さて、今回は【13】の前文の続きですm(_ _)m
YくんとZ子ちゃんが別れた理由――それはZ子ちゃんの浮気でした
というのも、わたしもYくんのお母さんなど、関係者(?)のことをちょっとずつ知ってる感じなのですが、Z子ちゃんというのが、ほんっとーにものすごーく、半端なく可愛い子だったらしく……Yくんのお母さんのほうでも「あんなに可愛い子がうちの息子なんかとねえ」みたいな、そんな感じだったらしいんですよね。
ところが、Yくんの実家を出て以後、ふたりの関係はだんだんうまくいかなくなっていったそうです。Yくんは家事のすごくよく出来るお母さんに育てられ、自分で料理するなんていう発想自体思い浮かばないような人だったので……家事の負担について受け持っていたのはZ子ちゃんだったと言います。
まあ、それがコンビニじゃなくても、週3回くらい4~5時間でもどこか勤めにでて、同棲相手がもし「たかがパートだろ?」みたいな態度だったら――なんか、喧嘩になるのはよくわかる気がします(^^;)
というわけで(?)、容姿が半端なく可愛いZ子ちゃんには、Yくんじゃなくても寄ってくる男など他にいくらでもおり、こうして彼女はYくんのお母さんが引っ越し代+初期費用を出してくれた部屋に、浮気相手を時々Yくんの留守中に引っ張り込むようになったのだとか
YくんにZ子ちゃんの浮気が何故わかったかというと、その浮気相手と偶然鉢合わせたといったようなドラマみたいなことはなかったものの――浮気相手が男物の何かを忘れていったとか、そういうことが何度かあって、事が露見したそうです
Z子ちゃんはポロポロ涙をこぼしてあやまり、Yくんのほうではどうにか怒りをグッとこらえたのだとか。考えてみれば、自分にも悪いところはあったし、それがZ子の浮気に繋がったのだろう、そんなふうにも思ったらしく。でも、もうふたりでここで暮らすのは無理だ……そう思い、別れを決意ところがですね、最初こそ涙をポロポロこぼしていたZ子ちゃんですが、突然態度のほうがガラっと変わり、「別れるんなら、あんたが出てって」と言ったそうです。
まあ、Yくんからしてみたら、「そんなバカな!?」という話。でもこのYくんも、性格に優しいところがあるので、そこもグッと飲み込んだとか。よく考えてみると、Z子ちゃんは帰ることの出来る実家があるわけでもありません。そこで、「ここはな、俺のおふくろが全部金だしてくれた部屋じゃねーかっ!!」と言うかわりに、「おまえのパートの金だけでここの家賃を払うのは難しいだろ」みたいに言ったそうです。するとZ子ちゃんは、「あんたが出てったあとのことは、自分でどうにかするから気にしないで」みたいに言ったとか。
こうしてYくんは再び居心地のいい実家へ帰りました。でも、まだ荷物その他色々部屋には置いてありますから……それを取りに行った時のことです。Yくんは仕事が休みの日に、部屋で色々片付けながら考えました。「よく考えたら、自分にもこんな悪いところがあった、あんな悪いところもあった」ということもそうですし、自分と別れたらすぐにもここへ新しい男を引っ張りこむのだろう――そう思っていたのに、部屋を片付ける間、そうした気配を感じるものは、この時一切見つからなかったそうです。
そこでYくんの脳裏をある考えがよぎりました。浮気のことを問い詰めた時、Z子ちゃんは「Yくんがあんまり構ってくれなくなって寂しかった」といったことを口にしたと言いますし、「もしやり直すとしたら、今そのことを言うしかない」、Yくんはそう思いました。何より、「ここで俺は本当にZ子と別れていいのだろうか」と、そんなふうにも思ったと言います。
が、ですね。Yくんがすっかりそう心を決めて、洗面所へ向かった時――そこに初めて、新彼の痕跡を発見したのでした。ひとつのコップの中に、ピンクとグリーンの歯ブラシ……言うまでもなく、グリーンの歯ブラシはYくんのものではありません。
この瞬間、YくんはZ子ちゃんの浮気がわかった時以来、いえ、その時以上に頭に血が上ったそうです。「よく考えたらやっぱり、ここは俺のおふくろが金だしたんだから、あいつが出ていくべきだ!なんでって、浮気したのはあいつのほうだからだ!!」ということもそうですし、それより何よりZ子ちゃんと交際するようになってから初めて彼女のことを「殴ってやりたい」と思ったそうです。
さて、大体以上のようなことを聞いてわたしが思ったのが……この話の最初のさわりのほうを聞いた時、わたし自身はZ子ちゃんのお姉さんのA子さんに対して――「なんと横暴な」と思ったわけですけど、きっとA子さんにはA子さんにとっての、それなりに妹を迫害する理由があったのではないか、ということだったりします(^^;)
もちろん、わからないんですけどね。普通、一般的に言って二人姉妹の場合、お姉さんはお姉さんのほうで「妹ばかり可愛がられている」と感じ、一方妹のほうでは「お姉ちゃんのほうが可愛がられている」と思い、親のほうでは「どっちも同じように大切にしてるつもりなんだけどねえ」というのが、あるある親話、姉妹話という気がします。
また、小さい頃は喧嘩ばかりだったけれど、大きくなってからはそんなこともなくなり、今度は仲良し姉妹に……というのも、よく聞く話。でも、A子さんとZ子ちゃんの間では、絶対にそんなふうにわかりあえない「何か」があったということらしく(^^;)
ちなみにYくんのお母さんは、息子さんが実家に戻ってきても「まあ、大体そんなことになると思ってた」そうです。もっとも、Z子ちゃんが浮気する、あるいは浮気したにしても、息子とふたりで暮らす部屋に男を引っ張り込むとまでは考えなかったそうですが……何分、Yくんが初めておつきあいしたのがZ子ちゃんだったので、「これも人生勉強。というか、息子には最低でも2~3人くらいは女性と交際経験があってから結婚して欲しいくらいの気持ちなのよね」と、そんな感じだったみたいです。
Yくんはその後、別の女性とおつきあいして結婚し、今は子供さんもいるのですが、Z子ちゃんがその後どうしたかはわかりません。まあ、直接知ってる方でないのであれこれ言えないものの……周囲の知ってる方にしてみると、「あの女なら、その浮気相手じゃなくても、軽く5~6人は男を乗り換えてでも十分生きていけるだろう」という、何かそんな感じではあったようです。。。
まあ、本編と全然関係ない話なんですけど、シャロンの生い立ち(?)のところ書いてる時に、このことをちょっと思い出したという、ただそれだけの話だったり(^^;)
それではまた~!!
