こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

オルフェの遺言。

2021年11月26日 | 日記

 

 あ、今回も作品に対する純粋な感想とかではないです(^^;)

 

 この『オルフェの遺言』は、『竹宮惠子SF短篇集2』のタイトルなんですけど……1のほうに、『扉はひらく いくたびも』や『一度きりの大泉の話』にも言及のある『ガラスの迷宮』や『真夏の夜の夢』といった作品が収録されている――というのが、わたしの購入理由でした。

 

 でも、そうした部分を抜いた場合、漫画としてそんなに面白いかと言われると、自分的に「う゛~ん。いや、かといって面白くないってわけじゃないんだけども……」という、ちょっと歯切れの悪い感じになってしまうわけです(^^;)

 

 なので、2に関しては「どうしようかな」と思ってたところ、『アンドロメダ・ストーリーズ』の竹宮先生の文章にあった『決闘2108年』(同じく、光瀬龍先生原作)が収録されていると気づき、こちらを読みたくて購入したといった次第です

 

 そして、こちらに収録されている作品は『ジルベスターの星』、『集まる日,』、『オルフェの遺言』、『遥かなり夢のかなた』……など、収録されている作品は面白いものが多かったと思います。

 

 で、作品についてひとつずつ、感想を書いていっても良かったんですけど――ちょうどこの漫画を読んでた時(ついきのうです)、竹宮先生が増山法恵さんの訃報について10/3にブログで伝えていたらしい……と知ったんですよね。そしたら、何かこう、色々書こうと思っていたことが、急にぷしゅるるる……と、気力が突然しなえてしまったというか(^^;)

 

 なので、タイトル『オルフェの遺言』なんですけど、増山法恵さんについて、一読者的に思ったことを書こうかな、なんて。。。

 

 その~、正直、ネットで竹宮先生や萩尾先生に思想的に影響を与えた――みたいに書いてあるのを最初に読んだ時、「とはいえ、漫画という表現によって絵を描いているのは竹宮先生や萩尾先生なんだから……」という感じで、わたし的には「萩尾先生や竹宮先生には興味あるけれど、増山さんって一体何者なの?」くらいな気持ちしか最初はなかったのです。

 

 また、わたしと同じように『一度きりの大泉の話』を読んで、増山法恵さんに対してあまりいい感情を持たなかった方は多いと思うんですよね。何より、最初に読んだ時には「竹宮先生と一緒になって、萩尾先生に盗作疑惑をかけた人」と思ってましたから。でもここも二度目に読むと、主に話していたのは竹宮先生で、増山さんは>>「いいのよ、どうなのか、ちゃんと言って」と、困ったような優しい声で言った……とあるだけというか(^^;)

 

 他に、萩尾先生的にはたぶん、実際にあったことや、相手の方がこの時こう言った……といったことを、事実に基づいて書いておられるだけと思うんですけど、結構読者的には「性格のキツイ、冷たい嫌な人なのだろうか」といった印象だけが残ったりするわけです(萩尾先生の書き方がまずかったということではなく、読者的な受け止めとしてはそうした心証がどうしても強く残ってしまう、というか)。

 

 でも、この晩年になってから――『少年の名はジルベール』や『一度きりの大泉の話』などによって、「少女マンガの歴史に増山法恵あり」と言いますか、竹宮先生に原作的、原案的立場で協力していたにしても、それ以外でも増山さんの果たした役割はご本人が思っておられるよりも、実は大きいものがあったのではないだろうか……そんなふうに思ったりもするわけです(^^;)

 

 とにかく自分的に、『一度きりの大泉の話』を読んで以降、一時取り憑かれたように毎日萩尾先生と増山法恵さんと竹宮先生について@グルグル考えていただけに――お亡くなりになったと聞いて、とてもショックでした

 

 そして、「竹宮先生と萩尾先生が今からでも仲直り」とか、絶対無理だとしか、本を読む限り思えず、でも増山さんの書かれた『永遠の少年』、それからその次に『変奏曲』のほうを読んで……その後少し考え方が変わったんですよね。

 

