>>だれもが外科手術に魅力を感じるわけではない。初めて手術に立ち会った医学生は、外科医がメスを人の体に押し当てて果物か何かのように切り開くのを見て、恐ろしさに身震いするか、畏怖の念で見とれるか、いずれかの反応をする。私は口をあんぐりとあけていた。私を魅了したのは、血や内臓だけではない。ふつうの人が、大胆にもメスをふるうようになるという事実だった。
外科医については、自戒をこめたこんな格言がある。「ときには間違いも犯す。しかし、決して迷うな」。しかし、私には、これが医学の強みだと思える。毎日、外科医は不確かさに直面している。情報は当てにならない、科学は不明瞭だし、知識と能力は不完全だ。簡単きわまりない手術の際でも、患者が良くなるのか、あるいは生命に別状はないのかですら、保証はできないのである。初めて手術台の横に立ったとき、私はこう思った。この外科医は自分がこの患者に最良のことをしてあげられることを、すべての手順が予定したとおりに進むことを、出血がひどくならないことを、感染が起こらないことを、あるいは内臓を傷つけないことを、果たしてわかっているのだろうか、と。もちろん、わかってはいない。それでも、外科医は切るのだ。
まだ医学生だった頃、私は切開手術を行う機会を与えられた。担当の外科医は、眠っている患者の腹にフェルトペンで十五センチの点線を描いた後、なんと、私にメスを渡すように看護師に指示した。今でも覚えているが、メスは高圧滅菌器から出したばかりでまだ温かかった。外科医は、左手の親指と人差し指で、肌がピンとなるように引っ張れと命じた。そして、脂肪の部分まで、一息にスーッと切るように言う。私は患者の腹部の皮膚にメスの刃を押し当て、切った。このときの経験は、奇妙でいてどこか引きつけられるものがあった。それは、計算された暴力的行為からくる興奮と、うまくできるだろうかという不安と、これが患者にとってともかく良いことであるという信念とが入り交じったものだった。それに、思っていたよりも力がいるのだな、というかすかな不快感も覚えた(皮膚は厚くて弾力があり、一回では十分な深さにまで達しなかったので、二回切らなければならなかった)。そして、この瞬間私は外科医になりたいと思った。短い間メスを使わせてもらう素人ではなく、日常業務であるかのように、自信を持ってこの行為をこなせる人間になりたかった。
(『コード・ブルー~外科研修医 救急コール~』アトゥール・ガワンデ先生著、小田嶋由美子さん訳/医学評論社より)
わたし、この小説、あくまで軽い気持ち(?)で書いてるので、何か深いメッセージ性があるわけでもなんでもないんですけど(というか、浅いメッセージ性しかない・笑)、医療関係の何かが出てきた場合、とりあえず昔読んだ本を読み返すとか、何かそんなよーなことはするわけです(^^;)
その中でも、アトゥール・ガワンデ先生の本はピカ一と思うのですが、『コード・ブルー~外科研修医 救急コール~』の中には、ガワンデ先生の研修医時代、あるいは医師になってからの失敗談、また、他のお医者さんのミスや失敗についてなども、赤裸々に書いてあったりします
これは、最初に読んだ時もそう思ったんですけど、「日本ではほぼ絶対的にありえないことだな~」と思うんですよね。もし仮にそのお医者さんが定年を迎え、自分の医師人生を振り返って本を書いたりした場合ですら……「そのミスしたという患者さんはその後どうしたんだね!?」とか、「賠償金としていくらくらい払ったんですか!?」とか、「実はその方だけじゃなく、他にも手術でミスした人はいたんじゃないですか?でもあなただけじゃなく、うまく誤魔化したり隠蔽したお医者さんって絶対いるでしょうし、その率は全体としてどのくらいのパーセンテージに上るんでしょうか?」などなど――お医者さんとしてのせっかくの輝かしい経歴に傷がついたりと、色々あるだろうなと思うわけです(^^;)
あと、本を読んでて思うのは、これはあくまで日本人の気質によるところが大きくて、「自分のミスを潔く認めたことに対する勇気」というか、向こうの方はそのあたりを受け容れる精神が、少なくとも日本人よりは発達してるっていうことなんだろうなあと思ったり(そのかわり、医療裁判については向こうのほうがえげつないイメージ強いわけですけど)。
なんにしても、↓のお話の中において、「なんの外科医になるべきか」迷っているらしきギルバート先生。前回から続いてる今回の小話は、ギルバート少年が「お父さんは自分に医者になって欲しいらしいけど、でも本当にお医者さんになりたいかどうか、まだわかんないや」くらいだったのが、お母さんの入院きっかけで、総合病院内をあちこち見てまわるうち……「お医者さんになろうかな」、「なってもいいかな」と最初に思ったきっかけとして、一応大切かな~みたいなエピソードだったりします(^^;)
次回は確か、ダイアナのお葬式だったと思うんですけど、その次からまたギルバート先生の病院での実習風景(?)といった展開だったような気がしたり(これから読み返します・笑)。
それではまた~!!
