>>この時期、私はこんな夢を見た。締切前の仕事をやっと終えてベッドに入ったのは朝方。眠っている私を意識の底から揺り起こすような、不気味なカモの首が、窓や壁をものともせずに外から飛び込んできて、ベッドの下に入り込み、行動をせよと脅しをかける。当然私はギョッとして起き上がる。疲れ果てて寝ているはずの自分が夢のなかで起き上がって、ベッドの下を見ようとするのだが、恐ろしくて身体が動かない。不気味に目を光らせたカモの首がゆっくりと首を回して私に何かを話そうとした瞬間、「ぎゃーっ」と叫んで目が覚める。すでに起きていて、驚いて私を見ている増山さんに「お願い、ベッドの下、見て!いる!いるのよ!」と指さした。「カモの首がいるのよ!お願い、あれ、なんとかして!」
「いるって?カモが?」と、彼女がベッドの下を慌てて覗き、首を振りながら、「何もいないよ、夢だよ。いったいどうしたの!?」
何かの強迫観念なのか。神経が参っていた。
夢の恐怖が去って考えてみると、そんな夢を見てしまったのは、今の自分の精神状態が関係することは明らかだった。
(『少年の名はジルベール』竹宮惠子先生著/小学館より)
>>全寮制の中高一貫教育の男子校で過ごしている少年を主人公にした「ギムナジウムもの」と呼ばれるテーマを、私も萩尾さんも描こうとしていました。私が後に描く『風と木の詩』や、萩尾さんの『トーマの心臓』などがそうです。その世界が一緒なので、萩尾さんがどういうことを描くのかがとても気になりました。萩尾さんに対して嫉妬や焦り、劣等感を感じていたのかもしれません。いや、私が過剰反応していた、一人相撲をしていたのでしょう。
ひどいストレスのせいで、「ベッドの下にカモの首がいる」という怖い夢を見て、泣き叫んで目を覚ましたこともありました。心理状態がおかしくなっていたのかもしれません。そんな夢を見ることが悔しくて、後に『真夏の夜の夢』という作品に描きます。カモの首などの悪夢を見ては、泣いて目を覚ますことを繰り返している少年の話です。
(『扉はひらく いくたびも』中央公論新社より)
『少年の名はジルベール』にも『扉はひらく いくたびも』の両方ともに出てくるということは、この夢は竹宮先生にとって相当印象的で恐ろしい夢だったんだろうな……と漠然と思ってはいましたが、この『真夏の夜の夢』を読んでみたところ、竹宮先生の心身の不調やストレスがどのくらい重いものだったかがすごくわかる気がしました
それで、この作品の中に超優秀で完璧な弟さんが出てくるのですが――この2冊の本を読んでから『真夏の夜の夢』を読むと、この完璧で優秀な弟さんというのはたぶん萩尾先生なのではないかという気がするんですよね(^^;)
というのも、『扉はひらく いくたびも』に、次のようにあるからです。
>>その頃私は自分の行く末が定まらず、紆余曲折をしていました。スランプかもしれない、と思ってから3年近くになります。多分、私は出版社が連載要員として獲得した漫画家なんだろうな、って思うんですね。連載で人気を取ることができるだろうと見込まれたわけです。
しかし1973年から小学館の「週間少女コミック」に連載した、フィギュアスケート選手兄弟の物語『ロンド・カプリチオーソ』以後は、連載を描いていませんでした。その『ロンド・カプリチオーソ』は、弟の才能に嫉妬する兄を主人公にした物語で、萩尾さんへの嫉妬や劣等感を叩きつけたような作品でした。自分でもあまりできが良いとは思えませんでした。
(『扉はひらく いくたびも』中央公論新社より)
わたし、『ロンド・カプリチオーソ』まだ読んでないのですが、『真夏の夜の夢』と合わせて考えてみると、竹宮先生はたぶん御自身のことを<兄>として捉えておられたのだろうなと思いました(萩尾先生は昭和24年5月生まれ、竹宮先生は昭和25年2月生まれですが、同学年です)。
萩尾先生と竹宮先生の関係のことを、『一度きりの大泉の話』や『少年の名はジルベール』を読まれた方が「アマデウス」のサリエリとモーツァルトにたとえたりしているそうなのですが――わたしがお見かけしたのは「このふたりの関係はよくアマデウスにたとえられるようだが……」的な文章であって、そもそもの最初にアマデウスにたとえた方の文章を読んでないので、どういった意味なのかは詳しくわかりません(あ、映画の『アマデウス』は大好きです)
ただ、竹宮先生が自分を<兄>、萩尾先生を(天才の)<弟>といったようにたとえているということは、やっぱり、大泉で一緒に暮らしはじめられた頃は、漫画作品のことにおいては自分のほうがリードしていると、そのように思っておられたのかな……みたいに、漠然と想像します。
また、自分的に最初に『少年の名はジルベール』を読んだ時には、「萩尾先生への嫉妬によって具合が悪かった」といったように感じられたんですけど、二度目くらいに再び読んでみると、結構印象が変わります。竹宮先生は週刊誌での連載を、>>「始まってしまったら、地獄だとしか思えない媒体」と呼んでおられますし、一方、萩尾先生は月刊誌のほうで自分のペースを守って仕事をしておられるように見えた。他に、増山法恵さんや佐藤史生さんは、適切なアドバイスをしてくれるというより、読者のわたしが本を読んだ印象だと、「そこはもっと別の言葉で竹宮先生の存在や作品自体を肯定し、褒めてあげるべきところでは……」というところで手厳しいことを言われたらしいといった感じがしました(いえ、増山さんはすごい方だと思いますが、かといっていつでも漫画に対し、正しい意見を言ってるわけでもないように思うので)。だから、竹宮先生の心身の不調というのは、何も萩尾先生への嫉妬ばかりが原因でなかっただろうと思うんですよね。
でも、もともとはその週刊誌でこそヒット作を出すであろうと見込まれていたはずなのに、現実にはスランプに足を取られている自分をどうにも出来ずにいた。唯一やる気の出る作品といえば『風と木の詩』だったけれど、風木に関してはどこの雑誌にも出版社にも断れるという始末で――この時期、相談相手として増山法恵さんがいらっしゃらなかったとしたら、竹宮先生はどうなっておられただろう……といったようにも思います
隣の芝生は青いと言うけれど、自分の一番大切な作品を盗作したと感じた萩尾先生は、『ポーの一族』の第1巻が三日で売り切れたりと、竹宮先生にとっては「彼女は何もかも順調なんだ。いいな。羨ましい……」みたいに感じることだったのではないでしょうか。
>>もう一つ、城さんが言った、
「大泉が解散したのは、あなたの嫉妬のせい」
〃嫉妬のせい?〃これが驚きです。竹宮先生が私に嫉妬などするはずがない。押しも押されもせぬ巻頭作家で、3社が取り合った有能作家です。編集部にファンがたくさんいたし、心酔している男性ファンもたくさんいた。人気者で、美人で、親切で、人間的にも立派な人が、こんな巻末作家に嫉妬なんて、ありえない。
私はいつも、次の仕事をくださいと頼み込んでいた。だってアンケートが取れない巻末作家だもの。すみません。
竹宮先生は頼まなくても仕事が来ていました。出版社での立場だけ見ても、雲泥の差がある。いつでも自信満々に見えていたし。人に負けたことはないって、堂々と言っていたし。
まさか、私の単行本が売れたから?でも竹宮先生だって単行本が出たらあれぐらい売れる。もっと売れるよ。だから嫉妬なんてありえない。
そうずっと思っていたし、この時もそう思いました。城さんて変なことを言う。
(『一度きりの大泉の話』萩尾望都先生著/河出書房新社より)
実際のところ、萩尾先生はこの頃、連載をはじめた「トーマの心臓」がアンケートで初回最下位だったりと、すごく大変な時期でもあったわけですよね(^^;)
そのですね、自分的には「一度きりの大泉の話」と「少年の名はジルベール」を読んでいて思ったのは……萩尾先生はあんまり人との比較でどうこう思ったりする方じゃないんじゃないかな、ということだったかもしれません(山岸涼子先生に「嫉妬がわからない」と言って、「萩尾さんにはわからないと思うわ」と言われたというエピソードもあります)。
でも、竹宮先生は萩尾先生の描写によると>>「美人で明るくて親切で才女」であり、>>「私は何をやっても人に負けたことがないの」と、ニコニコ言ってる人でもあった。最初はサラッと読み流してしまったんですけど、よく考えるとこれって、「萩尾先生にも漫画では負けないと思う」と言ってるのも同然といった気もします(^^;)
>>そんな風に二人は全然違うタイプでしたから、竹宮先生が萩尾先生に嫉妬してるだなんて、そう言われるまではまったく思いもしませんでした。竹宮先生のほうが萩尾先生の才能に惚れ込んで、「この人は才能がある。男だったら結婚したい」とまで言っていたから、竹宮先生は萩尾先生のいいところを見習って勉強していこうという気持ちはあったと思うんですけど、こうまで頭角を現すとは予想外だったのかもしれません。
萩尾先生は一種マニア向けというか、同業者とかコアな人達には好かれるタイプに見えたけど、世間的にもどんどん人気を獲得するとは思ってなかったんじゃないかと。しかも、少年同士のものというのは、増山さんと竹宮先生が夢中で、萩尾先生は「わからない~!」ってずっと言っていたようなので、そっちのほうでも評価を得るというのは竹宮先生からしたら予想外だったんじゃないでしょうか。
(『一度きりの大泉の話』萩尾望都先生著/河出書房新社より)
これは、当時を知る萩尾先生のマネージャーである城章子さんが「一度きりの大泉の話」の巻末のほうで書いておられることですが、わたしも本を読んでいて、一読者として「なんとなくわかるな~」と思ったりもするんですよね(^^;)
『ポーの一族』の「メリーベルと銀のばら」に関して、増山法恵さんは>>「話が速すぎて落ち着かない。詰め込みすぎよ。コマも小さすぎる」と指摘していたり……彼女は「いいものはいい」として褒め、自分があまりいいと感じない作品についてははっきりそう言うタイプの人だった。正直、わたしが『ポーの一族』を読んだあとに思ったのは――確かに、増山さんは一流のものを見抜く素晴らしい鑑識眼のある方と思うけれど、『ポーの一族』に関してはわからなかったんだろうな……ということでした。
わたしなどは、エドガーとアランのあの関係性こそ、増山さんが理想とされる少年愛ではないかと思ったりもするのですが、そんなふうに思うこともなければ、『ポーの一族』に世の少女や女性たちが夢中になっている動向についても、本が売れたあとにようやく気づいたのではないだろうか、と思ったりしました。
とはいえわたしも、『ポーの一族』という作品について「本当の意味でわかっている」とは思ってなく、最初に思ったのはラヴクラフトの怪奇小説に感じるような一種のカルト性でした。だから、むしろ読んでいてびっくりしたというか。連載時から『ポーの一族』にそれだけ夢中になっている少女や女性たちがたくさんいたこと、作品をそれだけ理解し、深く愛してやまないファンの方がいたということに……なんていうか、最初はラヴクラフト同様、一部のマニアックなカルトファンから人気が出て、やがて火がつき――みたいな、『ポーの一族』って、即座に誰からも理解される作品とはあまり思えなかったので(^^;)
そして、萩尾先生はこの『ポーの一族』と『11人いる!』で、小学館漫画大賞を1976年に受賞されてるわけですけど……そのことについて、竹宮先生と増山さんはどう思っておられたのだろうと思ったりもしました。いえ、わたしがこんなふうに書くのは、『少年の名はジルベール』に、>>「私が、生涯で全身の血が逆流するくらい嬉しかったのは一度だけ。竹宮惠子が小学館漫画賞を取ったとき」と増山さんが言っていたという描写があるからなんですよね。
よく考えてみると、増山さんがある時期思想的に導いたともいえる漫画家先生ふたりが、そのどちらも漫画界で大御所と呼ばれる存在となった――というのも凄いことと思いますが、かつては仲の良かった友人がそうした大きな賞をもらうとなったら、竹宮先生はともかくとしても、増山さんはお祝いの電話くらいかけたりされたのだろうか……と思ったりしたというか(^^;)
ではでは、次回は萩尾先生の「十年目の鞠絵」という作品を通して、このあたりのことについて何か書いてみたいと思っていますm(_ _)m
それではまた~!!