【春の精】フランク・ディックシー
あと、たぶん2回くらいで終わるんじゃないかな~なんて思うんですけど、そんなわけで(?)ここに書くこともなんか特に思い浮かばないな~なんて思ったりしてww(^^;)
ええとですね、この「ぼくの大好きなソフィおばさん」の連載が終わったら、次は「聖女マリー・ルイスの肖像」という小説の連載をはじめたいと思っています♪
なので、ブログのタイトルどうしようかなって思ってるんですよね
まあ、それはまたおいおい(?)考えるとして……「聖女マリー・ルイスの肖像」は大体のところ次のよーなお話かな~って思います
>>イーサン・マクフィールドはユトレイシア大学の経済学部に通う21歳。母は11歳の時に亡くなり、母の亡くなる前に自分のことを認知してくれた父親が亡くなるところからお話ははじまります。
言ってみれば「愛人の子」として認知してもらっただけであって、親子の交流といったもののなかったイーサンは、大学の寮で父の訃報に接しても、「あ、そっスか☆」といった程度の感慨しかなく。。。
けれど、この翌日、父が入所していたロンシュタット老人村という施設へ行き、70歳の父親が死ぬ少し前に結婚したという父より45歳も年下の若い娘と顔を合わせることに。実はイーサンの父親のケネス・マクフィールドは若い時に7億円という宝くじに当たり、その後事業にも成功してかなりの資産家となっていたのでした
当然、こうした場合にもっとも疑われるのが、遺産目当ての結婚。ということだと思うのですが、彼女は名前をマリー・ルイスといって、イーサンよりも4つ年上の25歳。聞くところによると、半身不随だった父ケネスと肉体関係はなかったといいます。
では、何故結婚したのか――それは、イーサンと半分血の繋がった、彼と年の離れた4人の弟妹を責任を持って育てるためだという。
当然、イーサンは「はあ!?一体なんだそりゃ」といったように思い、マリーに対して不信感を募らせます。
金銭的なことについては、マリーはユトレイシアにあるマクフィールド家の屋敷のみ受け継ぐということになっており……毎年かかる税金等の諸経費についてはイーサンが自分の資産の中から支払うことという指定までがされていたのでした。。。
イーサンは昔の愛人の子ですが、彼の下に四人いる弟妹は10~4歳で、それぞれランディ(次男)、ロン(三男)、ココ(長女)、ミミ(次女)といったところ
同じ市内に住んでいながら、イーサンは大学の寮住まいをしており、必要以外では4人の弟妹のいる屋敷のほうへは戻らない……といった生活をしてきました(そのかわり、長いつきあいの住み込みの家政婦さんがいます)。
ところが、マリー・ルイスのことを「善良そうな人間」と感じながらも、いまいち疑いを捨て切れないイーサンは、以後、なるべく屋敷のほうへ戻ることにし――こうして、六人家族のてんやわんや(?)な生活がはじまる、ということになるのでした。。。
……これ、一応分類としては「家庭小説」っていうことになるのかな?と思ったりするのですが、まあわたし、あんまりこーゆー話は書いたことないというか、小学生くらいの子たちが出てくる小説自体を書いたことない気がするので、なんか結構楽しかったです(笑)
んで、こっちの「ぼくの大好きなソフィおばさん」と舞台が一緒のユトランド共和国ということで、わたし的になんとなくこっちの連載を先にする必要があったというか、なんていうか
なんにしても、こちらのお話が終わったら、少し間置くかどうかわからないんですけど、とにかく次はこの「聖女マリー・ルイスの肖像」という小説を連載しようと思っています♪(^^)
それではまた~!!
ぼくの大好きなソフィおばさん。-【25】-
月曜日の八時に病院へ出勤すると、ロイはまず真っ先にソフィの病室を訪ね、何も言わずただ、アンドリュー・フィッシャーの書いた手紙を渡した。今日、彼女と面談する予定となっているのは午後の三時半からである。それまでにはソフィのほうでもかつての義理の息子の書いた手紙を読み、昂ぶった思いが整理されているに違いないと、ロイはそう考えた。
そしてこの日の午後、一時から面談のアポイントメントの入っている患者の部屋までロイが向かっていると――廊下でロイは手擦りに掴まりつつ、歩行の練習をしているソフィとすれ違ったのだった。
「大丈夫ですか、ソフィさん。なんだったら、理学療法士の先生をお呼びしましょうか?」
「いえ、いいんですよ、先生。もともと歩こうと思えば、車椅子なしでも歩けたのですからね。ただ、体のほうがだるいもので、あまりそういう気になれなかったというだけの話ですもの。先生はひどい方ですわね、わたしがこうして老骨に鞭打っているのも、すべては先生がアンディに会いにはるばるフェザーライル校まで出向いていったからですわ。わたし、たぶんもう少ししたらあの子と会おうと思います。その時ろくに歩けもせず、耄碌してるところなんて見られたくないんですもの。だから、邪魔しないでくださいな」
ここでロイはソフィに対して頷いてみせると、ナースステーションにいた看護師のひとりに、それとなく彼女のことを見守るように言付けてから三号室の患者の元へ走っていった。というのも、この患者は約束の時間にロイが少しでも遅れると、それだけ自分の話を聞いてもらえる時間が減ったといって、癇癪を起こすことがあったからである。
鬱陶しくない程度に距離を置き、ホスピスの職員のひとりが自分のことを見守っているとも知らず、ソフィは嬉しい気持ちを紛らわすように、自分に苦痛を課して歩き続けた。廊下の手摺りに掴まって階段のある場所まで出ると、そこから階段を下り、一階にある礼拝堂のほうまで向かった。日曜日にここで礼拝を守るという以外では、ソフィはほとんど病室を出るということがない。他に患者同士の集まりや趣味の集い、ちょっとしたサークル活動などもあると知っているが、彼女は昔と違い今はもうあまり人と関わりたいと思わないようになっていた。
礼拝堂までやって来ると、<すべての信者は神の御前に平等>と視覚的に訴えてくるかのように、長方形のテーブルと柔らかいクッションの敷かれた座席がズラリと同じ形で並んでいる。そこに数人、神に祈る人々の姿を認めると、ソフィは清らかな思いのようなものに包まれ、乱れていた呼吸が徐々に正常に回復してくるのを感じた。
癌細胞のほうはまだ小さいとはいえ、肺のほうにも転移があるとわかっているので、そのせいで少し歩いただけでこんなにも息が乱れるのだろうかとソフィは思う。けれど、ほんの少し休んだだけで呼吸の苦しさは回復し、ソフィは他の人々がそうしているように、声なき声で神に祈りを捧げるということにした。
もちろんソフィはアンディの手紙を読んで、嬉しくてたまらなかった。最初の一行目、<親愛なるソフィおばさんへ>という文字を読んだだけで、すぐにそれがアンディの筆跡であると彼女にはわかったし、その時点ですでに瞳の中に涙が浮かんだ。
――親愛なるソフィおばさんへ。
今日、聖十字病院のロイ・アンダーソン医師が、フェザーライル校の校長宅に訪ねて来ました。これは僕がそこで校長の職にあるためですが、おばさんは覚えていますか?かつて昔、おばさんはここへ僕のことを迎えに来てくれたことがありましたね……今となってはとても懐かしい思い出です。