レディ・ダイアナ。-【3】-
こののち、ギルバートは二階、三階、四階、五階……と、意味もなくこの総合病院を順に回って歩くことにした。もしナースステーションあたりで「ちょっと坊や、どこいくの?」とでも見咎められたとすれば、「お母さんのお見舞いにきたんです」と言えば済むと思っていた。そしたら向こうでは、「あら坊や。産婦人科病棟は六階よ」とでも言って、話のほうは終わりになるだろう。こうして、ギルバートが病院内をあちこち探検して、子供らしい冒険心を満足させてのち、最上階まで見て歩いた時のことだった。
(そろそろ、お母さんも目を覚ましたかな。一度、六階のほうへ戻ろう)
そうギルバートが思い、少し疲れたので、病棟の休憩室らしい場所で、チョコレート菓子をポケットから出した時のことだった。その休憩場所の隅には喫煙室があり――頭に何か、特殊な装具をつけた中年男性が、そこでスパスパ煙草を吸っていたのである。
だが、ギルバートはこの背の高いおじさんに対して、最初特にどうとも思わなかった。というのも、その喫煙室はドアと透明な壁によって仕切られ、個室のようになっていたし、彼のことを自分のような子供が気にする必要はまるでないと思っていたのである。
けれど、ギルバートはやはりなんとなく、そのおじさんのもじゃもじゃした前髪と(それ以外の後ろの髪は綺麗に剃毛されている)、そこに……頭の四隅をしっかりボルトで留めたような、金属の装具のあるのがなんとなく気になった。もちろん、SF映画よろしく、頭部の四隅を直接ボルトで締め上げられているわけではない。おそらく、頭の位置がずれないよう固定する必要性のあることから――この顔が浅黒い男性はそのような特殊な装具をつけているものと思われた。
(あのおじさんは一体、なんの病気なんだろう……)
ちなみに、この十二階は脳外科病棟であった。ギルバートは利発な少年であったが、それでも脳神経外科という場所が、具体的にどういった患者のことを診る科なのか、具体的なことはあまり思い浮かばない。
(脳外科なんだから、脳の病気ってことなのかな。でも、アルツハイマー病か何かで、あんな装具が必要になるとは思えないし。あとは交通事故にでも遭って、脳の中身が外に出ちゃったとか……)
実をいうと、ギルバートがこんなふうに考えたことには理由がある。その背が高い、肌の浅黒い男性は――あまり高学歴でない労働者階級といった雰囲気であり、どこかくたびれたような病衣を身にまとっていた。そこから連想してギルバートは、(ちょっと頭のおかしくなった変わったおじさん)というように、彼に対し感じていたわけである。
(あっ、やべっ。じろじろ見てたら目が合っちゃった。そろそろお母さんのいる病室に戻ろうかな……)
ギルバートがそう思い、長椅子から立ち上がりかけた時のことだった。奇妙な装具をつけた親父が、歩行器に寄りかかって喫煙室から出て来たのは。
ギルバートはきっと彼が、彼自身の病室へ戻るのに、そのまま自分の前を通りすぎ、廊下を歩いていくものと考えた。ところが彼は、ギルバートの隣にどっかと腰を下ろすと、その横に歩行器を置いたのである。
「坊主、こんな病院になんか用でもあったのかい?」
喫煙室の匂いが病衣に移っているのだろうか、男の体は妙に煙草くさかった。それと、ギルバートの気のせいでなければ、軽くアルコールの匂いも、そこに混ざっている気がする。
「ええと、お母さんが入院してるので、そのお見舞いに……」
「そりゃてえへんだな。おっかさんは、どこが悪いんだい?」
「なんだっけな……シキュウキンシュだかなんだか。お母さん、まわりの人にその病名言うの嫌みたいで、こっそりここに入院したの。だから、友達もいなくて寂しいかなと思って、毎日お見舞いに来てるんだ」
男のほうでは、『産婦人科病棟は六階なのに、なんでこんなところにいるんだ?』などとは聞かなかった。ただ、「へえ、そうなのかい。そりゃ大変だな」と言っただけである。
「おじさんは、どこが悪いの?」
ギルバートは、おかしな金属装具の秘密を知りたくて、そんなふうに聞いた。
「おじさんかい?おじさんはなあ、ありゃもう三週間くらい前のことになるかね。脳梗塞だかで、突然ぶっ倒れちまったのさ。何分、あんまり急なことだったもんで、倒れる時に防御姿勢すら取れず、前のほうからバッタリ倒れちまった。お陰でな、前歯のほうが二本、もうバッキリよ」
そう言って、頭もじゃもじゃ親父は歯を見せるようにして不気味に笑った。先日見舞いにやって来た、彼の孫ふたりはその瞬間大爆笑していたが――ギルバートは少しも笑わなかった。突然倒れた上に前歯まで失うことになって、そんな親父のことが心底気の毒だとしか思えなかったのである。
「まあな。どうせ、煙草のヤニで真っ黄色の前歯よ。お互いオサラバできて、ある意味ちょうど良かったわな。入院中にここの歯医者に足しげく通って、新品の真っ白いのを仕立ててもらえばいいわな」
「ふうん……おじさん、ノウコウソクって、どんな病気なの?」
腕を寄りかからせるところに包帯をぐるぐる巻いた歩行器を見ながら、ギルバートはそう聞いた。
「なんだったっけかな。なんかこう、血液の中に血栓が……まあ、コブみたいなもんだわな。それが出来て、ある日ポロッとはがれてそいつが血流にのり、頭の中の血管が詰まっちまったわけだ。おじさんが倒れたのが、まさにその瞬間ってことらしい。おじさんはな、ここの病院の通りの向こう、数ブロック先にある建設現場で働いておったんだが、昼休みに中華料理食って現場へ戻ろうとしたら急にバッタリよ。いやはや、その倒れた場所ってのがな、この高級病院の真ん前ってわけで、本来ならおじさんは、こんな病院に入院する金なんかねえ。が、まあ、こんな小汚ねえ親父が病院の救急科の真ん前でバッタリ倒れておるのを、助けないってわけにもいかなかったんだろう。そんなこんなで、おじさんはここで手術受けて一命を取り留めたってわけだわな」
「そうなんだ……運が良かったんだね」
「そうだな。医者も看護師も見舞いにきた家族もみんな、同じことを異口同音に繰り返してばかりいるわな。まあ、おじさん的にはあのままオダブツってことでも、良かったような気もせんことはないんだがな」
(またもう一本、煙草が吸いたくなってきた)というような目をして、親父は喫煙室のほうをじっと見つめている。
「どうしてですか?自分は運が良かった、そんな形で助かったのも日頃の行いが良かったからだ、神さまありがとう……みたいにはならないってこと?」
「う~ん。そうさな……おじさんは今、六十三か。ま、今後人生でなんか楽しいことがあるかっていや、それなりに色々あるっちゃあるだろう。けどまあ、大体のことは過ぎ去っていったわな。せっかく助かった命だ、これから頑張ってもっとなんか成し遂げようとまでは――ま、おじさんには何かこう、あまり思えんのだて」
ギルバートには理解できなかった。いや、この時も子供なりにこう考えてはみた。自分も、あと五十三年ばかりも生きて、この世という場所があまり居心地よくなかったとすれば……もしかして、そんなふうに思うのだろうか、といったようには。
「坊や、坊やは今いくつだい?」
「十歳です」
「そうかあ。ま、おじさんの孫たちと大体、似たような年ごろかな……おじさんにはな、九つになる女の子の孫と、八つの男の子の孫がいる。孫ってのはまったく可愛いもんだわな。なんでかっていうと、これが親ってことになると責任重大なわけだが、孫ってのはワンクッション置いて、その責任のほうが随分軽くなる。そいでな、女の子っていうのはやっぱり、なんといっても男次第、結婚次第さ。いくら男女平等だなんだ言ったところで、結婚してなけりゃそのことをいずれ引け目に感じるし、子供がいなけりゃいないで、遠まわしに傷つくようなことをチクッと言われたりするわけよな。なんにせよ、それが世間というもんだ。で、ほいじゃ男に生まれりゃいいかと言えば、これがそうでもない。坊やは、それがなんでだかわかるかい?」
「ええと……どうかな。でも、ぼくは女の子に生まれるより、自分が男でよかったなと思ってるけど」
(子供相手に、難しいことを聞いちまったかな)という顔をして、親父は続けた。
「男ってのはな、坊や。いつでもなんかしてなきゃならんものなのさ。まあそりゃ、世の中にはろくに仕事もせず、アル中やらヤク中やらになって女房をぶん殴るってな手合いの、一般にクズと呼ばれる男どももいるんだろう。が、まあ、おじさんだってなんかちょっとした悪いことが重なりゃあ、そんなクズ路線一直線だったかもしれん。どうにかギリギリ運のいいところで、そこまで墜ちなくて済んだという、ただそれだけでな……」
(だからやっぱり、おじさんは運がいいんじゃないですか?)と、ギルバートが言おうかどうか迷っていた時のことだった。「オコナーさん、こんなところでまた煙草吸って!」と、少し太めだが、それゆえにグラマーな感じの看護師がやって来て、そう大声で怒鳴った。まるでソプラノ歌手にでもなれそうな声量だった。
この瞬間、ギルバートの見間違いでなかったとすれば――オコナー氏は腰から三センチくらい浮き上がって見えたものである。
「いやあ、おりゃあ煙草なんか吸っちゃいねえよ。な、こうして可愛らしい坊主とお話を……」
「嘘おっしゃい!いつ会ってもぷんぷんタバコくさいんだから」
そう言って、妙に貫禄のある看護師は、くんくんあたりの匂いを嗅いでいる。
「あっ、タバコだけじゃないな~!オコナーさん、またこっそり隠れて病室でビールか何か飲んだでしょ。そういう飲酒や喫煙の習慣が脳梗塞という事態を招いたってわかってます?っていうかわたしも、他の看護師も先生も、もうこのこと、五百万回くらい言ってる気がしますけど?」
「まあ、そう怒るなって、看護師さんよお。血圧上がるぜ、それじゃなくてもストレスの多い職場なんだろ?」
「まったくもう!人のことより自分の健康の心配なさいな、オコナーさんたら!!」
――こうして、看護師に対して妙にヘコへコしながら、オコナー氏は歩行器に寄りかかって去っていった。結局のところ、謎の金属装置についてはわからずじまいだったわけだが、のちに医学生になってから、ギルバートはふとこう思わぬでもなかった。何分、その頃より十年もの時が流れ、脳外科の手術等についても変化があったことだろう。それでもおそらく、一度手術のために頭蓋骨の一部を抜いたのではないだろうかと思った。そしてその間あの奇妙な金属装置によって頭部を暫く固定しておく必要があったのではないかと(とりあえず、今のところギルバートは脳外科病棟においてまったく同じ頭部固定装置というのを見たことがない)。
シャーロットが入院中、ギルバートが何度もこうした院内探検を繰り返し、母が無事手術を終え、退院するという日のことだった。その日もギルバートは、野草などを摘んで花束にし、母親に渡そうと思い楽しみにしていた。ところが……。
個室のドアを開けた途端、聞こえてきたのは、とても愉快そうな母の笑い声で――床頭台には真っ赤な薔薇の花束が花瓶に活けてあった。ギルバートはその瞬間、咄嗟に自分の貧弱な花束のことは、背中のベストの後ろへ隠し、ベルトのあたりにぎゅっと押し込んでいたものである。
「やだわ、大した手術でもないのに、お見舞いだなんて良かったのに……」
ギルバートが病室に入ってきても、シャーロットは息子の存在に気づかぬままだった。というのも、体格のいい見舞い客の男の背中に隠れ、ギルバートの姿が彼女の視界からはちょうど死角に入っていたからである。そしてシャーロットは、いつも息子がやって来た時以上に嬉しげで、どこか恋でもしているように上気した、薔薇色の頬をしていたのだった。
「水くさいじゃないか。パートナーの僕にまで、二週間くらい旅行へ行くだなんて嘘をついて……ついおとついね、テレンスとばったり会って、『家族で保養地へ行ったんじゃないのかい?』って思わず聞いちゃったんだ。なんでそんな、すぐバレるような嘘をついたんだい?テレンスのほうでは変わらず病院で診療してるんだから、他のダンス仲間にもすぐわかったかもしれないのに……」
ここでようやく、彼――エドウィン・カーターはギルバートの存在に気づき、「やあ、ギル」と挨拶した。一方、ギルのほうでは軽く会釈しただけで、「母さん、退院の準備できてる?」と、少し冷淡な口調で聞いた。シャーロットのほうではすでに化粧までばっちりしてあり、服装も整っていたものである。だが、荷物のほうをバッグに詰めている途中でエドウィンがやってきたのだろう。ギルバートは母親のダンスパートナーを長く務めている男には見向きもせず、母の身の回り品をヴィトンのバッグに詰めはじめた。
本当はこの日、ギルバートは母とタクシーで自宅へ戻る予定であったのが、エドウィンのBMWに乗って帰ることになり……ギルバートは後部席でひとり、ムッツリした顔をしたままでいた。エドのほうではおそらく、(十歳くらいのぼくちゃんであれば、そんなものだよな)くらいにしか思ってなかったに違いない。だがこの時、ギルバートは猛烈に腹を立てていた。いや、違う。母親がお礼にとエドのことを家に招き、彼らがその後も楽しげにお茶する間……その話を聞いているうち、その腹立ちはやがて悲しみへと変わっていったのだ。
この二週間の間、ギルバートは毎日母のいる病室まで見舞いに行った。だが、エドウィンがやって来た時ほどの笑顔を、その二週間の間にシャーロットが息子に向けたことは一度もない。手術するまでの間、ギルバートは毎日神さまに祈ってすらいた。(みんな、大した手術じゃないなんて言うけど、それでも手術は手術です。どうか、お母さんがどこもなんともなく、無事この手術が済みますように。そのためだったらぼくは、これからなんでもします)といったように……ああ、それなのに!!
エドが帰ると、ギルバートは打ちのめされた思いで、二階の部屋でひとり泣いた。そして思った。何故ならこの時初めて、自分の父親が何度誘っても『父さんはママのお見舞いには行かない。行くならおまえひとりで行きなさい』と言ったのか、その理由について――初めてその意味がわかったからである。
(そうなんだね、父さん。だから、父さんは母さんが何度誘っても、母さんのダンスパーティ関係の集いやら大会へは絶対参加しないんだ……そりゃそうだ。エドなんてあんなやつが母さんと手を握ったりなんだりして社交ダンスするところなんか、見たくもなかったろうからな)
ちなみに、エドウィン・カーターも結婚しており、彼とシャーロットの関係というのは、純粋なダンスパートナーということではあるらしい。(だが、本当にそうなのだろうか?それだけなのだろうか……)という猜疑心に、テレンスが結婚後も長く悩まされてきたろうことは想像に難くない。
かつて昔、ギルバートが六つか七つくらいだった頃、一度だけ両親が激しく口論する姿を見たことがある。それは、シャーロットがエステだなんだと出かけすぎる、少しくらいは家にいて息子の面倒を見ろ、俺はもっと家庭的な女性と結婚することだって出来たんだ――という父の言葉からはじまり、その後、妻側の言い分のほうに移っていった。あなたはようするに、わたしが社交ダンスの集まりに参加してるのが気に入らないのよ、エステがどうとかは関係ない、もっと家庭的な女性と結婚したかったのであれば、今すぐにでもわたしのほうで離婚したっていいのよ――と、ここまで口論が進んだ時、テレンスはハッとした。夜中に人声を聞きつけ、階段を下りてきた幼い息子の姿に、初めて気づいたのである。
この翌日、テレンスは「自分がいかにおまえの母さんのことを愛してるか」とか、「離婚だなんてとんでもない」、「何故なら父さんも母さんも、こんなにおまえのことを大切に思っているのだからね」……といったように、一生懸命弁解していたものである。だが、母の短い入院生活が終わったその瞬間から――父が時折、少しばかり軽蔑すら含んだ冷淡な目で妻を見るのが何故なのか、その理由をギルバートははっきり理解したのである。
(きっと、父さんは今ぼくがしているような苦々しい思いをしたことがこれまでもあったに違いない。だから、見舞いにも来なかったんだ。たぶん、何かの拍子にエドウィンとか、母さんの社交ダンス仲間に会ったりするのが嫌だったんだろう。それで、エドウィンなんかに直接会ったが最後、今日ぼくがそうだったみたいに、表面上はなんでもないような振りをしながら、腹の中では苦虫を噛み潰したような思いを味わうことになるって、きっとわかってたんだ……)