 特に、『変奏曲』のvol.1とvol.2の巻末のほうに竹宮先生と指揮者の大友直人さん、そして増山法恵さんの鼎談が掲載されてまして、初めて増山さんのお写真見て思ったわけです。「あれ?絶対性格のキツイ人なんだろうな」みたいに思ってたけど、実はそうじゃないんじゃないか?みたいに。まあ、漫画家としてデビューしてそんなに経ってない萩尾先生や竹宮先生の作品を批判したりしてたのは、そもそも20代のほんのはじめの頃のことなんだし……『永遠の少年』のあとがきを読んでも思いますが、あれから何十年も経ってるのに、その時とまったく同じ人を想定して「あーではないか」とか「こーではないか」と書いても、これはもう実際に本人にお会いしてお話を聞いた場合、「文字にして発表するわけにはいかないけれど、実はわたしとしてはこういうことなんだよね」という――ようするにそうしたことなんだろうなあと、よく考えるとものっそ当たり前のことに気づいたわけです(笑)。

 

 竹宮先生と萩尾先生の関係の破綻については、例の盗作疑惑をかけられたことが原因だというのは、『一度きりの大泉の話』を読めば誰しもわかることとはいえ……正直、萩尾先生と増山さんとの関係の破綻については「はっきりこれ!」ということは書かれてないように思うんですよね(^^;)

 

 そこで、読者的憶測、というか、わたし個人の推測としては――竹宮先生と関係を断ったあと、萩尾先生は増山さんとは手紙のやりとりをしていたとあって、手紙の内容については一切触れられていませんが、この手紙の内容がかなりのところ微妙なものだった……そういうことなのではないかと思ったわけですその~、お互いに忙しく、手紙のやりとりも自然とその後途切れた……みたいなことであれば、本にも大体そんなふうに書くと思うんですよ。でも、萩尾先生としては竹宮先生のおっしゃったことの意味がわからなかったからこそ、「どういうことだったのか」、せめても増山さんに聞きたい気持ちがあったでしょうし、以前あったような三人の関係に戻れないかどうか、そうした道を模索したいというか、関係を修復したい気持ちがあったと思うのです。けれども、手紙のやりとりをするうち、竹宮先生のことをもし仮に抜くとしても、たぶん何か「こうしたことを手紙に書いてくるということは、もう無理だ」というのでしょうか。そんなふうに感じられることが増山さんの手紙には書いてあったのではないか……というのが、わたし個人の一読者としての推測です(いえ、その後花 郁悠紀子さんのお葬式ですれ違ったのに、話もしなかったとすれば、本を読む限り他の理由があまり思い浮かばないんですよね)。

 

 でも、本当に――『一度きりの大泉の話』の中で、マネージャーの城章子さんが>>「こうまで頭角を現すとは予想外だったのかもしれません」と書いておられるように……デビューして間もない当時、竹宮先生も増山さんも、萩尾先生が漫画家としてこんなにも大物になるとは思っておられなかったのではないか、という気がします(^^;)

 

 いえ、わたし自身、一ファンとして読みますのに、萩尾先生の大泉時代の漫画って、「神にもまだ、人間だったころがあったんだなあ」みたいに感じたりしますし、その後、小学館漫画賞を受賞するのみならず、才能の枯渇であるとか、そうしたこととはまったく無縁であるかの如く、斬新な作品を発表し続ける萩尾先生……正直わたし、自分がもし若い頃、こんなすごい方に>>「話が速すぎて落ち着かない。詰め込みすぎよ。コマも小さすぎる」であるとか、そんなふうに説教してたとしたら――その後はべつの意味で「なんかもうつきあいにくいな……」とちょっと自分を恥かしく思うのではないか、という気がします。

 

 正直わたし、『変奏曲』のvol.1のあとがきっぽいイラストページに、竹宮先生が>>「変奏曲キャラって、考えたら風と木の詩やポーの一族よりか前から増山の中にいたんだ……ませてるよね、増山……」と何気なく書いてあるのを読んだ時――もうこの時点で、というか、この時よりずっと前から、竹宮先生にとって萩尾先生との嫉妬その他のことというのは、歳月とともに都合の悪い記憶のほうは忘却機構によって精算されているのでは?……なんて思いました。

 

 たぶん、『風と木の詩』で本懐を遂げられて以降は、竹宮先生にとって大泉時代のことというのは、萩尾先生に対する嫉妬も含めて「いい思い出」であり、それはその後も親友として同じ時間を長く過ごした増山さんにとっても同じように「青春の一部をなす、いい思い出」なのだろう……そう思うわけです。

 

 でも、『オルフェの遺言』に収録されている『決闘2108年』を読んでわたしが感じたのは――実は、萩尾先生に対する色濃いジェラシーでした。発表されたのは、1980年で、萩尾先生が同じ光瀬龍先生の『百億の昼と千億の夜』を漫画化されたのは、1977年……そのですね、これもわたしの一読者としての勝手な憶測ですが、たぶん竹宮先生は萩尾先生の『百億の昼と千億の夜』を読み――ジェラシーを覚えるところがあったのではないかと想像するわけです。

