こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

レディ・ダイアナ。-【4】-

2022年03月17日 | レディ・ダイアナ。

(※『プロミシング・ヤング・ウーマン』に関して軽くネタばれ☆に触れる部分があります。一応念のためご注意くださいm(_ _)m)

 

 たまたま主人公のギルバートが医学生だったので……見るのは連載終わってからと思ってたのに、誘惑に負けて(?)先に見てしまいました

 

 いえ、見る前からわかってはいたのです。絶対すぐ感想とか書きたくなるタイプの映画と思うから、見るとしたらもう少しあとにしよう……みたいには(^^;)

 

 というか、見終わった今思うのは、当初想像していた以上に生身の胸とか脳にガツン☆とくる衝撃度の高い映画だったということでしょうか。。。

 

 とりあえず、ウィキにあるあらすじ。をまずは引用させていただきたいと思いますm(_ _)m

 

 

 >>カサンドラ・トーマス(キャシー)は極めて優秀な女性で、誰もが彼女には輝かしい未来が待っていると確信していた。ところが、医学部在籍中、親友のニーナが同級生のアルにレイプされるという事件が発生した。ニーナは周囲に被害を訴えたものの、誰からも信じてもらえなかったことに絶望し、自殺してしまった。この出来事にショックを受けたキャシーは医学部を中退し、それ以来、近所の喫茶店でバリスタとして働いていた。彼女には学生時代の明るさや覇気は最早なく、両親の元で毎日を無為に過ごしているかに見えた。

 

 しかし、キャシーの夜の顔は昼のそれとは全く違うものだった。夜になるや、キャシーは復讐の鬼へと変貌し、女性を性欲のはけ口としか思わない男たちに制裁を加えていった。そんなある日、キャシーはかつての同級生(ライアン)と期せずして再会した。これをきっかけに、キャシーは忌まわしき過去を清算する覚悟を決める。

 

 わたし最初、映画の予告を見た時……キャシー自身にレイプされたといった過去があり、それで夜な夜なしょうもない男どもに制裁を加える――といった映画なのかなって思ってました。

 

 でも、レイプされたのは医学生として輝かしい未来の約束されたキャシーの親友ニーナでした。彼女の死に責任を感じるキャシーもまた、その後医大を中退してしまい……ところが、ニーナをレイプした同じ医学生の男たちはその後、無事医大を卒業し、今では立派な医者となっているのみならず――幸福な結婚までしようとしている。

 

 映画の割と最初のほうで、ニーナは母親から「実家に暮らしていて、ボーイフレンドもいなければ友達もいない。これがどのくらい異常なことがわかってる!?」みたいに言われ、さらに三十歳の誕生日には「荷物詰めて実家から出てけ」とばかり、スーツケースをプレゼントされてもいる……キャシーは某喫茶店らしき場所で働いてますが、見た目的にはやる気のない店員200%みたいにしか見えません(笑)。

 

 そうした彼女のやる気ゼロの無気力感がどこから来るのか――もう、映画冒頭から気になって気になってしょうがない(笑)。両親にしてみればキャシーは、医学部に進学した、とても頭のいい自慢の娘だったのだと思います、ずっと。そしてこれは、ニーナの両親にとっても当然そうだった。ところが、ニーナはレイプ事件のせいで精神のバランスを崩し、彼女の親友だったキャシーにもその影響力は及んでしまい……キャシーは喫茶店の上司のゲイルに、「仕事のキャリアも結婚も子供も、手に入れようと思えば手に入れられる」みたいに言ってたと思うのですが、これは彼女の場合負け惜しみでもなんでもなく、本当にそうなんですよね。

 

 キャシーはニーナをレイプした主犯の男が、その後罰されもせず、医者としてのキャリアを順当に手に入れ、今度は幸福な結婚もしようとしていると知り――復讐を思い立ちますが、その途中でニーナの母親に「あなたも前に進んで」みたいに言われ、喫茶店で偶然再会したライアンと恋人になり、彼のことを両親にも紹介するのですが……。

 

 ところが、ニーナのレイプ事件に関して確たる証拠を手に入れてしまったキャシーは、医学部に復帰するという将来のキャリアに繋がる夢も、ひとりの女性としての幸福もすべて投げ捨てる決意をすることに。。。

 