僕は三十五歳の時、ラナ・スミスと結婚し、その後、一男一女にも恵まれ、幸福な家庭生活を送っています……といったようなことは何故か、あまり貴女に向けて書きたいと思わないのは、いまだにそのように感じる力があるというのは、自分でもとても不思議な気がしてなりません。妻のラナと娘のソフィは(娘に貴女の名をつけました)、僕が<ソフィおばさん病>にかかっていると言ってよく笑います。これはどういうことかというと、車は黒のランドクルーザーにしか乗らないし、夏はヴァ二フェル町以外の場所へは行かないしで、僕があまりに『ソフィおばさんはこうしていた』ということを生活に取り入れているもので、それが笑いの種となっているのです。
昨年、息子のバートランドは友人に誘われて、初めて夏にヴァ二フェル町以外の場所――スイスにある保養地――へ行って、とても喜んでいました。息子も娘も、『パパはもっと自分の子供たちに見聞を広めさせるべきだ』といったことを言って責め立てるのですが、僕のほうでは何かの要塞のようにビクともしません。この態度は父さんから学んだものです。また父親とはこうあるべきだとも思っています。浅はかなあの子たちには今はわからないでしょうが、いつか気づくこともあるでしょう。そこがどこであれ、家族が毎年同じ場所へ出かけられるということが、どれほど深い体験を自分たちに残してくれたかということを……。
もちろん、僕にとってこのことを教えてくれたのは貴女です、ソフィ。この感謝の気持ちをどう表現したらいいのか、僕としてはいまだにわかりません。今も時々ふとした瞬間にこう思うことがあります。<ソフィおばさんは今、どこでどうしているのだろう>といったことを。もちろん、アレクシス・ピアーズこと、セス・グラントという男性が生きていた頃までは、僕には僕の生活があるように、ソフィおばさんにはソフィおばさんの生活があるのだ……といったように思っていました。けれども、その後の消息がまるでわからないので、勝手ながらひとり心配したりもしました。
僕は今、貴女のことを家族と呼んだらいいのか、それともかつての恋人と呼んだらいいのか、そのどちらだろうと思っています。自分としては恋人と呼びたいけれど、あの頃の僕は今以上に頼りなく、貴女を強引に奪うには男として力が足りなかったのだろうと、その後何度も思いました。
――手紙をここまで読んだ時、ソフィはハンカチで目頭を押さえ、(そんなことないわ、アンディ)と心の中で何度も呟いた。
話は少し変わりますが、ソフィと別れて以降、父さんは何故かとても老け込んで、心配になった僕はユトレイシアの屋敷のほうへ戻りました。これは何も貴女を責めたくてこう書くのではなく、むしろ感謝しているからこそ言いたいことなのです。父さんと僕とは、ソフィというひとりの素晴らしい女性を失ったことで、何か不思議な連帯感をその後持つようになりました。結局のところ、僕が生涯この男のことだけは愛することはあるまいと思っていた人間を最後に愛することが出来たのも、貴女のお陰だったと思っています。
晩年、父は病気で体のほうも気のほうもすっかり弱っていました。昔の厳しい実業家としての父しか知らない人にとっては、おそらく信じられないほどの変貌ぶりだったと思います。僕は父の看病をしながら、時々父がこう思っているのを感じることがありました……こういう時のためにこそ、自分はソフィのような女性を金の力で留めておきたかったのだ、というように。そして僕のほうでも、ここに貴女がいて欲しかったと思うことがよくありました。もしソフィにセスという男性がおらず、僕のほうでも貴女のことを恋人としてでなく、ただ母親として慕い求めただけであったなら……そして今、弱って改心の最中にある父のことを、もし一緒に看病してくれたのであったならと、そんな勝手なことをよく思いました。こういう時、男というものは女性の手がないとまったく駄目なものですね。その点、女中のサラやアンナは実に役立ってくれました。どうでもいいことですが、ふたりは今父から結構な額の遺産を分けてもらって、とても裕福に暮らしています……そしてそれだけ我がフィッシャー家によく仕えてくれた女性たちだったとも思っています。
ところで、父が残した遺言とは別の手紙の中に、僕の出生に関する真実が書いてありました。母が残した遺書のほうは、顧問弁護士が父の命で処分するところだったのですが、なんとかギリギリのところで回収して、その遺書の文面もすべて読みました。人間というか、人生というのはとても不思議なもので、相応のショックに耐えられる準備が出来た時に僕の場合は真実を知ることが出来て良かったと思っています。
そして、その二通の手紙を読んでいて、思ったのです。ソフィおばさんはおそらく、このことを知っていたのだろうと。ただ、いつから知っていたのかということだけは僕にもわかりません。ソフィ、貴女の目から見て、僕はきっとひどく不憫な子に見えたことでしょうね。父からも顧みられず、実の母は自業自得の罪の中で苦しみ、子供を育てることすら放棄して、死ぬことを選んだのですから。
僕は父の手紙を読み、それから母の手紙を読んで泣きました。父の手紙には、<血の繋がりはなくても、今はおまえのことを本当に息子と思って愛している>と書いてあったからですし、母の手紙のほうに関しては自己憐憫といった類のものとは別の涙でした。
ソフィ、結局のところ父が僕のことを愛するようになったのは――貴女のお陰だと僕は思っています。貴女が熱心に僕のことを気にかけて、折に触れ「アンディが、アンディが」と何かの呪文のように吹聴して聴かせたから、あの冷血な父の中にも少しは温かいものが芽生えていったのではないかと、そんなふうに思います。そして母の手紙に関してですが、実は僕は、思ったほどショックを受けなかったのです。もし僕がおぼろげにでも母の面影を覚えていたら……その優しい手や仕種や美しい容貌のことを幼いながらも覚えていたら、話は別だったかもしれません。けれど、僕には写真以外で母の記憶はないし、何より――ソフィ、貴女が僕に母に代わる愛情を十分に注いで育ててくれたから、それであまりショックを受けなかったのだと思います。
ただ、我が母ながら本当に気の毒な、痛ましい最期だったとは思うのです。僕は小さい頃から母の写真を眺めては憧れと尊敬の気持ちを抱いてきましたし、彼女のことを愛する気持ちは今も変わりはありません。ただ、彼女のことを自分の母親というよりは、ひとりの女性として見ている側面のほうが今では強いと思います。何故なら、僕にとってはその後、母性的な結びつきのようなものはすべて、貴女との絆に取って代わってしまったから……。
ソフィ、貴女に対する感謝の気持ちは、他にも数え切れないほどあり、これから手紙にすべて書くとすれば、僕は監督だというのに、テニス部の早朝練習をさぼるということになってしまうでしょう。