 

『一度きりの大泉の話』には、>>OSマンションの方も光瀬先生の大ファンだと風の噂が流れてきて、これも排他的独占領域にひっかかったかな?と青くなりました……とあります。その~、読者的にはこう思いますよね。「えっ!?盗作疑惑をかけられた上、そんなことまで気を遣わなきゃいけないの?」みたいに。でも、もし竹宮先生が元から光瀬龍先生のファンだったとすれば――「わたしも光瀬先生の作品を漫画化したい!」となったということなのかどうか。

 

 いえ、『決闘2108年』って、SFでは定番らしい、火星の話なんですよね。そして、主人公は火星の東(イースト)キャナル専修学校、宇宙船工学科操船科の生徒で……その~、ここまで書いただけで長くなってしまったので、あらすじ等書きませんが、簡単にいえば、萩尾先生の『11人いる!』や『スター・レッド』という作品は、光瀬先生の小説の影響が軽くあるというか少しあるというか、そのあたりについて、竹宮先生にとって多少思うところがあった――自分的には、読んでいてそう感じるところがありました(『11人いる!』は、アーシュラ・K・ルグィンの名前だしたほうがいいのかもしれません^^;)

 

 まあ、例によってわたしの考えすぎかもしれませんし、いい意味で善意的に取れば、竹宮先生も萩尾先生の描かれたような『11人いる!』や『スター・レッド』、『百億の昼と千億の夜』といったSF作品を自分も描きたい!と、リスペクトとともにそう思っていた……とも、取れるのかもしれません。でも、萩尾先生が竹宮先生も光瀬先生のファンと聞き、顔が青くなった――ということは、あちらのご不快情報に気を遣いすぎなのでは?というくらい、一種怯えているようにすら読者に読めるということは……もっと言うなら、萩尾先生のような方がああした書き方をするということは(「風の噂」という匂わせ以上の情報は読者にはわからないにせよ)、それはもう間接的な情報が何かしら流れてくるだけでも――そこにはそれだけのことがあったのだと考えたほうが、おそらく正しいのではないかと思うわけです(^^;)

 

 あ、ちなみにわたし、増山法恵さんが亡くなったと聞いて、軽く鬱っぽい気分になりました一時期、取り憑かれたように萩尾先生と増山さんと竹宮先生のことを考え続けたせいで……直接知ってる人でもなんでもないのに、増山さんがわたしの中では勝手に「生きた人」となっており、その方が亡くなられたと聞いて、すごくショックだったのです。。。

 

 もちろん、わたし程度の人間でそうなのですから、増山さんのご友人やまわりの方はもっと大きなショックと悲しみを抱いておられることと思います。そして、自分的には何より……『一度きりの大泉の話』の中で増山さんは、何か特別悪く書かれていることは一切ないとは思うものの――萩尾先生が増山さんが亡くなられたと聞いて、ご心痛を覚えておられるのは間違いないので……「あの本を出したのは間違いではなかったか」など、落ち込まれたり悩んだりされてないことを、一ファンとしては涙とともに願うのみです

 

 でも、あらためて増山法恵さんはすごい方だったと思います。わたし、このことを知ったの、実は日刊スポーツのネット記事で、ですもの。たぶん、萩尾先生の『一度きりの大泉の話』のことがあったからこそ、ネット記事にもなったのではないか……そう思うのですが、先にも書いたとおり「少女漫画の歴史の裏に増山法恵あり」――そのような大きな足跡を残された方と言って間違いないのではないでしょうか

 

 実をいうと『永遠の少年』を読んでいて、もしかして増山さんのご両親、あるいはどちらかがクリスチャンで、増山さんも仏教系ではなく、キリスト教のほうの方なのかなと思ったんですよね。その場合、「ご冥福をお祈り致します」と言うのは適切でない気がするので、「R.I.P.安らかにお眠りください」と書いたほうがいいのかなと思うのですが、どちらなのでしょう?(^^;)

 

 なんにしても、わたしの中では増山法恵さんはすでにある種の有名人に等しいので、亡くなられたと聞いてもあんまり亡くなった方としてではなく、まるで今も生きてる方であるように、今後も記事の中などで書いていく所存でおりますm(_ _)m

 

 それではまた~!!

 

 

 

 

 


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