
問2: あなたは「100年人生」をどのように描きますか?
何を目指し、どう生きようとしますか? *ものの見方について
(吉野源三郎、『君たちはどう生きるか』、マガジンハウス、2017) 一人一人の人間はみんな、広いこの世の中の一分子なのだ。
「コペルニクスの地動説」。コペルニクスがそれを唱えるまで、昔の人はみんな、太陽や星が 地球のまわりをまわっていると、目で見たままに信じていた。
子どものうちは、どんな人でも、地動説ではなく、天動説のような考え方をしている。子どもの 知識は、みんな、自分を中心としてまとめあげられている。
自分たちの地球が宇宙の中心だという考えにかじりついていた間、人類には宇宙の本当の ことがわからなかったと同様に、自分ばかりを中心にして、物事を判断してゆくと、世の中の本 当のことも、ついに知ることができないでしまう。
大きな真理は、そういう人の目には、決してうつらないのだ。 だから今日、君がしみじみと、自分を広い広い世の中の一分子だと感じたということは、ほん とうに大きなことだ。それは、天動説から地動説に変わったようなものだから。
肝心なことは、世間の目よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それ を本当に君の魂で知ることだ。 そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持ちを起こすことだ。
君自身が心から感じ たことや、しみじみと心を動かされたことを、くれぐれも大切にしなくてはいけない。