ただ最後に、短い間とはいえ、恋人だった者として書きたいことがあります。ソフィ、貴女はあの時……きっと僕に深く同情してくれたのだろうということが、今僕にはわかるような気がしています。貴女が去った時、つらくもあったけれど、何故かそうなるような予感は最初からあったような気もするのが不思議でした。あんな素晴らしい幸福は、そんなに長く続くものではないと……僕はこのことでも、貴女に感謝する以外の何を言えるのかという気がしてなりません。
僕は夢を見ました。ほんの一夏の間でしたが、素晴らしい夢を。けれど、それがあるのとないのとでは――僕のその後の人生は雲泥の差だったでしょう。僕は幸福な家庭を持ちながらも、今も時折どこか魂の世界のようなところで、貴女と生きているような感じのすることがあります。つまり、もしあのまま貴女と一緒に生き、共に暮らしていたらと夢想することで、現実の世界にあることから一時逃れて休息している自分を見出すことがあるのです。
ソフィ、これは今の僕くらいの歳になったからこそようやく思えることですが……もしかしたら、叶わなかった夢のほうが、実はより素晴らしいということが、この世界にはあるのかもしれません。そして僕にはもうひとつの夢があります。これは人間ならば誰しもが見る生理的な夢のことで――そういう時、僕は九歳だったり十四歳だったりすることもあり、年齢は一定ではないのですが、とにかく貴女と一緒にヴァ二フェル町の海辺を散策したり、潮干狩りをしたりして日がな一日過ごしているといった夢を見ることがあります。そして目覚めた時にはとても幸福な気持ちに包まれているのです。
僕としても、ただ自分の一方的な思いを書き連ねてしまっただけのようで、気持ちをうまく伝えられたかどうか、自信がないのですが、なんにしても僕は一目でいいから貴女に会いたい。そして直接口で貴女に心から感謝していること、愛していることとを伝えたいと思っています。
ただ、この手紙の中では……僕が貴女と別れてからも、ずっといかに貴女のことを考えて過ごしたか、体は離れていても、心のどこかではいつも一緒にいたということを、そのことを伝えたかったのです。何故といって、こうしたことは直接口で言うとしたら、とてもうまくは説明できないことだから……。
そして結局僕たちは、もしもう一度出会ったとしたら、互いの間に言葉など必要ないでしょう。そのことも僕にはよくわかっています。ただ僕は、貴女のそばで貴女のことを間近に見ることで……自分の瞳の中に天国をもう一度見たいのです。
そのことをきっと、貴女が近いうちにアンダーソン先生を通して許してくださるだろうことを、今はひたすら神に祈って待ちたいと思っています。
永遠に貴女のものなる
アンドリュー・フィッシャー
礼拝堂で十字架に向かって祈る間も、ソフィは体が小刻みに震え、そのやつれた頬に熱い涙を流した。アンディのほうでもまた、自分とほとんど同じ気持ちだったということが、ソフィは嬉しくもあり、悲しくもあった。ただ今の彼女にとって何よりも喜ばしく感じられることは、彼が幸福な家庭を築き、幸せであるということだったかもしれない。
ソフィは(これで自分は安心して死ねる)とさえ思い、神に心から感謝した。と同時にやはり、自分の中で恐れていた事態が起きてもいた。これまではいつ死んでもいいように<死の準備>をと、そのような心構えでいたにも関わらず、初めて「生きたい」との願いが心の中に生じてしまったからだ。
もちろん、このようなことを相談するためにこそ、ロイ・アンダーソン先生は存在するのだったが、この複雑な心理を生み出した直接の原因となった男に、今日の午後、ソフィは何を話して聞かせればいいのかわからなかった。
もちろん、まず初めに感謝しなくてはならないと、ソフィにもわかってはいる。けれど何故か「せっかくの休日に、わざわざフェザーライル校まで出向いていただいて……」などといったようなことは言いたくない気がした。どちらかというと、それはあなたが勝手にしたことで、感謝はしているけれど、恩着せがましくするのはよしてもらいたい――ソフィの本音はどうもこれに近かった。
そこでソフィは、自分は老人で死が間近いのだし、何もこの上病院の職員にまで気を遣う必要はあるまいと思い、三時半頃に病室を訪ねてロイ・アンダーソン医師がやって来ると、むしろ今までにないほど硬質な態度で、冷たい顔をして彼のことを待ち受けていた。
いつもなら、ドアを開けた瞬間、なんとなく微笑みを湛えてこちらを見つめる彼女が――今日は明らかにはっきりと不機嫌であると感じ取り、ロイのほうでは意外な気がした。無論、彼としても何も、「このようなことまでしていただいて、先生にはなんとお礼を言ったらいいか……」などと涙とともに感謝されたかったわけではない。けれど少なくとも「それで、アンディは一体どんな様子でした?」とか、何かそんな質問がまずやって来るだろうと想像していたのである。
「その、ソフィさん。僕が今朝方渡した手紙のことなんですが……」
「ええ、読みました」と、ソフィはなんでもないことのように言った。まるで「今朝はロールパンをふたつ食べました」と言う時と、まったく変わらないような声音で。「それで先生は――わたしに一体どうしろとおっしゃるんですの?」
「いえ、僕はただ……アンディさんと再会する日程を調節したいなと思っただけなんですよ。彼も言ってました。今は六月で、もうすぐ学校も夏休みになると。そしたら、貴女に会いにサウスルイスまでやって来たいそうです」
ここでソフィは、本当はそのことを「迷惑だ」などとはまるで思ってないにも関わらず、さも面倒くさそうに溜息を着いてみせた。
「わたし、先生にアンディとは会いたくないと――」
「ええ、おっしゃいましたとも。けれど僕も伊達に長くこの仕事をしているわけじゃない。それが貴女の本心とは違うと思ったので、勝手ながら余計なことをさせていただいた。これは単にそれだけの話です」
ロイ・アンダーソンの受け答えは完璧だった。そこでソフィはふとあることに気づく。自分が彼に素直に感謝できないのは、彼の持つこうした完璧さのせいだということに。今までソフィは自分の人生録のようものを滔々としゃべって彼に聞かせてきた。それはある意味心地好いことでもあった。彼と話しているうちに、「そういえば自分の人生にはこんなこともあった、あんなこともあった」と思い出されたし、そう思えばまったく自分はなんと豊かな人生を生きたことか……そんなふうに感じることも出来た。
けれど今、ソフィはなんだか自分の人生の秘密を洗いざらいしゃべってしまったかのような、奇妙に居心地の悪い感じを覚えたのである。そして彼女にもその理由が何故なのか、すぐにわかった。無論、それが彼の仕事だということはよくわかっているにしても――ソフィは自分の人生のあれこれについて話した相手のことを、実際は何も知らなかったからである。もちろんソフィもカウンセリングの本などで読んだことはあった。精神科医やカウンセラーと呼ばれる人々は、自分の個人的情報について基本的に明かさないものだということは。
「ソフィさん、僕は今日の午後、廊下の手摺を掴んで歩いている貴女を見て思ったんですがね……来月、つまり七月ですが、アンディさんとふたりで、ヴァ二フェル町の例の別荘に行ってみてはどうでしょうか?」