 こう書いただけでも、自分的に「ネタばれがすぎるぜ、おまえ」と自戒してしまうくらいなのですが(汗)、とにかくここからの展開がものすごい。わたし的にまさかまさかの連続で、映画のほうはある種のカタルシスとともに終わります(あくまでも「ある種の」ということなんですけど;_;)。

 

『プロミシング・ヤング・ウーマン』に関しては、見る前から「将来を約束された男のスキャンダルに対し、世間が寛容なのは何故か。それでいいのか」といったことはネットで読んでましたし、それに対して「女性がレイプされるなどして将来のキャリアを潰されても……泣き寝入りしたり、『なかったこと』にされたりする傾向が強いのは何故か」ということがテーマになっているらしい、とも聞いてはいました。

 

 たとえば、将来有望な高校生のアメフト選手がレイプ事件を起こしたとしても、「まだ十代なんだから仕方ない」とか、「やりたい盛りの若者の心情」のほうに同情が寄せられ、レイプされた女性のほうにも問題があったのではないか――みたいに、情報が操作されやすいというのでしょうか。

 

 このあたりに真っ向から立ち向かっても、世間全体の潮流は今後も変わらなさそうにしか思えない。けれど、『プロミシング・ヤング・ウーマン』は、そのあたりに関して抜けない楔を打った、本当に見事な映画と思うわけです

 

 ネタばれ☆に当たる箇所に関しては自粛したいと思うのですが(汗)、それでもネタばれ全開でいいなら、書きたいことが本当にいっぱいある映画でした。↓のギルバート先生に関していえば(笑)、女性関係については自分の医者としてのキャリアを台無しにしないためにも、すごく注意してるらしいんですけど……『プロミシング・ヤング・ウーマン』は、「医学部」という高学歴の男性でも、こうした問題とは無縁ではなく、むしろ一人前のお医者さんになるまでに時間とお金がすごくかかるだけに――その部分のキャリアを潰されそうになったら、どんなことでもする……そのあたりがすごく怖かったりもして(;_;)。

 

 ええと、ほんのつい最近(二週間くらい前かな)、『ゴーン・ガール』を見てまして(今ごろ!笑)、こちらも最後「まさかそうなるとは……」という映画だったような気がします。いえ、なんていうか最近割と、こうした「女の本音炸裂系」映画と言いますか、そうした映画やドラマが増えてきてる気がしますよね(ちなみに『ゴーン・ガール』見ててわたしが思いだしたのが、もうずっと昔に見た『ローズ家の戦争』でした。あれも、結婚して子供が生まれ、幸福になってのち……自分が完璧な幸福を手に入れるには夫の存在が邪魔だと気づく奥さんの話だったなあ、なんて^^;)。

 

 もちろん、わたし自身は見てて「怖い」というよりはむしろ「爽快!」な気持ちのほうが強い気もするとはいえ――男の人が見る分にはジャンルの分類として「金タマ縮みあがり系」の映画ではないかという気がしたり(笑)。

 

 なんにしても、男性に対してはともかく、女性に対しては120%を越えて超おススメな映画でした♪

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 

       レディ・ダイアナ。-【4】-

 

「お母さんもねえ、もしダイアナがダイアナじゃなかったら、何かちょっとしたことが気に入らないとか言って、他の人を家政婦さんの紹介事務所に頼んでたかもしれないわ」

 

 シャーロットがダイアナの通っていた教会の牧師夫人と連絡をとると、翌日の十一時に告別式のあることがわかった。そこで、フォード家の人々は喪服を着ると、翌朝の十時にはテレンスの運転する車へ乗り、普段滅多に足を向けることのない左岸地区へと向かった。

 

「確かにそうだね」と、ギルバートも珍しく母に心から同意する。「ダイアナがもしダイアナじゃなかったら、俺もあんなに心を開いて、自分の本当の母親じゃないかというくらい愛することはなかったと思うよ」

 

 こうした嫌味とも取れることを息子が口にしても、シャーロットのほうではまったく気にも留めない。ダイアナが家事と育児のほとんどを引き受けてくれたので、そのお陰で自分は毎日好きなように外出できてよかった……彼女の鳥頭としては、そうした理解だったからである。

 

「そうだな。それに、ダイアナの作ってくれた料理の美味しいことといったら……もう彼女のポテトグラタンもスコーンもマフィンも食べられないかと思うと……父さんは今後、一体どうやって生きていったらいいかと思うくらいだね」

