正徳四年(1714年)10月29日、岡山藩第2代藩主の池田綱政が、77歳でこの世を去りました。
江戸初期の名君と言われる池田光政(みつまさ)を父に持ち、本多忠刻(ただとき)と千姫の娘・勝姫を母に持つ、
サラブレッド感バリバリの池田綱政(つなまさ)・・・寛永十五年(1638年)に江戸藩邸で生まれた綱政は、寛文十二年(1672年)に家督を譲られますが、
その時には隠居した父が実権を譲らず、いわゆる院政の状態・・・天和二年(1682年)の光政の死を受けて、45歳にして、やっと藩政に腕を奮う事ができるようになりました。
綱政は、自らが政治に腕を奮えるようになった45歳から亡くなるまでの間に、様々な事業を行い、ことごとく成功に導いています。
それこそ、先代の光政が名君だったおかげで、岡山藩は安定した大藩に成長しましたが、藩が大きくなれば大きくなるだけ、
その支出も膨大な金額になるもので、藩の財政そのものは、けして安泰と言える物ではなかったのですが、
そこに、新田開発による農村の再生事業を決行・・・同時に、毎年のように見舞われていた大洪水を防ぐために治水も行った事で、
見事、この農業政策を成功させています。また、父の時代に建てられた藩校・閑谷(しずたに)学校・・・
その時には、10数人しか収容できないような小さな造りの建物が点在していたのを統一し、現在に残る国宝の講堂に造りあげたのも綱政だと言われます。
さらに、日本三名園として有名な後楽園を造営したのも綱政・・・お城に隣接した庭園の造営は、この元禄時代に盛んに行われますが、それを殿様の贅沢と考えるのは、ちと違うように思います。
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