「なんですって!?」
ソフィは驚きのあまり、一瞬息が止まりそうになった。
「そんな――先生、わたしは遠からず死ぬ運命にあるんですよ。だのにそんな、最後の思い出作りみたいなこと……駄目です。それに、あの子のためにも良くありませんわ。別れがより一層つらくなるだけですもの」
「そうでしょうか?僕はきっとアンディさんなら賛成してくださるような気がするんですがね」
「それに、手紙にも書いてありましたよ。あの子、毎年夏は嫌がる家族を連れてヴァ二フェル町へ行くことを習慣にしてるって。バートランドと離婚した時点で、わたしとあの子とはただの赤の他人ですもの。家族水入らずの一家団欒を邪魔するようなこと、わたしには絶対出来ません」
「ほら、ソフィさんも今、<嫌がる家族>とおっしゃったじゃありませんか」と、ロイは笑った。「アンディさんの家族も一年くらい、そろそろ別のところへ行きたいと思ってらっしゃるんじゃないでしょうか。そして彼の家ではあなたは一種の有名人――すでに特別な、伝説の人なんですよ。事情を話せばみなさんわかってくださるでしょうし、僕自身、何がどうでも別荘へ行くのがいいとは言いませんよ。何より、貴女の病状のこともありますからね。ただ、行けるとしたらおそらく来年はなく、可能性があるのは今だけだと思うんです。調べてみたら、二十年くらい前にヴァ二フェル町には少し大きめの病院が建ってましてね、そちらの医師と連絡を取って、定期的に診てもらうことにしようと思っています。それと、うちから看護師もひとりかふたり、つけようと思ってますし」
(最後にアンディと、海辺の別荘で過ごせるかもしれない……)
そのことを思うと、ソフィの心は激しく動揺した。ヴァ二フェル町は彼女の生まれ故郷である。そして、アンディと最後の夏を過ごして以来、彼女はそこへ一度も足を向けなかった。けれど今、彼女はそこに帰りたいとほとんど本能的に感じた。もう一度、海から吹く潮の香りを嗅いで、森の中を歩いて不意に鹿と遭遇したかった。何故なのだろう、医学的にはもはや完治などありえないとわかっているのに――彼女はもしそうしたなら、自分の中の何かが癒されるだろうと、強く感じていた。
「今日も、食事のほうはあまり摂られてないようですが」と、カルテに記載されていた記述を思いだして、ロイは言った。「これからアンディさんとお会いになる時のためにも、もう少し頑張って量を摂られてはどうでしょうか。そして歩くのも体にいいことですし、そうすれば自然気持ちも前向きになろうというものです」
「先生は――わたしが後ろ向きになってるとおっしゃりたいんですの?」
「後ろ向き、さもなければ蟹歩きといったところではありませんか?」
ソフィは大して面白くもなかったので、笑わなかった。けれど、アンダーソン医師の思いは伝わった。そして自分の負けだと思い、完敗の白旗を揚げることにしたのである。
「先生、先生はどうしてそんなに……患者のひとりひとりに親身になれるんですか?わたし、本当は先生のしてくだったことにとても感謝してます。アンディからもらった手紙を読んで、たくさん泣きもしました。でも先生、わたしのような人間にとって希望は絶望と同じか、あるいは毒のようなものかもしれません。わたし、怖いんです……歳を取ってすっかり弱ってしまって、あの子の優しさに縋るしかないようなところを、アンディにだけは見せたくないんです……」
(そんな心配は必要ないんですよ)といったようには、ロイは言わなかった。ロイの見たところ、アンドリュー・フィッシャーという人間は、長く教職に就いているせいもあるのだろうが、相当器の大きな人物である。彼女がいくら甘えたところで、彼は義理の母であり恋人でもあった女性のことを、十分支えられるだけの腕を持っているものと思われた。
「まずはとりあえず、近いうちに――貴女がいいと思う時に、アンディさんとお会いしてみてはどうでしょうか?一度会ってさえしまえば、きっと多くのことは貴女が今心配している以上に解決するような気がしますから。では、今日はいつもと違って短いですが、これで失礼します。明日もまた同じ時間でよろしかったですか?」
今日も一時間たっぷり話が出来ると思っていたソフィは、いつもの半分くらいの時間でロイがいなくなろうとしているのを見て、思わず彼のことを引き止めた。
「先生……先生はいつもとても完璧な方ですわね。話しぶりや立ち居振る舞いとか、何もかも。どうしたらそんなふうになれるんでしょう?わたし、いつも不思議なんですけれど」
「僕は完璧などとは程遠い弱い人間ですよ。患者さんとは一回一回、ある限定された時間に会うからそんなふうに錯覚されるのかもしれません。でもまあ、僕のプライヴェートなぞ、ソフィさんが知りたくもないような悲惨なものです。けれど、だからこそわかるんですよ。貴女とアンディさんとの間にあるような愛情は、とても特別なものだということが。そしてそんなものとは無縁に四十年も生きてきた人間にとっては、それは結びつけるべきものであって、決して引き離してはいけないものだということがわかる。これはそういう話なんですよ」
「…………………」
ソフィはロイのことをもう引き止めようとはしなかったが、不意に彼女は彼のプライヴェートについて自分は知りたいのだと思った。普段は自分のほうばかりがそんな話をしているため、常に共感的に頷いてくれるロイ・アンダーソン医師が本当はどんな人間なのか――そんなことに興味を覚えたのかもしれない。
ロイが立ち去ったドアが完全に閉まると、ソフィは床頭台の上から鏡を取り、自分の顔を改めて眺めやった。頬のたるみや皺やほうれい線など……こんなものがあるとアンディに知られるのは耐え難いことだった。
(それに髪……)
抗癌剤治療で抜けたせいもあるが、後ろのほうなど特に薄くなってぺしゃんこである。若い頃はあれだけ豊かなブロンドの髪をしていたのが今ではまったく見る影もなかった。
(そりゃあ、あの子は優しい子だから、前と変わらず優しくしてくれるのはわかってるけど……もしあの子のほうでも、中性脂肪でコテコテの太ったおっさんみたいな感じになってたら、わたしも安心して頼れそうな気もするけれど……)
と、そこまで考えて不意にソフィは、自分のそんな考えがおかしくなってきて吹き出した。
(おやまあ。わたしとしたことが……アンディだって七十のババアに昔と同じ綺麗さなんか求めてやしないでしょうよ。わたしはただ、あの子にとって昔懐かしい<ソフィおばさん>として会えばそれだけでいいんじゃないかしら。一緒にヴァ二フェル町へ行くことなど考えず、あの子の迷惑にならない範囲でちょっとだけ会って、『家庭を大切にするのよ』とか『奥さんを大切にするのよ』とか、そんな話でもすればそれだけでいいのだわ)
それからソフィは引き出しに仕舞ってあるアンディからの手紙を、震える手でもう一度手に取った。もう一度中身を読む必要はない。読めばまた泣いてしまうだけだとわかっている。ただ、アンディの書いた手紙を胸に抱いているだけでソフィは幸せだった。そしてこんな思いを抱ける自分はなんと幸せな存在だろうと、あらためてソフィはそう感じていたのである。