 

「あら、あなた!ダイアナよりもダイアナの作ってくれた料理が恋しいっていうの?」

 

 妻が怒ったような振りをしても、テレンスのほうでは気にも留めない。シャーロットにも、彼がダイアナの料理よりもダイアナ自身のほうを大切にしていることなど、わかりきったことだったからである。

 

「でも、俺だって、もう家に帰ってきてもダイアナがいないとなったら……実家に帰ってくる意味自体ないとしか思えないな。ダイアナの作ってくれるクッキーもブラウニーも、その他どんな料理も、彼女ほど美味しいのを外の世界で食べたことがないってくらいだったんだから」

 

「あら、ギルバート。流石にそれは大袈裟なんじゃなくて?」

 

 シャーロットは今度は、少しだけ面白くなさそうな顔をした。

 

「ユトレイシアの駅前通りには、三つ星店がいくつもあるくらいですからね。ダイアナも料理上手だったけど、流石にプロのコックさんたちには敵わなかったはずよ」

 

(そういう意味じゃなくってさ)

 

 ギルバートはそう思ったが、こんなくだらないことでいちいち口論しても仕方ない。ゆえに、バックミラーをちらと見た父と眼差しを交わしあい、ダイアナの話は一度それきりとなった。

 

 テレンスは一応、カーナビのほうに教会の住所をインプットしてから家のほうを出発したのだが、橋を越えて左岸へ渡ったのち、彼らは道に迷う羽目に陥った。何分、右岸地域については、ほぼ碁盤の目状に丁目や番地がわかりやすく並んでいるため、それが何条の何丁目にある地区かと聞いただけでも、長く住んでいる住民にとっては位置検索が容易だったといえる。だが、左岸地区というのは駅周辺以外の地域に関して、特にはずれのほうでは住所の表記すら若干あやしい場所まで存在しているのだ(ここに、右岸地区と左岸地区の住人の支払う住民税の違いが如実に表れているといえよう)。

 

 だが、ダイアナの住んでいる場所も、その区域にある教会も、左岸の危険地区と隣接していたとはいえ――うらぶれた住宅街だという以外では、車のナビシステムが表示できない場所だということは決してないはずだった。テレンスはしきりと「おかしいな」と首をひねり、路肩に車を停めてナビに教会の住所を入力し直したりしたが、車を停車して十分としないうち、左右の建物から人相のいい黒人青年がぞろぞろ出てきたのには驚いた。そこで、テレンスはメルセデスをすぐに発進させたわけだが、この時点で自分たちがこの界隈にとって目障りな存在らしいということは、彼ら三人ともがよく理解できたと言ってよい。

 

「ギルバート、まかり間違っても将来、何かの慈善心からでも左岸の病院へなんかやって来るんじゃないぞ。父さんもレジデント時代に何度か来させられたことがあったが、あんなところに一年いただけで、きっと燃え尽き症候群になってしまうだろうからな」

 

「そんなことより、あなた!早くしないとダイアナのお葬式に遅刻してしまうわよ」

 

 ギルバートは父の言葉に曖昧に頷くと、自分でもスマートフォンで地図検索をはじめた。だが、<聖サザンクロス教会・左岸支部>と検索をかけ、位置情報を得ることは出来たが、現在地からどこをどのように進んでいけば辿り着けるのかは、土地勘がまったくないせいか、彼にもいまひとつわからないままだったといえる。

 

「クソナビめ!おまえの言ったとおりに道を進んできてるのに、何が『目的地まで300メートルです』だ。どこにも教会なんかないじゃないか!」

 

 テレンスは決して気の短い人間ではなかったが、同じところをぐるぐる回るといった、非効率的な行為と時間の無駄には流石にイライラしたようである。

 

「ねえ、さっきもここ、通ったわよ。このナビ、もしかして壊れてるんじゃないの?」

 

「そんなわけあるか!狂ってるとしたら、左岸地区の土地のほうだろうよ」

 

 そしてこの瞬間――ラジオからタイムロケッツという、六十年代に『レディ・ダイアナ』というヒット曲を出して消えていった、そのただ一曲あるヒット曲が流れてきた。

 

 

 ♪おお、ぼくの可愛いダイアナ。愛しておくれ

 ぼくが誘うと、いつもすげない態度のきみ

 他の男に流し目をくれ、いつでもぼくのことは無視

 