この瞬間から、ギルバートは100%とまではいかないにせよ、90%くらいは今後、自分は必ず父の味方をしようという気持ちに傾いた。それと、母の入院中の二週間ほどの間に、病院内をあちこち探検して回ったことで――(将来はお父さんの後を継いで医者になるのも悪くないな)と、初めて思えてもいた。というより、ギルバートにとって病院はこの上もなく面白く、楽しい場所だった。自分が病気で、患者として嫌々ながらもそこへ通うというのでさえなければ……。
今から思い返してみると、ギルバートが自分の母から完全に自立したのはこの瞬間であったろう。また、彼は一度母が、看護師に対してこう言ったことを覚えていた。バイタルを取りにきた看護師が、ギルバートのことを見て「いい息子さんですわねえ。学校じゃ女の子たちにモテて大変でしょ」と、血圧をチェックしながら言った時のことである。それに対してシャーロットは「ほんとに、悪魔みたいな子。自分がどういうふうに振るまえば大人の気に入るか、もうこの年でわかってるんですからね」――その日、家に帰ってから、ギルバートは母の言葉について考えこんだ。(悪魔みたいな子?ぼくがいつでも大人が気に入るように振るまってるとか、母さんの目にははそんなふうにしか見えてないってこと?)……だが、そんなことも翌日の朝にはほとんど忘れてしまった。というのも、ギルバートの母はそもそも、自分が何気なく発言した言葉について、すぐ忘れてしまうのだ。だから、その発言についてもそんなに重く受けとめる必要はなく、看護師が病室へやって来るたび息子を褒めそやすので、ある種の謙遜からそんな言い方をしたのだろうと思うことにしたのである。
(でも、母さんがそんなんなら……ぼくは、本当は悪魔みたいな子にだってなれる。将来は医者なんかになるんじゃなく、無駄に人生を浪費するような生き方をして、父さんや母さんを困らせるってことだって出来るだろう。けど、そんなことしたって全然無意味なだけだ。とにかく、ぼくは母さんのことはもう気にしない。色々心配したり、母さんの気に入るよう行動しようとするだけ、無駄ってものなんだから……)
そう悟ってからは、ギルバートはある意味随分気楽になった。そしてその後、さらに時が流れ――パブリックスクールの休暇で家へ戻ってくるようになった頃には、大体のところ自分の母に対し、父と同じく、一種冷めたような、軽蔑を含んだ眼差しによってシャーロットのことを眺めるようになったのである。こうして父と息子は、自分たちの妻・母に対して一致した見解を持つに至ったというわけだった。
とはいえ、人間というのは誰しも完全ではない、ということくらいはギルバートにしてもよく理解している。父と母が世間からは<理想の美男美女のカップル>といったように見られており、彼らが世間向けにそのような演技をしていることも、ギルバートには幼い頃からわかっていた。ただ、父テレンスのそうした演技が誰しもがする程度の正常な範囲のものであったのに対し、母シャーロットには多少病的なところがあったのは事実だったろう。それが「美しい容姿に生まれた人間の運命」というものなのかどうか、ギルバートにもわからない。だが、母ほど毎日鏡で自分の全身という全身を眺めまわし、「うまく髪のセットが決まらない」だの、「今日はメイクのノリがいまいちね」だの、しょっちゅうチェックする人間というのに、ギルバートは外の世界で一度も会ったことがなかった。子供の頃、どうにか母親に構ってもらいたかった時分には、ギルバートはこう考えた。(お母さんは社交ダンスをしてるから、大会へ出た時なんかに審査員から自分がどう見えるかを気にするのと同じ感覚で、いつも鏡を気にしてるんじゃないかな)と。
だが、その後十年もの時が流れた今ではこう思う。というより、寄宿学校へ入った頃からそう思うようになった、といったほうが正しいだろうか。(母さんはたぶん、息子の俺や夫の父さんより、自分のことのほうがよほど大切なんだろう。これは『親の心、子わからず』なんてことじゃなく、本当にそうなんだ。母さんのあの、自分に恋しているような、鏡をうっとり眺める時の目つき……母さんにとって男はみんな、自分を飾るのに相応しいかどうかのアクセサリーといったところなんだろうし、息子の俺にしたって、もし出来が悪くて彼女の気に入らなかったとすれば……『自分には息子なんか存在しない』とばかり、本気でそう思いこむってことが、おそらくこの女には十分可能だったのではないか)
