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(※萩尾望都先生の漫画「マージナル」のネタばれ☆がありますので、くれぐれも御注意くださいませm(_ _)m)
前回、次は萩尾先生の『百億の昼と千億の夜』か、竹宮先生の『アンドロメダ・ストーリーズ』のどちらか……みたいに書いたんですけど、『百億の昼と千億の夜』にも若干関わりがあると思うので、その前振り(?)として、こちらの記事を先にすることにしましたm(_ _)m
『マージナル』は、境界といった意味の他にも、不毛の、といった意味もあるそうですが(2巻に、>>「マージナル(不毛の)・プロジェクトとはよく言ったものだ!」というゴー博士の言葉があります)、他にも複数、漫画の設定的に色々な意味に取れる言葉ですよね(また、このタイトルひとつ取ってみても、萩尾先生は天才と思います^^;)。
その中でも重要な意味のひとつと思われるのが、表面上、わたしたちはお互いの肉体の間に<境界>を持っているわけですが、無意識下では<夢>といった共通意識を通してすべての人間・存在が実は繋がっているのではないか――といったように示唆されているように感じられる、ということです。
言うまでもなく、そのような場所には<境界>というものは存在しません。『マージナル』の物語は、グリンジャと、彼の村の人々が聖母マザを暗殺するところから始まります。マザが死ねば、どこの村でも子供がもらえなくなり困りきるとわかっているはずなのに……彼らは何も科学的な思考から、「ひとりの女からそんなに子供が生まれるはずなかろう」と、実は以前より疑念を持つ者などいくらでもいた――といったことによって、このテロを起こしたわけではないわけです。
理由はやはり、読者としては<原始的>としか思われない理由によってですよね。それは、村長(むらおさ)にそのような<啓示>があったから……という。このあたり、それがどんな啓示であったのか、詳しくは述べられていませんが、わたしが勝手に想像するに……それは祭事以外では延命のため、眠らされ続ける聖母マザに仕立てられた人物、あるいは地球自身が与えたものでなかったか――といったように想像しています。
こののち、アシジンの父親が村長の花石榴村でも、村長に<啓示>があって、それが前回【3】のところに書いた、マーゴたちが企てた7つの塔の爆破事件に繋がるわけです(正確には、彼らの計画は市長やマルグレーヴであるメイヤードを暗殺するといったもの)。
村長に夢の中で<啓示>があった場合、「何故」とか、「そんなことしたら大変だ」だの、さして議論になるでもなく、とにかく絶対そうせねばならない――といった強制力があるらしいのが何故かについても、そう深く語られてはいません。けれど、読者には大体のところ想像はつきます。これまでにもずっとそんなふうにして、この不毛の地と成り果てた地球では、文明が続いてきた……村長に<啓示>が与えられた場合は、それは絶対的に正しいものだったという歴史の積み重ねがあるということなのだろうと。
最後、キラは無意識の中で地球の夢と共鳴し、その力を使い果たして死んだ(地球とひとつになり、地球の一部となった)……ということなのでしょうが、それは決して子供が母親のために犠牲になって死んだとか、地球の全人類のために1人の可哀想な少年が自己犠牲によって世界を救った――といったような悲愴なことでなかったと思います(そして何よりここが、『マージナル』という物語の素晴らしいところですよね!)。
そこはある意味、わたしたちが生まれる前にいるのと同じ世界なのかもしれず(『マージナル』は、「目覚めの前に、眠りいれ」という謎めいた言葉からはじまります)、あるいはわたしたちがその内容を覚えていない夢とも繋がっており、死んだあとには誰もがそこで「意識の境界なくひとつになる」世界かもしれないわけです。
こうして考えていくと、どんな人間の不幸も悲惨も死も……「そこへ戻っていく」ことを思えば、少しくらいは理解が可能になるかもしれません。これは『百億の昼と千億の夜』の内容とも多少関係ある思想と思いますが、『百億の昼と千億の夜』の登場人物のひとり、シッタータ(仏陀)は、この世に生老病死があるのは何故かと考え、そして出家するわけですが、『マージナル』の背後にあるこうした死生観も、「すべてのものは変転する」、「万物は流転する」といったものに近いものかもしれません。
それはさておき、今回のタイトルは「マージナルに見る、神はいるのかいないのか問題」という、何やら御大層なものです(笑)。この場合、<神>とは、地球そのもののことだろう――と考える方も当然おられると思います。でも人類はもう地球から遠く、火星や木星などにも達し、その他多くの惑星にも移住しているらしいので、火星の問題事は火星の神にどーにかしてもらえとか、木星の問題は木星の神にどーにかしてもらいたまえよとか、根本にあるのはそういうことでないわけですよね。簡単にいえば、全宇宙の支配者=神であるとすれば、地球を不妊の石女(うまずめ)にしたのは宇宙の神である……という言い方も出来るでしょう。もちろん、悪いのは人間ですし、そうした不妊の原因を作ったのも、そこに住む人間であり、言ってみれば自業自得の結果に地球人類は苦しみ続けているわけです。
そしてキラの力によって地球は癒されたわけですが、それはただの偶然なのか、はたまた運命の神のお導きか……という、簡単にいえばそういうことだと思います。他に、もしそれが神の導きだというのであれば、それが何故「今この瞬間か」という問題もありますよね。2300年以降、2999年に至るまで、そのようなひどい状態の地球を、何故<神>は600年もの間放っておいたのか、という。
けれどまあ、宇宙でビックバンが起き(約138億年前)、その後地球がほとんど奇跡としか思われない偶然の連続によって、今のような形になるまで――気の遠くなるほどの時間が経過していることを思えば、神的には「600年なんて、あっという間でねえだか」ということになるのでしょうか(笑)。
他に、作中でイワン博士が、わたしたちの恐怖や不安という感情を遡ると、遥か昔の恐竜時代にまで行き着く……的に語っていたと思うのですが、以前、ある本の中に面白いことが書いてあったのを覚えています。つまり、恐竜が滅んだのは何故かというと、今のわたしたちのような「意識を持つ人間が現れるためでなかったか」ということになるらしいんですよね、どうも逆算すると(^^;)
多くの方は、「そういう考え方は傲慢すぎて好かんね☆」と思われるかもしれませんが、わたしたちの御先祖さまのホモ・ハビリスというのは、「賢い脳を持っていたが、心は空白」だったそうです(これが今からおよそ200万年前)。そこからホモ・エレクトス(約180万年前)→古代型ホモ・サピエンス(ネアンデルタール人・約20万年前)→初期ホモ・サピエンス(約10万年前)→現代ホモ・サピエンス(つまり今のわたしたち・笑)と進化してきたわけですが、人が心の理論なるものを獲得したのは、この古代型ホモ・サピエンス(ネアンデルタール人)の頃だったそうです。
ここで、『百億の昼と千億の夜』のことにも少し触れておきますと、宇宙のビッグバンからはじまって、今という現在、さらにはいつかあるだろう地球の消滅に至るまで(今から約50億年後に太陽は赤色巨星となり、地球はその太陽に飲みこまれて消滅するそうです)、そんな気の遠くなるような長い時間、「ただひたすらに見守り続ける存在、そんな神などというものが本当にいるのだろうか」という、そうした深い問いかけがあるわけですよね。
ところが――地球で恐竜たちが滅んでのち(今から約6600万年前)、わたしたち人間の祖先となる哺乳類は、大きな恐竜たちに踏み潰されて死ななかったのが不思議なくらい、小さな存在だったと言います。そこからさらに、ホモ・ハビリスに進化してゆくまで、気の遠くなるような過程があるわけですが、大型恐竜が次々滅びゆく中、わたしたちのこの小さな御先祖さまがどうにか生き抜くことが出来たということ……これはもう、生命の神秘、奇跡というより他はない出来事のような気がします。
ですから、『マージナル』の中における<神概念>なるものも、大体のところ、これと同一のものなのではないでしょうか。イワン博士は言っています。>>「我われが遺伝子を存続させるための単なるいれものなら、ことばも文化も思想もいらない。食べて眠って産んでりゃいい……」と(言い換えれば、「ただ生殖して存在し続けていくだけなら、わたしたちに進化した脳はいらない」ということだと思います)。わたしたちの意識というものが何故<ある>のかということについては、今ほど科学が発達した現在もわかっていないそうですが、わたしたち人間が<心>というものを獲得するために宇宙でビッグバンが起き、さらには地球を我が物顔でのさばっていた恐竜が滅んだのも――このような、今現在のわたしたちのような<意識を持つ人間>にまで進化した者を誕生させることが目的だった……まあ、人間という存在の脳の中に意識が生まれない限り、「この全世界、全宇宙を誕生させた神がいるに違いない」とは、誰も考えないわけですよね(笑)。だから神はわたしたち意識を持つ人間に、自分(神)という存在に気づいてほしくて、その計画の最終目的へ至るために、ある意味たったそれだけのために、神はこんなにも長い時間をかけたのか――ということでもあります。もっとも、キリスト教などでは「神はそれほどまでに人間を愛された」ということになるとは思うのですが(^^;)