 おお、麗しのダイアナ。ぼくと恋に落ちて欲しい

 ぼくの胸はいつでもきみのことでいっぱい

 おお、いとしのダイアナ

 ぼくの美しい、素晴らしい人……

 

 

 曲調のほうはロカビリー調で、今の時代のヒップホップ全盛の潮流と比べると、時代を感じさせる懐かしさがあるというよりは、かなりのところダサくさえ感じられる。だが、実に不思議なことだったが――三人がその歌詞の『ダイアナ』というところに気を取られた瞬間のことだった。

 

「ねえ、あなた!向こうに白い十字架のある建物があるわ。きっとあれが<聖サザンクロス教会>なんじゃないかしら?」

 

 教会近辺の通りは一通りまわったはずなのに、初めてその存在に気づいたというのは、彼らにしても不思議なことであったに違いない。鳥頭のシャーロットは「きっと、ダイアナが導いてくれたのね」とひとり納得し、最後に黒繻子のバッグからコンパクトを取りだすと、自分のメイクと帽子の位置をチェックし、さっさと車を降りた。

 

 なんにせよ、すでに葬式のはじまる十一時を軽く二十分ばかりも過ぎている。フォード家の人々にその自覚はなかったにせよ、彼らは喪服に身を固めた上流階級のセレブといった空気をあたりに撒き散らしつつ――築年数四~五十年といった、古式ゆかしきというより……ただリフォームするお金がないのだろうといった雰囲気の、古びた教会のドアをくぐっていった。

 

 壇上では、ステンドグラスとその上の十字架を背景に、中年の牧師が故人について聖書の逸話を絡め、何か話しているところだった。左右にそれぞれ十列ほど並ぶ木製の椅子には、二十人ほどの人々がそれぞれ三~五人くらいずつ、固まって座っていた。フォード家の人々が驚いたことには、彼らは誰ひとりとして黒い服など着ていないということだったに違いない。貧しすぎて喪服を持ってないということなのかどうか、それは右岸地区の富裕層である彼らの想像も出来ないことだったろう。かといって、「せめても黒っぽい服を」というのでもなく、そこにいる人々は誰もがみな地味なブラウスにスラックスであるとか、若い人であれば、薄汚れたパーカーにジーンズといったような普段着で出席していたのである。

 

「あ~、ダイアナ・ハーシュは、本当に素晴らしい女性でありました。聖書の箴言、第31章には『しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない』とありますが、まったくそのような女性であったと言えたでしょう。まるで控え目な輝きの真珠のように隠れた素晴らしい人柄を有し、夫のスティーブンとふたりの息子さんのことを心から愛され……ここ、サザンクロス教会の教会員としては、この上もなくよく奉仕してくださり、婦人会の中心的メンバーのひとりでもありました……」

 

 壇上の、黒人中年牧師のそのような言葉を聞きながら、ギルバートは両親とともに隅のほうへそっと腰かけた。おそらく、父も母もそうだったに違いないが、ギルバートもまたダイアナの家族の姿をまず真っ先に探した。もちろん一番近い親族なのだから、前のほうの座席にいるに違いない。だが、最前列には若いふたりの男性の他には、大体ダイアナと同じくらいの年齢と思しき女性が数人並んでいるだけで――たった今聞いた「夫のスティーブ」らしき人物を、ギルバートは一列目の座席のみならず、二列目にも三列目にも見出すことが出来なかったのである。

 

 これはあとでわかったことなのだが、この時ダイアナの葬式に出席していたのは、親戚がほんの7~8名ほどと、残りはすべて教会の婦人会のメンバーといった、彼女が生前親しくしていた人々だったらしい。また、夫のスティーブが妻の葬式に参加しなかったのは、借金取りから逃げまわっていたからであり、葬式の参列者が少なかったのも、彼が親戚中に金のことで迷惑をかけていた……といった事情があったようである。

 

 その後、それぞれ故人の棺に捧花して、教会の裏手にある墓地のほうへダイアナが運ばれるという時――生命を失った死者としてのダイアナと初めて体面したフォード家の三名は、高級な絹のハンカチを片手においおい泣いていたものである。ギルバートにしても、他の人々が静かに泣き濡れているといった感じなのに対し、自分たちがこんなにも激しく泣き崩れるというのは、なんとも礼儀に反している感じがした。だが、そうとわかっていても、ダイアナの死に顔を見た途端、胸の奥からほとばしるように涙がどっと溢れてきて……その魂の奔流ともいうべき何かを、ギルバートだけでなく、テレンスもシャーロットも抑えるということが不可能だったのである。

 

 もし、その光景を何かの映画のように、引きの視点で見た場合――棺の中の死者の家族は、間違いなくフォード家の三人としか見えなかったことだろう。また、彼らは三人ともが立派な喪服を着ていたことから、なんともその場から浮いて見えたわけだが、この涙に暮れるという一幕によって、ようやくその場にいたすべての人々と故人への哀悼の情を共有したようなところがあった。

 

 テレンスはそれでも、(死んだのは何も俺のおふくろってわけじゃないんだぞ)とばかり、ぐっと涙を堪えているところがあったが、シャーロットなどはせっかく整えたメイクが崩れるのも構わず、ハンカチを片手に嗚咽を洩らしていたものである。ギルバートも(成人に達した男が、人前で大泣きするなぞ恥かしい)といった意識は残っていたにせよ……それでも何かがどうしようもなく記憶から溢れてきて、その後もおいおいと泣くのを止められなかったほどである。

 

 こののち、墓堀り人がまだ十分な深さ、穴を掘っていないというので――十五分くらい、ギルバートたちは花を片手に墓地の片隅に佇むということになった。その間、ダイアナの姉と妹だという人がふたり、ヴェール付きの黒い帽子を被ったシャーロットの元までやって来た。「妹から、フォードさまのお宅のことはよく聞いておりました」と、頭に白いものの混じった姉のケイト。「あ、よく聞いておりましたなんて言っても、奥さまやお医者さまの旦那さまがどうしたこうしたなんて話じゃありませんのよ。ただ、とてもお可愛らしいお坊ちゃまがいらっしゃって、もう目に入れても痛くないくらいだなんて、ダイアナがよくそう言ってたもんですから……」

 

 ここで姉のケイトと妹のローリーは、ギルバートのほうをちらと見た。ギルバートもまた、瞳の涙を拭いつつ、軽く目礼する。

 

「わたしたち家族は、ダイアナにはもう、お礼のしようもないくらい、よくしていただいて……」

 

「いえいえ、そのような奥さま!」と、ローリー。「ダイアナのほうこそ、フォードさま方にどれほどよくしていただいたか知れません。こう言ってはなんでございますがね、お給金のほうも他のところで家政婦として働いたりするより、どれほどよいかといったことも、姉からは聞いておりました。でも、どんなにダイアナが一生懸命働いても、甲斐性のない夫に浪費されるばかりで……」

 

「妹は、本当に苦労、苦労ばかりの人生でございました」ケイトは再びこみあげる涙をハンカチで押さえていった。「何分、あまりに急なことでございまして……前日には会って、お互いに作ったお菓子なんかつまみながら、姉妹三人でくだらない世間話をしたばかりだったのに……まさか、翌日にはこんなことになるだなんて……」

 

「そんなこと、わたしたちだって同じですわ!」シャーロットが夫のことを振り返ると、テレンスもまた、重々しく頷いている。「つい先日には美味しいお料理をいつも通り作っていただいて、あとはわたしのくだらない世間話の相手をしてもらって……その時はそう意識いたしませんでしたけれどね、ダイアナに色々とくだらない悩みを聞いてもらったりしたことが、どれほど心の慰めになっていたか知れませんわ。こんなことを言ったらなんですけれど、夫が医者なものでしょう、だからうちの人なんか、もしうちで倒れたのだったら、自分がすぐ適切な処置をして、ダイアナは一命を取り留めたんじゃないか、なんて……」

 

 ここで、ダイアナの姉妹とシャーロット、それにテレンスとは再びしめやかに涙した。ギルバートはこの間、他の人々が小さく固まって故人を偲ぶ話をしたり、あるいは墓堀り人が墓を掘るのを眺めたりしていたが――ある瞬間、教会のひび割れた小汚い壁によりかかる、若者ふたりの姿が目に入ってきた。牧師が話をする間、最前列にいたことから、ダイアナのふたりの息子ではないかと思われる人物である。だが、片方の青年は煙草を吸い、もう片方の青年はくちゃくちゃガムを噛むような仕種をしており、ギルバートとしては(あの愚鈍そうに見える青年がダイアナの息子たちのはずがない)という強い猜疑心に悩まされた。

