goo blog サービス終了のお知らせ 

snclimbエス・クライムのブログはじめました!

初めまして、趣味の登山と釣りと囲碁と映画鑑賞と図書館巡りをアップしていきます。
月1回climb シネマ 開催

『暗夜行路』伯耆大山 「308」

2022-09-29 21:01:33 | 文学

『暗夜行路』伯耆大山 

 

 

  

『暗夜行路』あらすじ

 親元から祖父の家に預けられた『時任謙作』は、祖父の妾『お栄』と暮らしながら作家を目指している。

父の資産を譲り受けたが執筆活動をするわけでなく吉原に入り浸り放蕩じみた生活を送っていた。

 尾道(広島県)で暮し始めた『謙作』は、それまで一緒に暮して来た『お栄』を愛している自分に気付き結婚を決意するが、

父の猛反対にあい、自分が父が洋行中、祖父と母との間に生れた不義の子であることをと知ってしまう。

 東京にもどった『謙作』は、『直子』と知り合い結婚する。『お栄』はその後天津に移り住むが悲惨な生活となり、

そのことを知った『謙作』は『お栄』を迎えに行くが、その留守中『直子』がいとこと過ちを犯してしまう。

 子供も生れ、幸せな時が続いているように見えた。しかしある時、乗り遅れた汽車にとび乗ろうとする『直子』を『謙作』はホームへ突き飛ばしてしまう。

   『謙作』は、未だに妻の不貞を許せないという心の奥底に眠っていた憎悪と、自らの非道な振る舞いを恥じ、一人伯耆大山(鳥取県)の麓にて隠遁生活を始める。・・・・・・・・・・・

   中の海の彼方から海へ突出した連山の頂きが色づくと、美保の関の白い灯台も陽を受け、はっきりと浮び出した。

間もなく、中の海の大根島にも陽が当たり、それが(赤魚覃)の伏せたように平たく、大きく見えた。

 

 

村々の電燈は消え、その代わりに白い烟が所々に見え始めた。然し麓の村は未だ山の陰で、遠い所より却って暗く、沈んでいた。謙作は不図、今見ている景色に、自分のいるこの大山がはっきりと影を映している事に気がついた。

影の輪郭が中の海から陸へ上がって来ると、米子の町が急に明るく見えだしたので初めて気付いたが、それは停止する事なく、恰度地引網のように手繰られて来た。地を嘗めて過ぎる雲の影にも似ていた。

中国一の高山で、輪郭に張切った強い線を持つこの山の影を、その儘、平地に眺められるのを希有の事とし、それから謙作は或る感動を受けた。

静養をつづける謙作はある夜、提灯をかざした案内人の先導でこの道を頂上をめざした。

昼飯の鯛のせいかひどく腹が痛む。途中で列から離れ、山を背にした草むらに腰をおろしてひとり夜明けを待った。

そこはブナ林がとぎれ、低い樹林帯に変わるいまの六合目あたりだろうか。ふもとから歩いて3時間ほどの距離だった。 

<疲れ切ってはいるが、それが不思議な陶酔感となって彼に感じられた。

彼は自分の精神も肉体も、今、此大きな自然の中に溶込んで行くのを感じた。

その自然というのは芥子粒程に小さい彼を無限の大きさで包んでいる気体のやうな眼に感ぜられないものであるが、

その中に溶けて行く、ー言葉に表現できない程の快さであった> 謙作を包みこんだ大山は比叡山につぐ天台宗の霊場でもある。

この山で、謙作は自然の中で息づく小さな虫にも目を凝らし、空で舞うとびの姿に人間の考えた飛行機の醜さを思う。

そして自然の前での人間の無力さを知り、「溶けて行く」自分を感じるのだった。

「この大山はずっと人を閉じてきたのです。年に一度、行者が祭事のために登るだけでした。

志賀さんたちは一般登山の先駆けだったのです。

よけい神秘性が感じられたんでしょうね」。

大山寺住職の大館禅雄さんは言う。山で朝を迎えた謙作はやっとの思いで宿坊に帰りついた。

重症の大腸カタル。翌朝、電報で知った直子が京都からかけつけた。

謙作は生死をこえた「陶酔感」に身をひたして直子をみつめる。

「見たことのない、柔らかな、そして愛情のある眼差し」と直子には思えた。

 翌朝、峰をおおっていた霧がはれ、緑の稜線に橙色の光がさすのをみた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする