こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

ユトレイシア・ユニバーシティ。-【5】-

2021年11月22日 | ユトレイシア・ユニバーシティ。

【ナイトホークス】エドワード・ホッパー

 

 ええと、今回もまた例のgooblogは30000文字以上……以下略☆問題に引っかかってしまったということで、変なところで切れて次回へ>>続く。となっています(^^;)

 

 なので、ここの前文にもあんまし文字数使えないということで、どうしようかなって思ったんですけど、↓に詩人のホイットマンの名前が出てきたので、アレン・ギンズバーグの詩を引用して終わりにしようかな~なんてm(_ _)m

 

 

 >>今夜はあなたのことをどう思うかな、ウォルト・ホイットマンよ、

 木々の下の脇道をわたしは満月を見ながら頭痛を抱えて歩いたのだ。

 

 空腹に疲れ切って、

 映像の買物歩き(ショッピング)しながら、

 わたしはあなたの列挙のしかたを夢みつつ、ネオン輝くスーパーマーケットに入った!

 

 ……わたしたちはどこへ行くのだ?ウォルト・ホイットマン?

 戸口は一時間で閉る。

 今夜あなたのあごひげはどっちを指し示すのだ?

 

(あなたの本に手を触れ、スーパーマーケットのなかのわたしたちの遍歴(オデッセイ)を夢みて、やりきれない。)

 

(『ホイットマン詩集』木島始さん訳編/思潮社より)

 

 あ、ちなみに何故このギンズバーグの詩の引用なのかとか、深い意味はまったくありません(^^;)

 

 わたしがホイットマンの詩を読んだのは、エミリー・ディキンスンと同時代人の詩人だったからなんですけど、最初は「よくわっかんないなあ~」みたいに思ってました。

 

 でもその後、アレン・ギンズバーグとの関連によっても結構好きになったというか……まあ、これもどうでもいいようなことではあるんですけど(笑)。

 

 それではまた~!!

 

 

 ここまですごくなくても、大体こんな感じのダンスやってるのに、まったく無視できるロイ、ある意味心臓強えなって話です(^^;)

 

 

 

     ユトレイシア・ユニバーシティ。-【5】-

 

「だからね、ミランダ。わたしもうコニーから4時間も同じ話ばかり電話でされてるってわけなのよ。で、実際には今日は家教のバイトはないわけだけど、ボランティアのほうがあるもんだから、それでようやくのことで家の電話を切ったの」

 

『ええっ!?で、今度はそのノイローゼ患者の相手をわたしにさせようってわけ?わたしだってそんな暇人じゃないわよ。あんただって同じ文学部だったらわかってるはずじゃないの。ホイットマンの詩論について、レポート提出しなきゃなんないの来週よ?ブロンテ姉妹みたいにさあ、好きな作家のレポート時と違って、あまりどころかほとんど共感できない詩人についてなんか書くなんて、ある意味拷問だわね』

 

「ああ、ジェイコブ・マコーリー教授のやつね。わたし、一応それは終わらせたから、見る?同じ文章を使ったりすることは出来ないにしても、なんかの参考くらいにはなるでしょ」

 

『うん、なるなる。で、そのかわりにコニーの相手をわたしにしろってのね?』

 

「そういうこと。あと、わたしたち……もしコニーがほんとにダニエルの子を妊娠してたら、堕胎のために一緒に病院へついて行かなきゃだわ」

 

 ここで、受話口の向こうから、ミランダが重い溜息を着くのが聞こえる。

 

『そりゃまあね、わたしにもあんたにも、これから先絶対ないとは言えないことだけど……わたしはやっぱり、ダニエルのバカにこのことは伝えるべきだと思うわよ。費用のことがどうこうっていうのはそのあとの話として』

 

「そうよ。ミランダ、あんたなら絶対そう言うってわかってるから、コニーはわたしに電話してきたんじゃない。生理が来ないから心配になって妊娠検査キットにおしっこかけたらビンゴだなんて……あの子、錯乱するあまり、最初何しゃべってんのかわかんなかったくらいよ。『わたし、どうしよう。ねえ、リズ。わたしどうしよう!』って。あとは、『こんなこと、お義父さんやお母さんに知られたら殺される』なんていうもんだから――わたし一瞬、コニーが売春街で麻薬ディーラー相手にでも寝たかと思ったくらいよ」

 

 ここで、ミランダのいつもの快活な笑い声がする。

 

『あ~、ごめんごめん。コニーにしてみたら笑いごとじゃないのはわかってるんだけど……まあ、大体のとこ想像つくわ。で、あんたに妊娠したってことを順に説明して、あんたのほうではコニーに人としての道を説いてやってという、何かそんなとこね?聞かずとも大体わかるわ。それに、今からわたしがコニーに電話したら、リズにしゃべったのとまったく同じようなことを延々繰り返すんでしょうしね』

 

「そうよ。『避妊には気をつけてたのに、妊娠しちゃったどうしよう』ってことと、あとはぐるぐるずっと同じ話の繰り返しよ。『ダニエルには絶対言えないし、言いたくない』、『墜ろすとしたら、彼には黙ってこっそり』、『そんなことで彼に嫌われたくないの』、『両親には秘密にしたいけど、お金がないのよ』、『ネットで調べたら、費用としてはこのくらいかかるんですって』……で、あとはうわああんっ!て大泣きしてまた一から同じ話を繰り返して計四時間ってとこよ」

 

『やれやれ。わたしがコニーに話すことだって、リズと大して変わりゃしないでしょうよ。「ダニエルに話したくないったって、話すよりしゃあないでしょうが」とか、「それでダニエルが離れてくなら、あいつもその程度の男だったってことよ」とか、「あいつにだって責任あんだから、お金のほうはあいつに出してもらいなさい」とか、そんなところでしょう?』

 

「そうよ。でも、わたしとミランダの言うことがもし大体同じだったとしたら……コニーのほうでもようやく納得するかもしれないじゃない?診察含めて、病院で身心ともに傷を負うのはコニーなんだから、せめてもお金くらいダニエルに負担してもらわなきゃ、わたしだって友達としてつらいわよ。それにユト大の試合見るたびに、ダニエルがボール持ったまま転びゃいいのに……なんて、思い続けたくもないしね」

 

『ほんとよねえ。なんにしても、了解したわ。あんた、ボランティアのほうがあるんでしょ?コニーのことはとりあえず引き受けるけど、そっちの用事が済んだら必ず電話ちょうだいね。夜遅くなっても構わないから、待ってるわ』

 

「うん。ありがと、ミランダ。コニーのこと、お願いね」

 

 リズはふう、と溜息を着いて、電話の受話器を置いた。携帯電話であれば、彼女ももちろん持ってはいる。だが、家電から家電への通話であれば、携帯からかけるより遥かに安くてすむからだ。

 

 その日は土曜で、リズは午後から<ユトレイシア盲学校>の寮のほうへボランティアへ行く予定であった。他のボランティアの予定であればキャンセルして、コニー・レイノルズのノイローゼ患者のような症状につきあうことも出来たかもしれない。けれど、毎週、あるいは隔週ごとに自分が訪問するのを楽しみにしている生徒がいる――そのことを思うと、その期待を裏切ることが彼女にはどうしても出来なかったのである。

 

 初めてロイが<ユトレイシア敬老園>へボランティアへ行ったのが十月半ばのことだったわけだが、今はそれから約二か月の時が流れ……状況のほうが色々変わった。リズはロイのことが後輩として気に入ったこともあり、最初の数回のうち、(ある程度慣れるまでは)と思い、同じ訪問先へついて行った。だが、ロイが他のボランティア部員ともうまくやっていける適応力があるようだと見てとってからは、彼とボランティア先が必ずしも同じとは限らなかったのである。

 

 リズはこれと似たパターンをこれまでに数度経験済みだったが、ロイはどうやら部員の誰かに「リズが好きなのではないか」と言い当てられるか、うっかり口を滑らせるか何かして――ロイ・ノーラン・ルイスは部長のエリザベス・パーカーが好きらしい……ということが、ボランティア部員に知れ渡るようになってしまったのだ。

 

 もっともリズは「じゃあ、俺たちでよければそれとなく援護射撃すっかあ」だの、「そうよ、そうよ!あなたたち、きっとお似合いのカップルになるわ!」だの、他の部員たちがロイのことをけしかけているとまでは知らなかったとはいえ……副部長のリン・マクナマラが『ねえ、リズはロイのことどう思ってるの?』などと、いかにも彼女らしく明朗快活な調子で聞いてきたことから、すぐにピンと来たわけである。

 

『ロイったら、素敵じゃないこと?なんてったかなあ。IQが180もあって、工学部あたりじゃ天才として有名らしいわよ。あ、このこと本人に言ったら、「オレは天才なんかじゃありません。いいとこ言って秀才……本物の天才であるモーツァルトに嫉妬したっていうサリエリクラスですよ」なんて言ってたけどね。そんなところも偉ぶってなくてステキじゃなーい?彼がもしリズのこと好きじゃなかったら、わたしが狙ってるところよ』

 

 リンは経済学部の三年で、リズのひとつ上だが、一浪しているため、実際の年齢はふたつ上の女性だった。眼鏡をかけていて地味めに見えるが、学内のパーティで化粧した姿などは男の目を惹きつけるのに十分だった。

 

『どうせあなたたち、アレでしょ?今までわたしがフッたわけでもない学生について、すでにボランティア部では四人の犠牲者が出てるだの、くだらないことロイにしゃべくってるんじゃない?』

 

『ん~と、他の男子学生がロイに何吹き込んだかは、わたしにもわかんないわ。だけど、ロイは今までリズに片想いしてた他の男子たちとは何かが違うって気がするの。彼の気持ちに応えないだなんて、絶対もったいないわよ。っていうかリズ、今フリーなんでしょ?だったらつきあってみるくらい、いいじゃない。「命短し、恋せよ乙女」ってよく言うことだし』

 

『…………………』

 

 ゴンドラの唄に対する言及は避け、リズはこの時しばし考え込んだ。ロイのIQが180云々といったことに、彼女はあまり興味がない。ただ、今までボランティア部に4~5人いた、自分に恋をしているだか好意を持っているだかいう男子学生と、ロイ自身が異なっているということについてだけ、リズも同意しないわけにいかなかったのである。

 

 けれど、リズとしてはこれからもただ「何も知らない振り」をするというだけだった。むしろそうと知ってからは、ロイと同じ訪問先は避けるべきだとすら考えている。だが、冬になって寒くなってきたせいかどうか――あるいはホリディシーズンが近かったせいだろう――12月になってから、メールの返信にNoの文字が多くなったというのは間違いないところである。そこで、リズは今日、ロイと同じ訪問先である盲学校のほうへ赴く予定だった。

 

(まあ、いいんだけれどね。あれから毎週、週に一度か二度のボランティアに、ほぼ無遅刻・無欠席で参加。何が動機であれ、このまま半年ほども今の調子で続くなら、偽善でもなんでもなく……本当のボランティア精神が彼にはあるってことなんだろうし)

 

 この日、リズは真っ直ぐ<ユトレイシア盲学校>のほうへ向かっていた。集まったボランティア部員はたったの4人。そのうち、残りのふたりはリン・マクナマラ、もうひとりは同じく三年、社会福祉学科のアレックス・シンプソンだった。このふたりは昔から仲が良かったが、この時は何か示しあわせたようにすぐ、「じゃっ、俺たち寮の二階の子たちの相手してっからさ、リズとロイは一階の子たちといつも通り遊んだら?」――といったように、変な気の遣われ方をしたものである。

 

 けれど、リズにとってはそんなこともどうでもいいことだった。彼女自身、ここへは自分の楽しみのため、あるいは単に純粋に友達と会うためだけに来ているようなものだったからだ。

 

<ユトレイシア盲学校>は、小高い丘の上にあり、付属の寮のほうは学校の裏手にある。男子寮と女子寮とに分かれてはいるが、建物のほうは一部廊下で繋がっており、食事などは男女とも、同じ食堂で同じ時間にとることになっている。

 

「ここはわたしが引き受けるから、ロイ、あなたもし女子寮のほうへ行きたかったら行ってもいいわよ」

 

「えっ!?べつにオレ、ここでいいですよ。ダンやデニスとも会いたいし、そもそも先週も今日来るって約束してんですから」

 

「そう?まあ、結局あとで向こうにも行くことになるから、同じといえば同じだものね。ただ、女子寮じゃあなたがいつやって来るかと思って、みんなオシャレして待ってるだなんて聞いたものだから」

 

 ロイは顔を赤らめていた。彼にしても何故なのかはわからない。ただ、初めてここの盲学校の寮を訪問するようになった時から――女子寮の女の子たちの間で取りあいがはじまるというのは確かなことであった。

 

 男子寮の一階には、十七名ほどの生徒たちがふたり一組の部屋で暮らしている(また、これは女子寮も同じ)。そのA~Iとそれぞれ表示のある室内を、二度ほどノックしたのち、リズとロイは順番に訪問したわけだが、大体A~Bのどちらかの部屋で寮生と話しているうち、C~Iの部屋にいた生徒たちが「ボランティアの人が来てるって!」ということを聞きつけ、そちらへやって来るというのが常だった。

 

「ねえ、先生たち!娯楽室にいって一緒にラジオ聞こうよ」

 

「ダメだよ、ジェリー。俺、ルイス先生に点字の宿題だしてんだ。その答え合わせするって約束したんだから!」

 

「ええ~っ!?ルイス先生、マジで点字読めんの?そっかあ。じゃあ僕も先生たちにお手紙書くよ。あ、でも僕はそれだったらリズ先生のほうがいいや!先生が好きですっていう、ラブレターにするんだ」

 

「何言ってんだよ。点字なんてまだるっこしいことしなくたって、そんなの携帯を使えば、ちょちょいのちょいだって!」

 

 そう言うと、今中学二年で14歳のアダム・テイラーは、ポケットの中の携帯を取りだした。そして、彼が携帯に向かって「あ~、ただいまマイクのテスト中……」と、咳払いしてから言うと――彼の机の横にあったプリンターから、印刷された文字が出てきた。

 

「馬鹿!アダム、マイクのテスト中なんて言葉、印字してどうするよ」

 

「いやいや、俺が言いたかったのはだな、ようするにこうすればリズ先生を煩わせずにお手紙を読んでもらえるだろうという、そういうことさ」

 

 ロイはこうした種類のことに非常に興味があるらしく、アダムに「もう一度やってみてくれ」と言ったりしていた。他に、彼らが携帯などの端末機器から話した言葉が、点字として出てくるという機能までそのプリンターには備わっており――彼は今、盲学校の生徒たち、あるいは視覚障害のある人々にとって、こういった種類のもので特に何があれば便利と思うかというリサーチをしているのだった。

 

 そしてこのことで、男の子たちがやいのやいの意見をだしあっていると、リズはそうした中に加わらず、大人しく自分の部屋で過ごしている他の生徒のところへ向かった。盲学校や聾学校のみならず、障害者の福祉学校は概ねそうであったが、生徒たちは年齢よりも若干幼く、みな善良な傾向が強かったといえる。また、この<ユトレイシア盲学校>に関していえば――リズにとっても特別な感銘を受けた施設であった。

 

 もっとも、生徒の全員が全盲というわけではないのだが、それでも人間の『悪』といったものは、何よりもまず目から入ってくるのではないか……と、そう悟らせる善良性を彼らが有していたということに対して。

 

 他の部屋にいる生徒たちは概ね、音楽を聴いていることが多い。そして、リズや他のボランティアの人間が訪ねていくと、今好きなアーティストのことや、自分が応援しているバンドの新曲がヒットチャートで何位かといったことなど、矢継ぎ早に色々なことを教えてくれる。目が見えない分、聴覚が鋭敏なのみならず、彼らはこの盲学校の寮内においては、まるで「目が見えている」かのように振るまうことが多い。自分が座っている椅子から部屋の入口まで何歩あるか、そこを出てトイレへ行くには何歩あるいていけばいいかなど――感覚として体のほうに叩き込まれているという、そのせいなのだろう。

 

 寮生は自分の身の回りのことだけでなく、洗濯や掃除をするといったことについても、リズの目から見れば「目が見えているのではないか」というくらい、完璧に行なうことが出来る。また、高校生ともなると、クリーニング工場やホテルのシーツ交換係など、実際にそうした現場へでて職業訓練を受ける授業まであるらしい。

 

「先生、ぼく、働くっていうことがあんなに大変とは思ってもみませんでした。先生も前、アルバイトしてるって言ってましたよね?」

 

「ええ、そうね。今は家庭教師だけなんだけど……でも、喫茶店とかレストランでウェイトレスのバイトならしたことあるわ」

 

「ぼく、教えられたとおりやってるつもりなんだけど、なかなかうまく出来なくて……叱られてばっかりなんです」

 

 シドニー・ウィルクスがしょんぼりしているのを見て、リズは彼の背中を叩いて励ました。彼は今年、高校生になったばかりの15歳である。

 

「でも、シーツ交換だったら、毎日ここでもやってることでしょう?どう?なんだったら今、わたしと一緒に練習してみる?」

 

「違うよ、先生」

 

 シドニーと同室のジェームズがパソコンに向かってレポートを打つ手を止めて言った。彼らのタイピング技術は、晴眼者が同じ作業をする以上にほとんどミスがない。

 

「シドはね、簡単にいえばのろいのさ。仕事は確かに丁寧なんだけど、それじゃ時間内に仕事が終わらないってことで叱られるんだ」

 

「それはつらいわね……」

 

 リズにしても、『こっちは高校生の視覚障害のある社会的弱者なんだぞっ。少しくらい大目に見やがれ』とは、そのホテルの客室係に言えない気がする。確かに「働く」とは、そのくらい厳しいことと言えるに違いない。

 

「でもぼく、今リズ先生にお話したら、なんだかスッキリしちゃった。来週、またそこのホテルに行くのが憂鬱だなって思ってたけど……先生が励ましてくれたこと思いだして、がんばるよ」

 

 屈託のない笑顔を向けられると、リズとしてもなんだか胸が痛む。こんなふうに励ます程度のことしか自分は出来ない……ということに対し、罪悪感に近い感情すら抱いてしまうほど。

 

「そういえば先生、俺たちリズ先生お薦めの本、図書館から朗読ファイルをダウンロードして聞いてみたよ。すごく面白かった!」

 

 寮生たちは、リズのみならず、他のボランティア学生が相手でもみなそうなのだが――「大学ではどんな勉強をするのか」ということに強い興味を持っていた。そこで、今はこういう本をテキストにしてこんな勉強をしている……といったように、毎週話すことになっていたのである。

 

「『十五少年漂流記』なんて、少し難しくなかったかしら?」

 

「ううん!そんなことないよ。俺もシドもドッキドキで、夢中になって聴いてたよ。しかも、朗読の人がすごくうまくてさあ。他のみんなにも薦めたんだ。そしたらみんな、同じこと言うのな。もし同じ目に遭ったら、俺たちだったらどうするだろう?なんてことをさ」

 

 視覚障害者専用の図書館がユトレイシア市内にはあるのだが、今は点字で打たれた何冊ものファイルに替わって、朗読の音声ファイルをパソコンからダウンロード出来るというシステムがあり――こちらのほうが、圧倒的に需要が高いということであった(ちなみに、この朗読ファイル作りのすべても、市民ボランティアの力によるものである)。

 

「お~い、みんな!どこ行ったかと思ったら、リズ先生はシドとジムのとこにいるぞ。俺、この間聴いた『十五少年漂流記』の感想文書いたんだ。先生に読んでもらおうと思って」

 

 大体のところ、こういった具合で学生ボランティアの時間は過ぎてゆく。人によってはもしかしたら、「そんなののどこがボランティア?」といった向きもあるかもしれない。だが、この盲学校の教師たちの話によれば――自分たちと比較的年齢の近い「お姉さん」や「お兄さん」と接することは、彼らの成長にとって極めて重要な意味を持っているということだった。

 

 このあと、一階の寮生のほとんどがシドニーとジェームスのいる部屋へ来てしまったため、リズはみんなと一緒に娯楽室のほうへ移動した。そしてそこで、テレビをつけっぱなしにしたまま、歓談するということになる。もしかしたら、視覚障害者の娯楽室にテレビがあるということに対し、不思議に感じる人がいるかもしれない。だが、彼らは確かにテレビを見ている……ないしは聴いている。また、自分が気になる情報や面白い番組などについては、驚くべき記憶力や洞察力を持ってもいるのである。

 

 この時、リズは最初に「そういえば、ルイス先生はどうしたの?」とみんなに聞いたのだが、するとみんな、大爆笑ののち、こう先を競うように言い合ったものだった。

 

「男子寮のほうにある事務室にさあ、女子寮のほうから電話がかかってきたんだよ。ルイス先生はいつごろいらっしゃますかって。あれ、絶対エリザベスあたりが……あっ、違うよ。先生と同じ名前だけど、そういう意味じゃなくって……」

 

「そうそう!エリザベス・オコナーのやつさ。彼女や彼女と仲のいいミリアム・バーナードやジョイス・ブルームなんかが、女子寮の先生たちに一生懸命頼んで電話で聞いてって頼んだに違いない」

 

「ほんとだよなあ。あいつら、ルイス先生が来た翌日は、ずっとルイス先生ルイス先生って言ってうるさいんだぜ」

 

「だよな。ルイス先生がこうおっしゃっただの、ああおっしゃっただの……ねえ、先生。ルイス先生って恋人とかいないの?あの子たち、みんなでくじ引きまでして、誰がそのことを先生に聞くかってことまで決めてたんだぜ。で、いないってことがわかると、みんなきゃあきゃあ騒いじゃってさあ」

 

「でもそんなの、わかんないよなあ。目の見えない可哀想な子たちの希望と期待を打ち砕いちゃいけないって、ルイス先生のほうでそう思ったのかもしれないし……」

 

 寮生たちがこの話でひとしきり盛り上がる間、リズはずっと笑ってばかりいた。リズの知る限り、ボランティアの男子学生のうち、彼女たちにアイドルのように慕われた男性というのは、他にもいることにはいる。だが正直、リズにはロイが何故こうも女子寮の全員から人気があるのか、よくわからなかったのである。

 

 この日、リズや他のボランティア学生は、食堂で一緒に食事してから帰宅することになっていたのだが、ルイス先生の人気たるや、この時もすごいものがあった。誰が彼の隣に座るかで女生徒たちが喧嘩しだしたもので、女子寮を監督している教師が厳しく戒める一場面まであったほどである。

 

 男子寮と女子寮の出入り口はそれぞれ別に門があるため――この日、リズとリンとアレックスは、男子寮側から出て、女子寮の門前でロイが出てくるまで待たなくてはならなかった。

 

「あれはあれで大変よねえ」

 

 リンが門の外から、女子寮の玄関口を覗き込みながら言った。ロイの姿は部屋の灯りを透かして、そこから見えてはいるのだ。ただ、女生徒たちがまるで壁のように押し寄せていて、なかなか挨拶のほうが終わらないらしい。

 

「彼、一体彼女たちに何をしたの?」

 

 リズがそう聞くと、マフラーを巻き直しながら、アレックスが笑った。

 

「なんてったかなあ。なんでも、目が見えても心の汚い人間なんかいくらでもいる。でも、君たちは本当に純粋で善良だと思う……まあ、言い方はちょっと違うんだが、大体そんなような類のことを何気なく口にしたらしいぜ。ロイにしてみりゃ、思ったことをそのまま口にした程度のことだったんだろうが、それがあの子たちの心にある種の深い感銘を呼び起こしたらしい。オズワルド先生の話によるとな」

 

 イザベラ・オズワルド先生は、女子寮の寮長もしている盲学校の先生である。

 

「残念ね、アレックス先生。ロイがやって来る前までは、あなたにも結構な信奉者が女子寮にいたのにね」

 

「いやいや、俺はそんなこと気にせんよ。むしろ、ロイはこれからどうすんだろうなって、そっちのことのほうが心配なくらいさ。まだ一年とはいえ、進級試験前とか、暫く来れないようなことは当然誰だってあるだろ?でも、あの子たちに悪いから……なんて理由で無理して時間作ったりするんなら、それはそれでいかがなものかという気がするしな」

 

「ロイだって、そこらへんはうまくやるんじゃない?それに、そんなふうにやって来れない期間だって必要よ。ルイス先生はルイス先生でお勉強が大変なんだから、無理いっちゃ悪いわよみんな……みたいになるような気もするしね」

 

「んだな」

 

 リンとアレックスがそんな話をするうち、ようやくのことで当のルイス先生が玄関の明るい光の中から出てきた。そして四人は小高い丘の坂道を下ると、それぞれ市電とバスに乗って帰るということになる。もちろんリズにはわかっていた。アレックスとリンがおかしな気遣いから、本当は彼らもバスで帰るところを「俺たちは市電に乗るから」などと言っていたのだろうことは……。

 

「すごい人気ね、ルイス先生」

 

「あっ、いや、あれはなんていうか……違うんですよ。みんな、何か誤解してるんだ。っていうか、実際に目が見えて、オレの現実の姿がはっきり見えたとしたら――『なんだ、全然パッとしない人じゃないの、こんな人』みたいになるはずなのに……なんか騙してるみたいで心苦しいと思ってるくらいなんだ、ほんと」

 

 この時、男子寮の娯楽室にいた時と同じく、リズはふふっと愉快そうに笑った。時刻表によれば、あと十分もせずにバスはやって来るだろう。

 

「そうかしらね。逆にむしろ、それでいったら彼女たちは、それこそ心の目でルイス先生を見て慕ってるってことなんじゃない?でも、面白いわよね。仮に目が見えなかったとしても――女子寮の生徒たちはみんな、イザベラ先生あたりに相当熱心にルイス先生のご様子について聞いてたみたいよ。髪の毛は金色に近い茶褐色で、目は空のように青くて、まあ、なかなか格好良い方よ、なんてね。まあ、これは男子寮のほうでも同じかな。ジェニファー・レイトンが一度やって来た時なんて、事務所のほうにいた男の先生方が「すごい美人な学生だなあ」なんて話してるのを聞いて……「おい!ジェニー先生は物凄い美人だって」とか、そういうことはあっという間に広まっちゃうのよね」

 

 思わぬところでジェニファーの名前が出て、ロイは驚いた。これから自分は機会を窺ってリズをデートに誘おうと考えているのに……心の臆病な部分に見えぬ手が触れ、せっかくの大きな決心がぐらついてしまう。

 

「ジニー……ジェニファーって、ここに来たりするんですか?」

 

「そうねえ。盲学校へ来たのは一度きりだったかな。でも大体三か月にいっぺんくらいは、なんかしらの施設先でボランティアしてるわよ。ほら、うちって最低でも三か月に一回はなんらかの奉仕活動してもらわないと、自動的に退部扱いってことになるから。あ、正確には部の規約にそうあるってだけで、一応部長であるわたしや副部長のリンあたりから、相手に直接話はするのよ。退部ってことになりたくなかったら、ユト河畔のゴミ拾いくらい参加してみたらどう?みたいにね。ほら、院に進学するにしても、就職するにしても……ボランティア部で活動してました、みたいに言えるだけでも結構違うものでしょ」

 

「そ、そんなの、ほんとのボランティアとは言えないんじゃないですすか?ジェニファーだってそうだ。あの子はずる賢いから、そういうのが目的でボランティア部に所属して、どっかの会社の面接ででも『大学時代はボランティア活動に精を出してました』なんて、ケロッとした顔して言うに決まってるっ!!」

 

「ジェニファー・レイトンと知りあいなの?彼女みたいに可愛い感じの子、悪く言う男子学生がいるなんて、思ってもみなかったけど……女子寮で大人気のルイス先生がそうおっしゃるからには、彼女には何かあるってこと?」

 

 ――ここで、バスがやって来た。ロイがリズと一緒なのは、ユトレイシア中央駅までだった。そこまで軽く30分はかかるだろうが、(いつデートに誘おう)なんて考えるうち、あっという間に時は過ぎるだろうと、ロイにはわかっていた。

 

「あのね、これはわたしのボランティア部の部長としての見解なんだけど……わたし自身はジェニファー・レイトンみたいな子って、全然嫌いじゃないのよ。三か月にいっぺんのノルマをどうにかギリギリ守るってタイプの学生は他にもたくさんいるし、それだってわたしは大切なことなんじゃないかと思ってるしね。どっちかっていうと、質の高いボランティア部員が少数いるっていうよりも、もっとたくさん部員の数を集めて、『まあ、三か月にいっぺんだってんなら、そのくらいならやってみてもいいか』みたいな学生がもっと増えてくれることのほうが望ましいと思ってて」

 

「それは、わかります……ほら、先月、ホームレスの人相手の炊き出しがあったでしょう?あの時も思ったんです。こうしたことにたま~に参加して、もし何かいいことしたと思ってるとしたら、オレも相当底の浅い人間だって。確かに、ああいう炊き出しってどこかしらの慈善団体がやったりしてることですけど、もっと同じことの出来る人員が確保さえ出来れば――その炊き出しの料理を作ったり盛りつけする人の心に善意があるかどうかはあまり関係ない。結果として、ホームレスの人たちのお腹が膨れたり、その時に世間話したりして、楽しい思いをしてもらうってことが大切なわけだから」

 

 ラッシュ時に当たっていたせいか、バスは混んでいた。それで、ふたりは昇降口付近で小声で話すということになる。リズはロイの肩くらいのところに頭があり……ただバスが混雑してるという理由であったにせよ、彼女と密着できるのがロイは嬉しかった。

 

「そうね。あの炊き出しをやりたがる学生自体、実は数が少なかったりするのよ。ほら、料理作るのを手伝うにしても、盛りつけをしたりするにしても……徹底的に手を消毒したり、前髪を上げて変な帽子みたいの被ったりしなきゃなんないでしょう?着なきゃいけない割烹着みたいのも超ダサいし。『なんで小汚いホームレス相手に、俺たちのほうがこんなに衛生に気をつけなきゃなんないんだっ』なんて、怒りだした学生もいたくらい。まあ、あれは食品を扱う以上必要最低限必要なことではあるんだけど……だから、ホームレスの人相手云々っていうのが嫌なんじゃなくて、そのあたりのことが原因でいつも人の集まりが悪いのよ」

 

「ええと、じゃあそこらへんがもうちょっと格好よくなりゃいいってことですか?そうか……それは考えてもみなかったな」

 

 このあと、後ろのほうにいた高校生くらいの女生徒らが数人、甲高い声で笑いだしたせいもあり――ふたりの間では一時会話が途切れた。けれど、まだリズと色々なことを話し足りないロイとしては、どうにか彼女のことを引き留めたかった。

 

(そうだ。バスを降りたあとにでも、お茶に誘ってみよう。ボランティアのことで相談したいことがあるとか、そういうふうに言えば……彼女は部長だし、断ったりはしないんじゃないか?)

 

 けれど、断られた時の心の打撃を予想して、ロイは気づくと先にこう聞いていた。

 

「……今日は、家庭教師のアルバイトはないんですか?」

 

「ええ。次期ホリディシーズンでしょ?その間はお役目ご免ってところなの」

 

(い、今だっ。誘うなら今……っ!!)

 

 ロイはそう思ったが、バスが突然停車したため、機を逸してしまった。信号機が赤に変わり、クリスマス・カラーに彩られた市電が斜めにカーブを横切っていく。

 

「あら。あれ、アレックスとリンじゃない?こっちに気づかないかしら」

 

 リズは独り言のようにそう呟いた。だが、市電のほうも人がぎゅう詰めで、彼らのほうでは体を半転させることも出来なかったろうから、気づかなくとも無理はない。

 

『リズは今、フリーだぜ。きっと彼女みたいのは押しに弱いだろうから、思いきって当たってみろって。今まで彼女に片想いしてた連中ってのは、ようするに気が弱かったんだ。まるで、モールス信号を必死に送ってたら、そのうちリズにも自分の心が通じるようになるだろう……なんて具合のな。まあ、彼女についてあまりよく言わない連中もいるこたいるが、そんなのは全部噂と思って、本気にしないほうがいい』

 

 ロイはアレックスから、そんなふうにアドバイスを受けていた。結局、そうしたリズ目当てにボランティアに励んでいた連中というのは――彼女に対して当初期待していたアテが外れたり、単に勉学のほうが忙しくなってボランティアにもやって来れなくなり……そのような形で自滅するなり、自然消滅するように消えていったということだった。

 

 他に、『リズのほうではたぶん、ロイの気持ちについて知ってるはずだぜ』とも、アレックスは言った。『おしゃべりな女子部員どもが、リズの小耳に入れないわけがない。そう思ったらさ、べつにもう恥かしくもなんともねーだろ。万一それで振られたところで、リズは態度を変えるようなタイプの人間じゃないってのは、ロイにもわかってることなんだからさ』

 

 ――とはいえ、ロイにはそこまでの勇気はなかった。たとえば、バスを中央駅で降りたあと、彼女を喫茶店にでも誘いだし……いや、ここまではなんとか出来る気がする。けれどそのあと、『オレとつきあってください!』とまで言える勇気がロイにはない。

 

(それよりも……)

 

 と彼は考える。

 

(まだ暫くは今のような関係を続けて、一年下の工学部のロイ・ノーラン・ルイスはボランティアにも熱心ないい奴だ、つきあってみても損はないかも――というくらいの信頼をまず獲得したいとオレは思ってるんだ)

 

 実際この日、ロイはバスを降りたあと、地下鉄に乗り換えようとするリズを、近くのお洒落な喫茶店に誘うことに成功していた。ユトレイシア中央駅の周辺には、老舗の大型デパートを中心にして、ユト国内で一番蔵書の多い本屋、一流のレストランが軒を連ねる通りなどがあり……いつでも活気に満ちている。ゆえに、大学内の女学生たちが「駅の近くに素敵なお店が出来たのよ」といったことを口にする時、それは圧倒的にこの近辺であることが多かったといえる。

 

「こっ、ここ、地下ですけど、決してべつにあやしいお店とかってわけじゃありませんからっ」

 

(誰もそんなこと、思やしないわよ)

 

 リズはそう思ったが、口に出しては何も言わなかった。それに、ロイは「ぼっ、ボランティアのことで相談が……」とも言っていた。ボランティア部の部長として、断るような理由もない。

 

「へえ。こんな狭い路地裏の地下に、こんなお洒落なお店があっただなんてね。今度、コニーやミランダと一緒に来てみようかな」

 

「あっ、この場所は兄貴に教えてもらったんですよっ。もし、誰か女の子を誘って感心してもらいたかったら来ればいいって……」

 

 リズはくすりと笑うと、バッグの中から煙草を取りだして吸った。特段、煙草が吸いたい気分だったわけではない。ただ、ロイが自分に対し何か誤解したイメージを持っているに違いないとは以前から思っていた。それで、口の端に煙草をくわえることにしたのである。

 

「それで、相談って?」

 

「いっ、いや、違うんですっ。相談っていうのはある部分口実で……クリスマス・イヴの前の日、盲学校の吹奏楽部の子たちが、ユトレイシア中央会館のほうで演奏するって知ってるでしょう?それで、一緒に行ってもらえないかなと思って……」

 

 店内は薄暗く、カウンター席が十席ほど、テーブル席のほうは二十席ほどあって、小ぢんまりとしていた。ただ、隅のほうに大きなステージがあり、そこではアコーディオンの音に合わせ、一組の男女がアルゼンチン・タンゴを踊っているところだった。曲のほうは、ピアソラの『リベルタンゴ』。

 

 テーブルの脇にパンフレットが置いてあり、その日によってフラメンコやタップダンスなど、踊りや音楽のほうは色々変わるようだった。

 

「べつに、いいけど……でもあれ、リンやアレックスも行くって言ってなかった?だったら、みんなで一緒に……」

 

「ち、違うんですっ。ふたりは気を遣って、オレにリズを誘ってみちゃどうかって言ってたんですよ。それならリズも断らないだろうって……」

 

(ああ、そういうこと)

 

 コーヒーがやって来たので、リズは煙草を揉み消した。とりあえず、(た、煙草なんて吸うんですかっ)といったような拒絶反応はロイからは感じられない。

 

(彼みたいな優等生タイプには多いんだけどな。『君がそんな人とは思わなかった』と口で言わなくても、そんな目で見てくる場合がね)

 

「あなたに夢中になってるエリザベス・オコナー、何曲かソロで弾くんでしょう?将来は音楽大学に進むっていう話、ロイも聞いたんじゃない?」

 

「えっ、ええ。オレも何度かショパンとか弾いてもらったことあります。『すごいなあ、きっとプロのピアニストになれるよ』なんて言ったら、『そんな簡単にいいかげんなこと言わないで!』って叱られちゃったんですけどね。デニスはオーケストラの中でトランペット担当だし、ダンはオーボエって言ってたかなあ。随分遅くまで練習してるそうですよ。ほんと、ああいうところの先生っていうのは大変ですよね」

 

「そうね。ほとんど全人生教育に捧げてるって感じの先生、多いものね。盲学校だけじゃなく、聾学校でも、他の障害者施設の先生なんかもみんなそうだけど……たま~に、ああいう先生たちが物凄い勢いで生徒たちを叱りつけてることがあるじゃない?『もっとああしなさい、こうしなさいっ!』、『貧乏ゆすりするんじゃありませんっ!』とか色々……でも、盲学校の生徒だったら、そういった過程を経て自分ひとりだけで洗濯機回してちゃんと干せるようになったり――ボランティアでフラッとやってきた程度の人間が、とやこう言えないと思うのよね。もちろん、虐待とかそういうのは論外としても……」

 

「オレも、そう思いますよ。第一オレ、今日行った盲学校で初めて、重複障害なんていう言葉を初めて知ったくらいだし……」

 

 重複障害とは、視覚障害の他にも自閉症や知的障害などがあるといった、ふたつ以上の障害を持っていることである。

 

「ほら、盲学校の寮の二階のほうに、目が見えないだけじゃなくて、知的障害があって、ほとんど口も聞かない子や、全盲だってだけじゃなく、自閉症の子がいたりするじゃないですか。オレ、将来自分が親になったらなんてこと、今まであまり深刻に考えたことなかったけど……なんか、つらいなあと思って。オレがもしあの子たちの親だったら、あの子たちの人生のために何をしてあげられるんだろうとか、つい考えたりしちゃって」

 

「ルイス先生は、考えることがいっぱいなのね」

 

 ソーダフロートを子供のように飲んでいるロイのことを見て、リズは微笑んだ。随分前からわかっていたことではあるが、彼は本当に<善良な側のいい人間>なのだろうと、強くそう感じる。

 

「うちのユトレイシア大の卒業生に、最初はIT起業で名をなして、今は宇宙事業にも進出してる、アンソニー・ワイスっていう有名人がいるじゃない?ユト国内で言うところのビル・ゲイツって感じの……あの人もボランティア部に所属してたのよ。でね、盲学校や聾学校や障害者施設を見てまわって――彼らを取り巻く将来の現実がどんなものかを知って、号泣したらしいって話。ほら、ミスター・ワイスは学生結婚してるから……」

 

「も、もちろん知ってますっ!ていうか、超有名な話ですよね。アンソニー・ワイスがうちの国における障害者の地位を言ってみれば人並みにしたんですよ。まずは、視覚に障害のある人でも、IT関係の仕事が出来るよう補助したり……国もそのことに協力して企業に補助金を出しはじめたっていうのも大きかったんでしょうが、それで昔みたいに障害者の給料は健常者の半分にも満たないみたいな、そういう暗黒の時代が終わったんです」

 

 アイスクリームをのせたスプーンを持つ、ロイの手は震えていた。自分の好きな女性と狭い空間で向き合えていることの緊張もあったが、今はそれ以上に――彼にとってリズの言ったことは重要な意味を持っていたのである。

 

 アンソニー・ワイスはロイと同じ工学部の出身であった。以前まで、ロイはワイスに憧れる気持ちはあっても、彼と同じようになりたいとまで思ったことはない(というより、そこまでの才覚は自分にはないと諦めていた)。けれど、ロイは今……色々なボランティアを経験したことで、自分の人生は180度変わったと考えていたのである。つまり、これまでロイが考えていたある種の研究や発明といったものは、あくまで一般人向けであって、障害を持つ人々の日常生活における不便を解消するにはどうすべきか――に向けられていたことは一度もない。だが今、ロイは毎日そのことばかり考えている。

 

(オレがもし……新しい福祉機器の開発のために、これから生涯を捧げようと思ってると言ったら、この人は笑うだろうか)

 

 曲が終わり、拍手が湧き起こっても、ステージのほうにはほとんど目を向けないロイのことを、リズは少しばかり奇異に感じたかもしれない。女性はエキゾチックな感じの美人で、そればかりでなく太腿のあたりに深々とスリットの入ったセクシーな衣装を着てもいる。だが実際のところ、こののちもリズは、ロイが自分の考えごとに没頭すると周囲が見えなくなるらしいという瞬間に、何度も出会うということになる。

 

 

 

 >>続く。

 

 

 

 

 


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