>>続く。
あと、たぶん2回くらいで終わるんじゃないかな~なんて思うんですけど、そんなわけで(?)ここに書くこともなんか特に思い浮かばないな~なんて思ったりしてww(^^;)
ええとですね、この「ぼくの大好きなソフィおばさん」の連載が終わったら、次は「聖女マリー・ルイスの肖像」という小説の連載をはじめたいと思っています♪
なので、ブログのタイトルどうしようかなって思ってるんですよね
まあ、それはまたおいおい(?)考えるとして……「聖女マリー・ルイスの肖像」は大体のところ次のよーなお話かな~って思います
>>イーサン・マクフィールドはユトレイシア大学の経済学部に通う21歳。母は11歳の時に亡くなり、母の亡くなる前に自分のことを認知してくれた父親が亡くなるところからお話ははじまります。
言ってみれば「愛人の子」として認知してもらっただけであって、親子の交流といったもののなかったイーサンは、大学の寮で父の訃報に接しても、「あ、そっスか☆」といった程度の感慨しかなく。。。
けれど、この翌日、父が入所していたロンシュタット老人村という施設へ行き、70歳の父親が死ぬ少し前に結婚したという父より45歳も年下の若い娘と顔を合わせることに。実はイーサンの父親のケネス・マクフィールドは若い時に7億円という宝くじに当たり、その後事業にも成功してかなりの資産家となっていたのでした
当然、こうした場合にもっとも疑われるのが、遺産目当ての結婚。ということだと思うのですが、彼女は名前をマリー・ルイスといって、イーサンよりも4つ年上の25歳。聞くところによると、半身不随だった父ケネスと肉体関係はなかったといいます。
では、何故結婚したのか――それは、イーサンと半分血の繋がった、彼と年の離れた4人の弟妹を責任を持って育てるためだという。
当然、イーサンは「はあ!?一体なんだそりゃ」といったように思い、マリーに対して不信感を募らせます。
金銭的なことについては、マリーはユトレイシアにあるマクフィールド家の屋敷のみ受け継ぐということになっており……毎年かかる税金等の諸経費についてはイーサンが自分の資産の中から支払うことという指定までがされていたのでした。。。
イーサンは昔の愛人の子ですが、彼の下に四人いる弟妹は10~4歳で、それぞれランディ(次男)、ロン(三男)、ココ(長女)、ミミ(次女)といったところ
同じ市内に住んでいながら、イーサンは大学の寮住まいをしており、必要以外では4人の弟妹のいる屋敷のほうへは戻らない……といった生活をしてきました(そのかわり、長いつきあいの住み込みの家政婦さんがいます)。
ところが、マリー・ルイスのことを「善良そうな人間」と感じながらも、いまいち疑いを捨て切れないイーサンは、以後、なるべく屋敷のほうへ戻ることにし――こうして、六人家族のてんやわんや(?)な生活がはじまる、ということになるのでした。。。
……これ、一応分類としては「家庭小説」っていうことになるのかな?と思ったりするのですが、まあわたし、あんまりこーゆー話は書いたことないというか、小学生くらいの子たちが出てくる小説自体を書いたことない気がするので、なんか結構楽しかったです(笑)
んで、こっちの「ぼくの大好きなソフィおばさん」と舞台が一緒のユトランド共和国ということで、わたし的になんとなくこっちの連載を先にする必要があったというか、なんていうか
なんにしても、こちらのお話が終わったら、少し間置くかどうかわからないんですけど、とにかく次はこの「聖女マリー・ルイスの肖像」という小説を連載しようと思っています♪(^^)
それではまた~!!
ぼくの大好きなソフィおばさん。-【25】-
月曜日の八時に病院へ出勤すると、ロイはまず真っ先にソフィの病室を訪ね、何も言わずただ、アンドリュー・フィッシャーの書いた手紙を渡した。今日、彼女と面談する予定となっているのは午後の三時半からである。それまでにはソフィのほうでもかつての義理の息子の書いた手紙を読み、昂ぶった思いが整理されているに違いないと、ロイはそう考えた。
そしてこの日の午後、一時から面談のアポイントメントの入っている患者の部屋までロイが向かっていると――廊下でロイは手擦りに掴まりつつ、歩行の練習をしているソフィとすれ違ったのだった。
「大丈夫ですか、ソフィさん。なんだったら、理学療法士の先生をお呼びしましょうか?」
「いえ、いいんですよ、先生。もともと歩こうと思えば、車椅子なしでも歩けたのですからね。ただ、体のほうがだるいもので、あまりそういう気になれなかったというだけの話ですもの。先生はひどい方ですわね、わたしがこうして老骨に鞭打っているのも、すべては先生がアンディに会いにはるばるフェザーライル校まで出向いていったからですわ。わたし、たぶんもう少ししたらあの子と会おうと思います。その時ろくに歩けもせず、耄碌してるところなんて見られたくないんですもの。だから、邪魔しないでくださいな」
ここでロイはソフィに対して頷いてみせると、ナースステーションにいた看護師のひとりに、それとなく彼女のことを見守るように言付けてから三号室の患者の元へ走っていった。というのも、この患者は約束の時間にロイが少しでも遅れると、それだけ自分の話を聞いてもらえる時間が減ったといって、癇癪を起こすことがあったからである。
鬱陶しくない程度に距離を置き、ホスピスの職員のひとりが自分のことを見守っているとも知らず、ソフィは嬉しい気持ちを紛らわすように、自分に苦痛を課して歩き続けた。廊下の手摺りに掴まって階段のある場所まで出ると、そこから階段を下り、一階にある礼拝堂のほうまで向かった。日曜日にここで礼拝を守るという以外では、ソフィはほとんど病室を出るということがない。他に患者同士の集まりや趣味の集い、ちょっとしたサークル活動などもあると知っているが、彼女は昔と違い今はもうあまり人と関わりたいと思わないようになっていた。
礼拝堂までやって来ると、<すべての信者は神の御前に平等>と視覚的に訴えてくるかのように、長方形のテーブルと柔らかいクッションの敷かれた座席がズラリと同じ形で並んでいる。そこに数人、神に祈る人々の姿を認めると、ソフィは清らかな思いのようなものに包まれ、乱れていた呼吸が徐々に正常に回復してくるのを感じた。
癌細胞のほうはまだ小さいとはいえ、肺のほうにも転移があるとわかっているので、そのせいで少し歩いただけでこんなにも息が乱れるのだろうかとソフィは思う。けれど、ほんの少し休んだだけで呼吸の苦しさは回復し、ソフィは他の人々がそうしているように、声なき声で神に祈りを捧げるということにした。
もちろんソフィはアンディの手紙を読んで、嬉しくてたまらなかった。最初の一行目、<親愛なるソフィおばさんへ>という文字を読んだだけで、すぐにそれがアンディの筆跡であると彼女にはわかったし、その時点ですでに瞳の中に涙が浮かんだ。
――親愛なるソフィおばさんへ。
今日、聖十字病院のロイ・アンダーソン医師が、フェザーライル校の校長宅に訪ねて来ました。これは僕がそこで校長の職にあるためですが、おばさんは覚えていますか?かつて昔、おばさんはここへ僕のことを迎えに来てくれたことがありましたね……今となってはとても懐かしい思い出です。