 

 はっきりしたことまではわからなかったが、ケイトやローリーがシャーロットと話している口振りから察するに、この葬式の費用の一切を受け持ったのは彼女たちだったらしい。とはいえ、ギルバートの記憶が間違っていなければ、ダイアナの息子たちはふたりとも、30歳とか28歳とか、そのくらいなはずである(実際、彼らはそのくらいの年齢の見た目をしてもいる)。もちろん、ハーシュ家の家庭の事情についてまで、ギルバートも詳しくはわからない。彼らふたりもまた、父スティーブの借金の犠牲になった文無しなのかもしれないし、愛する母の葬儀費用も負担できなかった片身の狭さから、葬儀の集団の輪から外れたところにいた……という可能性もなくはなかったろう。

 

 だが、ダイアナの棺が地中深く埋められ、献花がなされ、最後に土が被せられる――という段になる頃には、ギルバートにしても悟っていた。聖サザンクロス教会へやって来る前に、車の中でちらと考えていたようなこと、つまり、あのダイアナの息子たちであれば、きっと友達になれるのではないかといったようなことは、ただの幻想にすぎないらしいということを……。

 

 というのも、葬儀が済むなり、ダイアナのふたりの息子のジェイムズとローガンは、母親の生命保険の書類に関してケイトやローリーに話しかけ、「あんたたちはまったくもう!」と、泣きはらした赤い顔の姉妹に呆れられていたからである。正直、最後にそんな一場面を目撃してしまったことで――ギルバートもショックだった。ダイアナは留守がちな母に代わって、小さな頃から色々な遊びにつきあってくれたり、ギルバートの子供らしい空想につきあい、一緒に物語作りをしてくれたこともあれば、毎日ように絵本を読んでくれたという人でもある。そこから類推して、ダイアナの息子たちはふたりとも、はちきれんばかりに幸福な子供時代を過ごし、成長後は貧しいながらも立派な職に就き、母親孝行をしている……何故、自分は何も知りもしないのに、こんなにも長い間そんな妄想を信じ続けることが出来たのだろうか?

 

『妹の人生は、苦労、苦労の連続で……』

 

 ダイアナの姉の言葉が、帰りの車の中でギルバートの胸に深く突き刺さった。寄宿学校から帰ってくるという時には、これでもかというくらい、たくさんのご馳走を用意してくれていたダイアナ。特に、初めて寄宿学校へ行くという時と、次に休暇で戻るという時には、彼女は母親のように泣いてくれたものだった。

 

『聖書の箴言、第31章には「彼女の値打ちは真珠よりもはるかに尊い。彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない」とありますが、まるで控え目な輝きの真珠のように隠れた素晴らしい人柄を有し……』

 

 本当に、ダイアナは牧師の語っていたような人物だったと、ギルバートとしてもそのように思うばかりだった。だが、借金ばかりのろくでなしの男と一緒になったばかりに、苦労の絶えない人生だったのだろう。また、金の苦労の皺寄せを食ったことで、ふたりの息子が健全に育たなかったという可能性も、大いにありうることだったに違いない。

 

(そうだ。俺が小さい頃、ダイアナは日曜以外は大体うちに夜遅くまでいた。夫の借金ゆえに、そのような形で働けるほうが、彼女にとっても助けになることだったにしても……俺が――いや、俺たちが無神経にもダイアナが息子たちと過ごす時間を奪ったことで、母と子の心の交流が失われ、ダイアナの息子がふたりともあんなふうに育ってしまったのだとしたら……)

 

 その日の夜、ギルバートは久しぶりに実家のほうで過ごした。おかしな話、まだダイアナの魂のようなものが、そこここに漂っているのではないかと感じられるのが不思議だった。

 

 家政婦のほうは、昔勤めてくれていたメアリー・コメットがやって来ることになっていたが、何分急なこともあり、それは再来週の月曜日からということになっていた。ゆえに、その日の夕食はテレンスとギルバートのふたりで作ることになり――料理オンチのシャーロットも手伝おうとしたものの、テレンスが慌てて止めていたところを見ると……おそらく過去に何かあったのだろうと、ギルバートとしてはそのように推察するばかりであった。

 