だが、ギルバートは自分の母のことを自己愛が異常なほど突出しているという点以外においては、概して善良な人間だと思ってはいる。その証拠にと言うべきか、彼女にはセレブの社交界や社交ダンスの世界に友人がたくさんいたし、息子のギルバートの目にそれは、(あの人は鳥頭だから、みんな母さんとつきあいやすいと思ってるんだろうな)と、そんなふうに映っていたものである。
どういうことかというと、ギルバートの母シャーロットは、あまり物事を長く覚えてられない質の女性なのである。ゆえに、何かのことで腹を立てても、それは長続きすることはなく、その後自分が悪かったと思えば素直にあやまりもするし、他人の不幸や恥となるスキャンダルについても忘れやすいため、彼女の友人たちみな、彼女のそうした善良な性質を愛していたものと思われる。
一方、ギルバートの目から見て、父テレンス・フォードは母親以上に善良な人間だった。これもまた、容姿の美しい人間の運命というべきなのか、金髪碧眼で整った容貌をした彼は、中年と呼ばれる年頃になった今も、どことなくナルシスティックな空気を身に纏っているように見えるところがあった。だが、ギルバートは息子だからよくわかる。おそらく、自分の父ほど身のまわりのことを構いつけない人間も他にいなかったろうことが。いつでも、「ちゃんとした格好してくれなくちゃ、わたしが恥かしいわ」と言うシャーロットの言い分を聞き入れ、妻の着せ替え人形よろしく、彼女の指定した服を着て彼は出勤していく(もしそうでなかったとすれば、テレンスは毎日同じ格好でもまるで気にしなかったに違いない)。そのくらい、いつも病院のこと、そこに入院している患者のことしか頭にない様子で――ギルバートは父のそうした「本人にはどうしても直すことが出来ないらしい性向」を見るにつけ、(自分が結婚したあと、もし同じような感じだったら、奥さんになった人はある日突然出ていってしまうだろう)と、教訓としてそのように感じるばかりだったといえる。
とはいえ、ギルバートにはこの父が忙しい合間を縫って幼い自分と遊んでくれた記憶があるし、母シャーロットに対しては(あまり愛されている感じがしない)にも関わらず、父親に関しては(お父さんはぼくのことをちゃんと考えてくれてる)といったように、小さい頃から感じて育ってきた。ゆえにだからこそ……(はっきりそう言われたわけじゃないけど、ぼくがお医者さんになるのがパパの望みなら、応えてあげたい)と、ギルバートはそんなふうに考えるようになっていったのだ。
だから、十歳の時にシャーロットが子宮筋腫によって入院し、院内を探検してまわり、(うん。医者っていうのも面白そうだし、悪くないぞ)と決意できたこの時の出来事というのは、ギルバートにとって非常に重要な意味を持っていたといえる。また、家政婦のダイアナというのは、このようなフォード家にとってなくてはならない存在だった。何故といって、彼女は『奥さまももっと、お坊ちゃまのことを可愛がってさしあげたらいいのに』などと、一切批判する目で見るでもなく、『鳥頭なのだからしょうがない』(ダイアナがそう思っていたかどうかまでは、ギルバートにもわからない)とばかり、シャーロットが一切しない家事仕事のすべてを引き受けてくれていた。ギルバートにとってダイアナとは、留守がちな母に代わってありとあらゆる精神的愛と滋養を注いでくれた存在だったし、彼女がそのような役割を引き受けてくれればこそ、テレンスも安心して仕事に集中できたと言って過言でないだろう。
つまり、ダイアナ・ハーシュという女性はフォード家にとって、一応お給金という形できちんと賃金を支払っていたにせよ、テレンスにとってもシャーロットにとってもギルバートにとっても――金なぞいくら支払っても贖えないほど、かけがえのない愛や忠誠心を捧げてくれた女性だったということなのである。
>>続く。