僕は三十五歳の時、ラナ・スミスと結婚し、その後、一男一女にも恵まれ、幸福な家庭生活を送っています……といったようなことは何故か、あまり貴女に向けて書きたいと思わないのは、いまだにそのように感じる力があるというのは、自分でもとても不思議な気がしてなりません。妻のラナと娘のソフィは(娘に貴女の名をつけました)、僕が<ソフィおばさん病>にかかっていると言ってよく笑います。これはどういうことかというと、車は黒のランドクルーザーにしか乗らないし、夏はヴァ二フェル町以外の場所へは行かないしで、僕があまりに『ソフィおばさんはこうしていた』ということを生活に取り入れているもので、それが笑いの種となっているのです。
昨年、息子のバートランドは友人に誘われて、初めて夏にヴァ二フェル町以外の場所――スイスにある保養地――へ行って、とても喜んでいました。息子も娘も、『パパはもっと自分の子供たちに見聞を広めさせるべきだ』といったことを言って責め立てるのですが、僕のほうでは何かの要塞のようにビクともしません。この態度は父さんから学んだものです。また父親とはこうあるべきだとも思っています。浅はかなあの子たちには今はわからないでしょうが、いつか気づくこともあるでしょう。そこがどこであれ、家族が毎年同じ場所へ出かけられるということが、どれほど深い体験を自分たちに残してくれたかということを……。
もちろん、僕にとってこのことを教えてくれたのは貴女です、ソフィ。この感謝の気持ちをどう表現したらいいのか、僕としてはいまだにわかりません。今も時々ふとした瞬間にこう思うことがあります。<ソフィおばさんは今、どこでどうしているのだろう>といったことを。もちろん、アレクシス・ピアーズこと、セス・グラントという男性が生きていた頃までは、僕には僕の生活があるように、ソフィおばさんにはソフィおばさんの生活があるのだ……といったように思っていました。けれども、その後の消息がまるでわからないので、勝手ながらひとり心配したりもしました。
僕は今、貴女のことを家族と呼んだらいいのか、それともかつての恋人と呼んだらいいのか、そのどちらだろうと思っています。自分としては恋人と呼びたいけれど、あの頃の僕は今以上に頼りなく、貴女を強引に奪うには男として力が足りなかったのだろうと、その後何度も思いました。
――手紙をここまで読んだ時、ソフィはハンカチで目頭を押さえ、(そんなことないわ、アンディ)と心の中で何度も呟いた。
話は少し変わりますが、ソフィと別れて以降、父さんは何故かとても老け込んで、心配になった僕はユトレイシアの屋敷のほうへ戻りました。これは何も貴女を責めたくてこう書くのではなく、むしろ感謝しているからこそ言いたいことなのです。父さんと僕とは、ソフィというひとりの素晴らしい女性を失ったことで、何か不思議な連帯感をその後持つようになりました。結局のところ、僕が生涯この男のことだけは愛することはあるまいと思っていた人間を最後に愛することが出来たのも、貴女のお陰だったと思っています。
晩年、父は病気で体のほうも気のほうもすっかり弱っていました。昔の厳しい実業家としての父しか知らない人にとっては、おそらく信じられないほどの変貌ぶりだったと思います。僕は父の看病をしながら、時々父がこう思っているのを感じることがありました……こういう時のためにこそ、自分はソフィのような女性を金の力で留めておきたかったのだ、というように。そして僕のほうでも、ここに貴女がいて欲しかったと思うことがよくありました。もしソフィにセスという男性がおらず、僕のほうでも貴女のことを恋人としてでなく、ただ母親として慕い求めただけであったなら……そして今、弱って改心の最中にある父のことを、もし一緒に看病してくれたのであったならと、そんな勝手なことをよく思いました。こういう時、男というものは女性の手がないとまったく駄目なものですね。その点、女中のサラやアンナは実に役立ってくれました。どうでもいいことですが、ふたりは今父から結構な額の遺産を分けてもらって、とても裕福に暮らしています……そしてそれだけ我がフィッシャー家によく仕えてくれた女性たちだったとも思っています。
ところで、父が残した遺言とは別の手紙の中に、僕の出生に関する真実が書いてありました。母が残した遺書のほうは、顧問弁護士が父の命で処分するところだったのですが、なんとかギリギリのところで回収して、その遺書の文面もすべて読みました。人間というか、人生というのはとても不思議なもので、相応のショックに耐えられる準備が出来た時に僕の場合は真実を知ることが出来て良かったと思っています。
そして、その二通の手紙を読んでいて、思ったのです。ソフィおばさんはおそらく、このことを知っていたのだろうと。ただ、いつから知っていたのかということだけは僕にもわかりません。ソフィ、貴女の目から見て、僕はきっとひどく不憫な子に見えたことでしょうね。父からも顧みられず、実の母は自業自得の罪の中で苦しみ、子供を育てることすら放棄して、死ぬことを選んだのですから。
僕は父の手紙を読み、それから母の手紙を読んで泣きました。父の手紙には、<血の繋がりはなくても、今はおまえのことを本当に息子と思って愛している>と書いてあったからですし、母の手紙のほうに関しては自己憐憫といった類のものとは別の涙でした。
ソフィ、結局のところ父が僕のことを愛するようになったのは――貴女のお陰だと僕は思っています。貴女が熱心に僕のことを気にかけて、折に触れ「アンディが、アンディが」と何かの呪文のように吹聴して聴かせたから、あの冷血な父の中にも少しは温かいものが芽生えていったのではないかと、そんなふうに思います。そして母の手紙に関してですが、実は僕は、思ったほどショックを受けなかったのです。もし僕がおぼろげにでも母の面影を覚えていたら……その優しい手や仕種や美しい容貌のことを幼いながらも覚えていたら、話は別だったかもしれません。けれど、僕には写真以外で母の記憶はないし、何より――ソフィ、貴女が僕に母に代わる愛情を十分に注いで育ててくれたから、それであまりショックを受けなかったのだと思います。
ただ、我が母ながら本当に気の毒な、痛ましい最期だったとは思うのです。僕は小さい頃から母の写真を眺めては憧れと尊敬の気持ちを抱いてきましたし、彼女のことを愛する気持ちは今も変わりはありません。ただ、彼女のことを自分の母親というよりは、ひとりの女性として見ている側面のほうが今では強いと思います。何故なら、僕にとってはその後、母性的な結びつきのようなものはすべて、貴女との絆に取って代わってしまったから……。
ソフィ、貴女に対する感謝の気持ちは、他にも数え切れないほどあり、これから手紙にすべて書くとすれば、僕は監督だというのに、テニス部の早朝練習をさぼるということになってしまうでしょう。
