こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

惑星パルミラ。-【あとがき】-

2022年09月01日 | 惑星パルミラ。

 

 >>信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。

(ヘブル人への手紙、第11章3節)

 

 >>このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののように、お呼びになる方の御前で、そうなのです。

(ローマ人への手紙、第4章17節)

 

 

 さて、あとがきです♪

 

 いつもは「あとがき」はあってもなくてもどーでもいい感じ……のほうが多いんですけど、今回は自分的に必要な気がしました(なんとなく^^;)

 

 ええと、最後のほうとか結構メルヘンチック☆な感じで終わるんですけど(笑)、ひとつの惑星の「自然」といったものは、そんなに甘いものではない……みたいに、自分的には思っていて。

 

 第五施設のフェイゲン研究所は海洋研究施設なわけですが、もし仮に例の洞窟内にいる緑の石がパルミラにおける<表層意識>なのだとしたら、海の中に惑星の<無意識>ともいえるもうひとつの岩というか、岩礁地帯のようなものが広がってるんだろうなあ……と漠然と想像していたり。リー・シャトナー博士は『カプセル型海中エレベーターの設置』といった計画を立ててるんですけど、この<無意識層パルミラ>的存在は、とても深い海溝の中に存在しているので、普通の人間が会えるといった存在ですらない、と言いますか。

 

 また、こちらの<無意識層パルミラ>は地上の橄欖岩としての<有意識層パルミラ>が今地上において「何をしているか」といった動向についても理解しています。ところが、地上のパルミラのほうでは海の中のことについては「よくわからない同じ岩や石としての仲間がいる」くらいのことしかわかってなかったり。。。

 

 ゆえに、今のところ<無意識層パルミラ>にとって、地上を治めるのに例の橄欖岩は便利だから、まあいいだろう……くらいな感じらしいのですが、地上にこれ以上余計な異星人が増え、それが<無意識層パルミラ>にとって、海洋をおかす邪魔な存在になったとすれば――ぶるんと体を振って大地震を起こし、その人口を減らしたり、さらには「そもそもこのことの責任は地上の緑の橄欖岩にある」、「だが、あいつもそろそろ老いた」、「人間どもの思考に染まりすぎて、もはや石としてまともな判断力さえないらしい」と判断したとすれば……人間たちがパルミラの魂と認識しているあの緑の岩から意識を奪うか、あるいは破壊するもやむなしとして、砕くことも出来る力が、この<無意識層パルミラ>さんにはあるらしい――といったような、大体のところそんな設定だったりします。

 

 んで、冒頭に聖書から二箇所聖句を引用したのですが、この場合重要なのは、>>「目に見えるものが、見えないものから出来ている」というところと、>>「無いものをあるように呼ばれる方」=「あるものを無いもののように呼び、無いものをあるもののように呼ばれる方」、それが神である、というところです。

 

 確かアインシュタインだったと思うのですが、ビッグバンが起きた時、神は全能であるはずなのに、その前の方策として随分限られた選択肢しか神にはなかったということになる……みたいな文章を以前読んだことがありました。つまり、全能の神が「光あれ」と言ったからこの世界は誕生したわけではない――ということですよね。

 

 また、<標準理論>というのに照らして言えば、科学的な考え方としては、ビッグバン以降、すべての物事は偶然の連続によって今へと至っているという、そうしたことらしいです。人間的な感覚としては、「ええ?そうかなあ」と感じますが、科学の世界ではとにかくそんなふうに言われているということなので(^^;)

 

 でも、ここで人間らしい心や魂といった問題として取り上げたいのは、あくまで昔からある哲学的な問題として、だったりします。すなわち、「すべてのものが有る/在るのは何故か」という昔からあって今もまだ解けていない難題の設定として――そもそも、この世界は「目に見えないものから出来たのか」、それとも「目に見えるものから出来たのか」という。

 