 果たして、これからダイアナ抜きでも我が家はうまくやっていけるのかどうか、ギルバートにもわからない。とりあえず、家政婦のメアリーがやって来るまでは、彼も実家から大学へ通おうと思ってはいた。何より、ダイアナが家のあちこちに残していってくれたぬくもりを感じていたいがために、ギルバートにしてもタワーマンションの最上階のほうへはまだ帰りたくなかったというのがある。

 

 

『ギル坊ちゃま、大学入学おめでとうございます』

 

 受験会場へ行く日も、合格がわかった時も、パブリックスクールを無事卒業できた時も……いつでも、ダイアナは我がことのように喜んでくれたものだった。『ギル坊ちゃまが緊張せずに試験を受けられるよう、ダイアナめも微力ながら神さまにお祈りしておりましたよ』と……。

 

(ここのところ大学生活のほうが忙しくて、実家のほうへは帰って来れてなかった。でも、今にしてみるとそのことがすごく悔やまれる。ダイアナは、ほんの時々俺が帰ってくるだけで、物凄く喜んでくれたし、俺にとってそんな存在は、この世でただひとり彼女だけだったというのに……)

 

 ギルバートは二階の自分の部屋で横になると、これまでERなどで見た、家族の悲劇的な訣別の場面が、まるで走馬灯のようにいくつも思い出された。実習生として、様々な雑務をこなす合間に見るそうしたシーンはある部分、医療ドラマの劇的な数シーンを見ているかのようで――ギルバートは時折あまり現実感を感じることが出来ないほどだった。彼にしても一応、(自分の父親が交通事故に巻き込まれて搬送されてきたら……)とか、(同じように母が突然脳梗塞か心臓発作に見舞われたとしたら……)と、そのたびごとに想像してみようとはしてきた。けれど、結局のところ彼らのショックはやはりどこか自分のものではなかったのである。唯一、クリスティン・ランドリューの死や、小児科病棟の子供たちの苦しみについてのみ、(自分がもし彼らの親だったら……)というのではなく、彼らの痛みをギルバートは自分のものとして考えることが出来たとはいえ――これからは今感じているダイアナの死という喪失感によって、より深く患者家族のやりきれない悲しみに寄り添うことが出来るに違いない。

 

(明日は、ダイアナが作り方を教えてくれたクッキーでも作ろう。今日は、父さんとダイアナの味を再現しようとしてあまりうまくいかなかったけど……でもクッキーだったら、俺もダイアナの味のものを作ることが出来る)

 

 

『ダイアナはすごいね。スーパーウーマンだね!』

 

『あら。そんなに褒めていただいても、もう何もでませんよ。これから寝かせたクッキー生地を取り出して、焼こうとは思ってますけどね』

 

『ううん。ダイアナはやっぱりスーパーウーマンだよ!毎日ぼくたちのために、美味しいものを作ってくれたり、色々細かいことや小さいことにも気をつけてくれて……ぼく、将来結婚するとしたら絶対ダイアナみたいな人がいい』

 

『おやまあ。でも、ギル坊ちゃまは格好よくてらっしゃるから、きっと将来はよりどりみどりでしょうね。ダイアナも、ギル坊ちゃまが立派に成長されて、どんな方と結婚するのか見てみとうございますよ』

 

 この時、ギルバートは初めてクッキー生地なるものをこねて、電車や飛行機など、自分なりに好きな形にしてダイアナに焼いてもらった。ダイアナは最初、『坊ちゃま、こんなに生地が分厚いと生焼けしちゃいますよ』と注意したが、ギルバートは頑として聞かなかった。『ううん、絶対この形がいいの!この形が最高なの』……もちろん、ダイアナが綺麗に形作ったり、型抜きしたものは、きちんと火が通っていて美味しかったが、ギルバートは飛行機や電車の真ん中あたりに火が通ってないことに、一口食べてすぐ気づいた。

 

 けれど、ダイアナは『だから言ったでしょう』などとは、決して言わなかった。彼女はいつでもそうだった。ギルバートに対してだけでなく、テレンスにもシャーロットにも、他人の過失というものに対し非常に寛容だったのである。そして、『これはこれで美味しゅうございますよ、坊ちゃま』と言って、ギルバートの作った生焼けのクッキーをもぐもぐ美味しそうに食べてくれた。ああ、それに彼女の焼いてくれたスコーンやマフィン、それに紅茶の美味しかったことと言ったら!