あ、話がちょっと逸れてしまいましたが(汗)、ようするに、神という存在が本当にいるかどうかはともかくとして……まあ、同じように「おっそろしく長い時間、とにかく待てる神」なる存在がいたとします。そいつにとっては――いや、神さまのことをそいつなんて言っちゃいけませんね(笑)。その神さま(仮)的存在のお方にとっては、上記の理由により、5~600年なんて、そう大した時間じゃないんですよ。それでも、地球上にいる人間たちが困ってるのはわかってるし、何より、長い時をかけて自分(神)が造った地球のことも愛おしい。そこでとにかく、「機を待った」。地球が再生する可能性については、色々な可能性の種を播いてある。いや、地球だけではない。月にも火星にも木星にも、アルファ・ケンタウリにだって、神は色々な可能性の種、そこからさらにあらゆる可能性が組み合わさって「何かがいずれどうにかなる」という一点が神の目にはとりあえず見えている。あとは、どの可能性の組み合わせによって、「そこだ!」という瞬間に唯一神が多少なりとも運命の手を動かすか……にかかってくると言いますか(^^;)
『マージナル』では、地球の再生に、一番大きな役割を果たしたのは主人公のキラとは思います。けれど、キラのあのESPがただ<ある>というだけではどうにもならず、さらにはキラという特殊な存在が生まれるのを導いたのも神といえるのか?といえば、その点については多くの方が「う゛~ん。違うんじゃない?」となるでしょう。けれど、地球=神と言いきれないにしても――地球の意識とそこに住む人間たちの無意識が交差していることを思えば、とにかくキラという存在がいるとわかった時点で、母なる地球はキラを自分の元へ導きたく思い、その方向で動いた……このことが、村長たちの夢の中の<啓示>でなかったかと思うわけです。
以上、色々書いてきましたが、『百億の昼と千億の夜』の感想を書く前振り(?)としても必要かなと思ったとはいえ、『百億の昼と千億の夜』については、そんなに大したこと書けないだろうなということは、一応前もって書いておこうと思ったり(^^;)
あ、あと最後に、軽く残念(?)なメイヤードの遺言を書き記して、この拙い文章の終わりにしたいと思いますm(_ _)m
~ナースタースはおたんこなす??~
ナースタース:「彼の最期の様子を聞きたいの。最期に何か言った?」
アシジン:「ああ。色々言ってたよ。ナースタースのオタンコナース!一度くらいナースタースとナースプレイがしたかった……ちなみに私は健康元気な医者の役。いや、この場合患者役のほうがオイシいか……それにしてもカンパニーの連中め、私をこんな地球なんぞという不毛の地に閉じ込めやがって。こんな場所に12年もいなけゃ私はもっと長生きしただろうよ。カンパニーのくそったれな大株主どもめが!サノバビッチ、ファックユー!!&お尻ペンペンだ、このっ……あ~あ、ナースタースのお尻を一度でいいからペンペンしかったなあ。ブツブツ。さて、色々面倒くさいからそろそろ死ぬか。ナースタースには私が愛していたとだけ伝えてくれ……ガクリ☆」
ナースタース:「……ねえ、本当に彼、死んだの?」
アシジン:「ああ。間違いなく死んだ。中間管理職ってのもストレスが溜まって色々大変なんだろうなと思ったよ」
ナースタース:「…………………」
(無言で通信を切る☆)
アド・オクターブ:「メイナードの奴、おまえとナースプレイがしたかったのか。本物の変態だな」
ナースタース:「バカっ!本物のバカよ、あの人。ナースプレイくらい、一言そう言ってくれれば、いくらでもさせてあげたのに……(号泣☆)」
アド・オクターブ:「えっ、ええ!?おまえ、メイヤードを嫌ってたんじゃなかったのか」
ナースタース:「嫌われてたのはわたしよ!わたしに指一本触れなかった」
アド・オクターブ:「……なぜ彼に言わなかった。愛していると」
ナースタース:「言ったわよ!足にすがりついて言ったわよ。彼はオクターブ家の継承権も財産権もカンパニーもわたしにくれた。アルファ・ケンタウリもくれると言った。それならわたしは全部もらうわ!愛のほかはぜんぶくれると言った!」
(愛のほかは、ぜんぶ……)
……後半部分はほぼ原作通りですが、メイヤードとナースタースの関係については、エピソード的に必要最低限の枚数しかないのが、ほんと残念です(また、それであればこそ、読者に与える効果が大きいとはわかってるんですけどね)
ではでは、次回は『百億の昼と千億の夜』の感想を予定しています(竹宮先生の『アンドロメダ・ストーリーズ』はたぶんそのあとくらいかな^^;)。
それではまた~!!