 普通、科学的思考法を取った場合、「馬鹿じゃねえのか。目に見えるものは当然目に見えるものから出来たに決まってんじゃねえか」となると思います。でも、本当にそうなのでしょうか?(「そもそもこの世界を構成する原子とか、そもそも人間の肉眼の目では見えないよ」といった意味ではなく)。

 

 これは前にもどっかに書きましたが、人間の脳は当然物質的なもので出来ています。けれど、わたしたちはその脳という物質的なものに他でもないわたしたちの「思考」や「心」、「精神活動」といったような、目に見えない非物質的なものを見出すわけですよね。しかも、この脳の中を電気メスで切開したところで、その人がその瞬間考えていた何がしかの物事が飛び出してくるというわけでもない。

 

 この不思議をどう解くべきなのか――ということを考える時、もし誰かが「この世界、いや全宇宙は目に見えないものから出来たんだ」と叫ぶとしたら、案外この意見も馬鹿に出来ないものであることがわかると思います。

 

 つまり、この場合「どちらが正しいか」ではなく、科学的な事実としては「この全宇宙に神などいないし、全能の神が『光あれ』と言ったからすべてのものが存在する契機となったわけでもない」ということですよね。一方、「もしかしたらいつかビッグバン理論なんていうものも覆るかもしれない。その場合、もし神がいたと仮定して、『無いものを有るもののように呼び、存在させるようにした』ということも、やはり完全には否定しきれないのではないか」……といったように考えることも、あながち馬鹿に出来ない気がします。

 

 結局のところ、こうした事柄については昔から哲学者の方などがものすごーく考えてきてることなので、それで決着ついてないっていうことは、今後それ以上に解決できるなんらかの思考法や科学的事実を応用した解決案といったものも出てきそうにない気がします。

 

 なので、神はいるようでいて存在せず、存在しないようでいて存在する……この人間の「神の気配」を感じる能力というのは、脳の構造的にそのように配線されているからだ、というのが『惑星パルミラ』の小説内での高位惑星系と呼ばれる人々の思考法なんですよね。そして、彼らの場合は他の異星人たちの多くがやはり同じように<神>や<神々>を信じているのも、大体地球発祥型人類と同じく、脳にそうした神秘的な事柄に関しての回路が確認される、そのためだろう――ところが、こちらの異星人の惑星でも、この回路を脳に持つ人々の間では、その後どんなに科学が進歩しようとも「神が完全に死ぬ」ことはないらしいと、そのように確認されている……という、何やらそうしたことのようです。

 

 ええと、べつにわたしは「だから神さまっているんだもーん!」と力説したいということではなく、あくまで人間の心の豊かさの問題として……ゼンディラのように本当に一心に神を見つめてそこから離れない人というのは、なんらかの形によって究極的な真理、あるいはそれに近いものに接する機会に恵まれるものなのではないかと、そんなふうに思ったりしてるっていうことなんですよね(^^;)

 

 >>主は仰せられた。

「外に出て、山の上で主の前に立て」

 すると、そのとき、主が通り過ぎられ、主の前で、激しい大風が山々を裂き、岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風のあとに地震が起こったが、地震の中にも主はおられなかった。

 地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。

 

(列王記第一、第19章11~12節)

 

 まあ、なんか余計な説明といった気もしますが、【30】あたりで、>>『ゼンディラよ、このことをとくと考えよ』と言ったのが、アスラ神なのか全宇宙の神ソステヌなのかわからないにせよ、存在としては聖書の中のこの<かすかな細い声>と同じか、あるいは似た存在なのだろうと、書いた側としては何かそうした感じのことだったりします。

 

 それではまた~!!

 

 

 心残りのひとつして、惑星イルヴィスのキツネ型星人というのを登場させられなかったというのがあって……いまやキツネダンスですっかり大人気な曲ですが、最初に聴いた時の笑撃たるやwwと思います(笑

 

 

 

 

 

 


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