 

 ギルバートはいつでも、ダイアナがキッチンで立ち働く姿を見ながら勉強するのが好きだったが、ある時、こんなことがあった。確かこれも、小学四年生か五年生くらいのことだったように記憶している。

 

 

『ねえ、ダイアナ。イカとかタコって知ってる?』

 

『ええ、ダイアナはあまり物を知りませんけどね、イカとタコのことくらいは存じておりますとも、坊ちゃま』

 

『じゃあ、イカやタコが無脊椎動物だってこともわかる?』

 

『ムセキツイ……?ようするに、人間みたいには背骨がないってことでしょうかね』

 

『そうそう。ぼくね、イカとかタコって軟体動物だと思うの。それで、教科書にも無脊椎動物だって書いてある。そいでね、パブリックスクールの受験問題の選択肢には、「次のうち無脊椎動物はどれか、すべて選べ」なんて書いてあるの。ぼくね、もちろん答えはわかってるんだ。タコやイカは無脊椎動物だから、そういうふうに答えればいいの。あとはエビとかカニも甲殻類で、無脊椎動物なんだよ。そいで、魚やトカゲなんかは、人間と同じく背骨があるから脊椎動物でしょ?だけど、この間テディとロイが、タコやイカは軟体動物だけど、骨みたいに見えるものがあるっていうわけ。ぼく、ふたりに言ってやったんだ。絶対そんなことあるはずないって。だけど結局、2対1で負けちゃったの……』

 

 小さな子供の、素朴な疑問がおかしかったのだろうか。ダイアナはここで、とても愉快そうに笑っていた。

 

『どれ、ギル坊ちゃまほど賢くないダイアナにも、ひとつくらいはわかることがあるようでございますね。タコについては今日、冷蔵庫に丸ごとありませんから確認できませんけれども、イカなら新鮮なのがありますから、ダイアナがひとつ、坊ちゃまにイカには確かに骨っぽいものがあるのを証明してあげましょう』

 

 こう言って、ダイアナは冷蔵庫にあったヤリイカを一杯取りだすと、足や内臓を切り離し、軽く包丁を入れ、最後イカから透明な骨を綺麗に取りだしていた。

 

『あっ、ほんとだ!イカって透明な骨みたいのがちゃんとあるんだ。ねえ、ダイアナ!今の骨とるの、ぼくにもやらせてよ』

 

『ようございますとも。今日はパエリアですからね。やわらかいイカがたっぷり入ってたほうが、旦那さまも奥様もお喜びになりますでしょう』

 

 ダイアナとした会話であれば、物心ついた時から、数え切れないほどたくさんある。そしてこの時、ギルバートはいかに自分が当たり前のように彼女の愛情の乳に与ってきたかに、あらためて気づいたのだった。

 

(そうだ。俺だけじゃない……父さんも母さんも、もしダイアナがいなかったら、最悪離婚してた可能性があったんじゃないか?『自分は仕事が忙しくて仕方ないが、おまえは専業主婦なんだから、もっと息子の面倒をみろ』とか、俺のほうでむしろ『そんなくだらないことで喧嘩なんかしないでよ』ということで、口論してたかもしれない。だけど、いつでもダイアナが俺と母さん、あるいは父さんと母さんの間に入る形で、そんなにしつこくない接着剤みたいな形で作用してくれたから……うちは、これまでどうにかうまく家族として機能してきたんだ)

 

 実際、自分が小さな頃、もし家にダイアナがいなかったらと想像しただけで、ギルバートは心底ぞっとしてしまう。また、彼女じゃなくて他の家政婦が大体似たことをしてくれていれば、結果のほうは同じだったのではないかとも、ギルバートにはまるで思えない。

 

(僕も母さんも父さんも、相手が他でもないダイアナだったから、家族みたいにずっと四人でいるのがあんなに自然で当たり前だったんだ……)

 

 この日、ギルバートは昔ダイアナが読んでくれた絵本を枕元に置き、涙にかき暮れながら眠った。「孝行したい時に親はいない」とはよく言われることであるが、この時彼は「もっとダイアナ孝行がしたかった。それに、こんなふうになるとわかってたら、マンションで独り暮らしなんて絶対しなかったのに……」そう思い、苦しい胸のうちに何度もかつての優しいダイアナの面影を思い浮かべては――ギルバートは悲しみに心を乱されたまま、やがて眠りに落ちていったのだった。

 

 

 >>続く。

 

 

 

 

 


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