近水園2016.01.08
この庭園は、足守藩主木下家の居館である屋形構の奥手に設けられた大名庭園で、御殿山(宮路山)を背景にして造られ、小堀遠州流の園池を中心とした池泉回遊式の築庭方式をとっています。
近水園の築庭時期は、記録からは定かではありませんが、6代藩主の木下定(きんさだ)の時18世紀初めと推定されていて、県下では岡山の後楽園・津山の衆楽園と並ぶ大名庭園です。
約5千5百平方メートルの園地の外寄りに、東外側を流れる足守川から水を取り入れて園池を設け、池内に蓬菜島を兼ねた鶴島・亀島の2つの島を浮かせ、往時は足守川との境に竹薮をめぐらし、庭園と周囲の風景とがみごとに調和しています。
池のほとりの山際には数寄屋造り(茶室風の建物)の吟風閣が建ち、庭園のこの主要建物は、木下定が宝永5年(1708)に幕府の命を受けて、京都の仙洞御所と中宮御所の普請を行った際に、残材を持ち帰って庭園整備に活用したものです。
屋根は茅葺の切妻造りで、造作は2階が舟底天井、1階がさし天井と凝っています。雨戸は、戸袋が奥側だけにあり、開閉のとき部屋の隅柱で直角に敷居をすべらせるからくりが施されています。
吟風閣からの庭園の眺めは、足守川を隔てた宇野山を借景にした眺望が開け、大名庭園の醍醐味を今も堪能することができます。なお、園地の東側に隠れキリシタンのマリア灯籠が立っていますが、なぜいつここに建てられたのかは不明です。
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