ただ最後に、短い間とはいえ、恋人だった者として書きたいことがあります。ソフィ、貴女はあの時……きっと僕に深く同情してくれたのだろうということが、今僕にはわかるような気がしています。貴女が去った時、つらくもあったけれど、何故かそうなるような予感は最初からあったような気もするのが不思議でした。あんな素晴らしい幸福は、そんなに長く続くものではないと……僕はこのことでも、貴女に感謝する以外の何を言えるのかという気がしてなりません。
僕は夢を見ました。ほんの一夏の間でしたが、素晴らしい夢を。けれど、それがあるのとないのとでは――僕のその後の人生は雲泥の差だったでしょう。僕は幸福な家庭を持ちながらも、今も時折どこか魂の世界のようなところで、貴女と生きているような感じのすることがあります。つまり、もしあのまま貴女と一緒に生き、共に暮らしていたらと夢想することで、現実の世界にあることから一時逃れて休息している自分を見出すことがあるのです。
ソフィ、これは今の僕くらいの歳になったからこそようやく思えることですが……もしかしたら、叶わなかった夢のほうが、実はより素晴らしいということが、この世界にはあるのかもしれません。そして僕にはもうひとつの夢があります。これは人間ならば誰しもが見る生理的な夢のことで――そういう時、僕は九歳だったり十四歳だったりすることもあり、年齢は一定ではないのですが、とにかく貴女と一緒にヴァ二フェル町の海辺を散策したり、潮干狩りをしたりして日がな一日過ごしているといった夢を見ることがあります。そして目覚めた時にはとても幸福な気持ちに包まれているのです。
僕としても、ただ自分の一方的な思いを書き連ねてしまっただけのようで、気持ちをうまく伝えられたかどうか、自信がないのですが、なんにしても僕は一目でいいから貴女に会いたい。そして直接口で貴女に心から感謝していること、愛していることとを伝えたいと思っています。
ただ、この手紙の中では……僕が貴女と別れてからも、ずっといかに貴女のことを考えて過ごしたか、体は離れていても、心のどこかではいつも一緒にいたということを、そのことを伝えたかったのです。何故といって、こうしたことは直接口で言うとしたら、とてもうまくは説明できないことだから……。
そして結局僕たちは、もしもう一度出会ったとしたら、互いの間に言葉など必要ないでしょう。そのことも僕にはよくわかっています。ただ僕は、貴女のそばで貴女のことを間近に見ることで……自分の瞳の中に天国をもう一度見たいのです。
そのことをきっと、貴女が近いうちにアンダーソン先生を通して許してくださるだろうことを、今はひたすら神に祈って待ちたいと思っています。
永遠に貴女のものなる
アンドリュー・フィッシャー
礼拝堂で十字架に向かって祈る間も、ソフィは体が小刻みに震え、そのやつれた頬に熱い涙を流した。アンディのほうでもまた、自分とほとんど同じ気持ちだったということが、ソフィは嬉しくもあり、悲しくもあった。ただ今の彼女にとって何よりも喜ばしく感じられることは、彼が幸福な家庭を築き、幸せであるということだったかもしれない。
ソフィは(これで自分は安心して死ねる)とさえ思い、神に心から感謝した。と同時にやはり、自分の中で恐れていた事態が起きてもいた。これまではいつ死んでもいいように<死の準備>をと、そのような心構えでいたにも関わらず、初めて「生きたい」との願いが心の中に生じてしまったからだ。
もちろん、このようなことを相談するためにこそ、ロイ・アンダーソン先生は存在するのだったが、この複雑な心理を生み出した直接の原因となった男に、今日の午後、ソフィは何を話して聞かせればいいのかわからなかった。
もちろん、まず初めに感謝しなくてはならないと、ソフィにもわかってはいる。けれど何故か「せっかくの休日に、わざわざフェザーライル校まで出向いていただいて……」などといったようなことは言いたくない気がした。どちらかというと、それはあなたが勝手にしたことで、感謝はしているけれど、恩着せがましくするのはよしてもらいたい――ソフィの本音はどうもこれに近かった。
そこでソフィは、自分は老人で死が間近いのだし、何もこの上病院の職員にまで気を遣う必要はあるまいと思い、三時半頃に病室を訪ねてロイ・アンダーソン医師がやって来ると、むしろ今までにないほど硬質な態度で、冷たい顔をして彼のことを待ち受けていた。
いつもなら、ドアを開けた瞬間、なんとなく微笑みを湛えてこちらを見つめる彼女が――今日は明らかにはっきりと不機嫌であると感じ取り、ロイのほうでは意外な気がした。無論、彼としても何も、「このようなことまでしていただいて、先生にはなんとお礼を言ったらいいか……」などと涙とともに感謝されたかったわけではない。けれど少なくとも「それで、アンディは一体どんな様子でした?」とか、何かそんな質問がまずやって来るだろうと想像していたのである。
「その、ソフィさん。僕が今朝方渡した手紙のことなんですが……」
「ええ、読みました」と、ソフィはなんでもないことのように言った。まるで「今朝はロールパンをふたつ食べました」と言う時と、まったく変わらないような声音で。「それで先生は――わたしに一体どうしろとおっしゃるんですの?」
「いえ、僕はただ……アンディさんと再会する日程を調節したいなと思っただけなんですよ。彼も言ってました。今は六月で、もうすぐ学校も夏休みになると。そしたら、貴女に会いにサウスルイスまでやって来たいそうです」
ここでソフィは、本当はそのことを「迷惑だ」などとはまるで思ってないにも関わらず、さも面倒くさそうに溜息を着いてみせた。
「わたし、先生にアンディとは会いたくないと――」
「ええ、おっしゃいましたとも。けれど僕も伊達に長くこの仕事をしているわけじゃない。それが貴女の本心とは違うと思ったので、勝手ながら余計なことをさせていただいた。これは単にそれだけの話です」
ロイ・アンダーソンの受け答えは完璧だった。そこでソフィはふとあることに気づく。自分が彼に素直に感謝できないのは、彼の持つこうした完璧さのせいだということに。今までソフィは自分の人生録のようものを滔々としゃべって彼に聞かせてきた。それはある意味心地好いことでもあった。彼と話しているうちに、「そういえば自分の人生にはこんなこともあった、あんなこともあった」と思い出されたし、そう思えばまったく自分はなんと豊かな人生を生きたことか……そんなふうに感じることも出来た。
けれど今、ソフィはなんだか自分の人生の秘密を洗いざらいしゃべってしまったかのような、奇妙に居心地の悪い感じを覚えたのである。そして彼女にもその理由が何故なのか、すぐにわかった。無論、それが彼の仕事だということはよくわかっているにしても――ソフィは自分の人生のあれこれについて話した相手のことを、実際は何も知らなかったからである。もちろんソフィもカウンセリングの本などで読んだことはあった。精神科医やカウンセラーと呼ばれる人々は、自分の個人的情報について基本的に明かさないものだということは。
「ソフィさん、僕は今日の午後、廊下の手摺を掴んで歩いている貴女を見て思ったんですがね……来月、つまり七月ですが、アンディさんとふたりで、ヴァ二フェル町の例の別荘に行ってみてはどうでしょうか?」
「なんですって!?」
ソフィは驚きのあまり、一瞬息が止まりそうになった。
「そんな――先生、わたしは遠からず死ぬ運命にあるんですよ。だのにそんな、最後の思い出作りみたいなこと……駄目です。それに、あの子のためにも良くありませんわ。別れがより一層つらくなるだけですもの」
「そうでしょうか?僕はきっとアンディさんなら賛成してくださるような気がするんですがね」
「それに、手紙にも書いてありましたよ。あの子、毎年夏は嫌がる家族を連れてヴァ二フェル町へ行くことを習慣にしてるって。バートランドと離婚した時点で、わたしとあの子とはただの赤の他人ですもの。家族水入らずの一家団欒を邪魔するようなこと、わたしには絶対出来ません」
「ほら、ソフィさんも今、<嫌がる家族>とおっしゃったじゃありませんか」と、ロイは笑った。「アンディさんの家族も一年くらい、そろそろ別のところへ行きたいと思ってらっしゃるんじゃないでしょうか。そして彼の家ではあなたは一種の有名人――すでに特別な、伝説の人なんですよ。事情を話せばみなさんわかってくださるでしょうし、僕自身、何がどうでも別荘へ行くのがいいとは言いませんよ。何より、貴女の病状のこともありますからね。ただ、行けるとしたらおそらく来年はなく、可能性があるのは今だけだと思うんです。調べてみたら、二十年くらい前にヴァ二フェル町には少し大きめの病院が建ってましてね、そちらの医師と連絡を取って、定期的に診てもらうことにしようと思っています。それと、うちから看護師もひとりかふたり、つけようと思ってますし」
(最後にアンディと、海辺の別荘で過ごせるかもしれない……)
そのことを思うと、ソフィの心は激しく動揺した。ヴァ二フェル町は彼女の生まれ故郷である。そして、アンディと最後の夏を過ごして以来、彼女はそこへ一度も足を向けなかった。けれど今、彼女はそこに帰りたいとほとんど本能的に感じた。もう一度、海から吹く潮の香りを嗅いで、森の中を歩いて不意に鹿と遭遇したかった。何故なのだろう、医学的にはもはや完治などありえないとわかっているのに――彼女はもしそうしたなら、自分の中の何かが癒されるだろうと、強く感じていた。
「今日も、食事のほうはあまり摂られてないようですが」と、カルテに記載されていた記述を思いだして、ロイは言った。「これからアンディさんとお会いになる時のためにも、もう少し頑張って量を摂られてはどうでしょうか。そして歩くのも体にいいことですし、そうすれば自然気持ちも前向きになろうというものです」
「先生は――わたしが後ろ向きになってるとおっしゃりたいんですの?」
「後ろ向き、さもなければ蟹歩きといったところではありませんか?」
ソフィは大して面白くもなかったので、笑わなかった。けれど、アンダーソン医師の思いは伝わった。そして自分の負けだと思い、完敗の白旗を揚げることにしたのである。
「先生、先生はどうしてそんなに……患者のひとりひとりに親身になれるんですか?わたし、本当は先生のしてくだったことにとても感謝してます。アンディからもらった手紙を読んで、たくさん泣きもしました。でも先生、わたしのような人間にとって希望は絶望と同じか、あるいは毒のようなものかもしれません。わたし、怖いんです……歳を取ってすっかり弱ってしまって、あの子の優しさに縋るしかないようなところを、アンディにだけは見せたくないんです……」
(そんな心配は必要ないんですよ)といったようには、ロイは言わなかった。ロイの見たところ、アンドリュー・フィッシャーという人間は、長く教職に就いているせいもあるのだろうが、相当器の大きな人物である。彼女がいくら甘えたところで、彼は義理の母であり恋人でもあった女性のことを、十分支えられるだけの腕を持っているものと思われた。
「まずはとりあえず、近いうちに――貴女がいいと思う時に、アンディさんとお会いしてみてはどうでしょうか?一度会ってさえしまえば、きっと多くのことは貴女が今心配している以上に解決するような気がしますから。では、今日はいつもと違って短いですが、これで失礼します。明日もまた同じ時間でよろしかったですか?」
今日も一時間たっぷり話が出来ると思っていたソフィは、いつもの半分くらいの時間でロイがいなくなろうとしているのを見て、思わず彼のことを引き止めた。
「先生……先生はいつもとても完璧な方ですわね。話しぶりや立ち居振る舞いとか、何もかも。どうしたらそんなふうになれるんでしょう?わたし、いつも不思議なんですけれど」
「僕は完璧などとは程遠い弱い人間ですよ。患者さんとは一回一回、ある限定された時間に会うからそんなふうに錯覚されるのかもしれません。でもまあ、僕のプライヴェートなぞ、ソフィさんが知りたくもないような悲惨なものです。けれど、だからこそわかるんですよ。貴女とアンディさんとの間にあるような愛情は、とても特別なものだということが。そしてそんなものとは無縁に四十年も生きてきた人間にとっては、それは結びつけるべきものであって、決して引き離してはいけないものだということがわかる。これはそういう話なんですよ」
「…………………」
ソフィはロイのことをもう引き止めようとはしなかったが、不意に彼女は彼のプライヴェートについて自分は知りたいのだと思った。普段は自分のほうばかりがそんな話をしているため、常に共感的に頷いてくれるロイ・アンダーソン医師が本当はどんな人間なのか――そんなことに興味を覚えたのかもしれない。
ロイが立ち去ったドアが完全に閉まると、ソフィは床頭台の上から鏡を取り、自分の顔を改めて眺めやった。頬のたるみや皺やほうれい線など……こんなものがあるとアンディに知られるのは耐え難いことだった。
(それに髪……)
抗癌剤治療で抜けたせいもあるが、後ろのほうなど特に薄くなってぺしゃんこである。若い頃はあれだけ豊かなブロンドの髪をしていたのが今ではまったく見る影もなかった。
(そりゃあ、あの子は優しい子だから、前と変わらず優しくしてくれるのはわかってるけど……もしあの子のほうでも、中性脂肪でコテコテの太ったおっさんみたいな感じになってたら、わたしも安心して頼れそうな気もするけれど……)
と、そこまで考えて不意にソフィは、自分のそんな考えがおかしくなってきて吹き出した。
(おやまあ。わたしとしたことが……アンディだって七十のババアに昔と同じ綺麗さなんか求めてやしないでしょうよ。わたしはただ、あの子にとって昔懐かしい<ソフィおばさん>として会えばそれだけでいいんじゃないかしら。一緒にヴァ二フェル町へ行くことなど考えず、あの子の迷惑にならない範囲でちょっとだけ会って、『家庭を大切にするのよ』とか『奥さんを大切にするのよ』とか、そんな話でもすればそれだけでいいのだわ)
それからソフィは引き出しに仕舞ってあるアンディからの手紙を、震える手でもう一度手に取った。もう一度中身を読む必要はない。読めばまた泣いてしまうだけだとわかっている。ただ、アンディの書いた手紙を胸に抱いているだけでソフィは幸せだった。そしてこんな思いを抱ける自分はなんと幸せな存在だろうと、あらためてソフィはそう感じていたのである。
>>続く。