ユトレイシア・ユニバーシティ。-【15】-
「おやまあ。あんたも随分年を食ったもんだね。ここの施設じゃ介護員泣かせのアーロン・グリーナウェイとでも呼ばれてるに違いない。あたしには、あんたの満足する介護のできる人間なぞ、この世に存在するとは到底思えないんだがね、違うかい?」
「ハッ!減らず口だけは年を取っても変わらんわけか。やれやれ。だがな、わしがここに毎月いくら支払ってるかを聞いたら……シャロン、おまえでもわしが満足しないわけがきっとわかるだろうよ。が、まあ結局、いざという時には医者がすぐ駆けつけてくれるというのが、この施設最大のメリットだわな。そう考えたら普段介護員の質が多少悪かろうとも、とんとんといったところかもしれんわい。フハハハ!昔の別れた亭主が半身不随で半分死にかけとると知って、それを直に目で確かめられて、満足したかね?ワッハッハッ!!」
ここで、アーロンは笑っている途中、再び咳き込んでいた。ロイは彼の背を撫でたが、アーロンがこのあと発作にも近い様子を見せ、激しく咳き込んだため――ロイはナースコールを押して看護師を呼んだ。すぐに中年の引っつめ髪の看護師が現れて、アーロンが自分で吐き出せない痰をサクションチューブで吸引してくれる。
「やれやれ。こんなことのためだけに、この施設にわしは大金をはたいとるわけだわな。驚かせてすまんかったが、お陰ですっかり喉の通りがスッキリしたわい。これで暫くの間はおまえさんと普通に話せるだろうから、病人だからとて遠慮する必要はないぞ。他に、わしの気分が悪くなったり、興奮するようなことを言わないようにしよう……なぞという気遣いも余計なことだて。なんでかと言えば、シャロン、おまえさんと話して怒りのあまり興奮しようとしなかろうと、少し時間が経てば、またすぐさっきみたいに看護師を呼ぶかなんかせにゃならんもんでな。だから、本当に一切遠慮はいらん」
「あたしはね……ただ、驚いたんですよ。この感じのいい若い人がね、ユトレイシア交響楽団のコンサートをただで見れる方法がある、なんて気を遣って言うもんでね。なんでもあんた、毎月ユトレイシア交響楽団の定期公演を見に行ってるそうじゃないか。で、つきそいのボランティアがふたりまでなら無料だから、自分と一緒に行かないかと言うんだね。今はもうすでに引退して、老人福祉施設に何年も厄介になってるとなったら、まああたしと同年代だろうと思ったわけだ。もしかしたら知ってる誰かという可能性もあると思って、試しに名前を聞いたわけだよ。そしたら、『アーロン・グリーナウェイ』だなんてこの人が言うもんでね、あたしはべっくらこいたというわけさ」
「ハハハハッ!!そりゃべっくらこくわな。憎みあって別れた昔の亭主の名前を聞いたとあってはな」
アーロンは、看護師から痰を取ってもらったせいか、今度は清々しい声で笑っていた。声のほうもよく通るようで、突然元気になったようにさえ見える。
「まあ、あんただって今更あたしなんかと会って嬉しいはずもなかろう……とわかってはいましたよ。だけどね、このロイって子と、この子のガールフレンドが、こんな死にかけの老いぼれふたりのために何かと心を砕いているらしいと思ってね。だったら、とっととあんたが死ぬ前に会って大喧嘩でもしたほうが――若い人たちの時間を無駄にせずに済むだろうと思ったのさ。大方、あんたがあたしと会ってもいいって言ったのも、そんな理由からなんじゃないかい?」
「確かにな。が、まあわしもわからなくはあった。わしとおまえはもう別れて何年になるかの?ええ?軽く四十年にはなるわな。その間まったく音信不通の別れた先妻と会って、自分がどんな気持ちになるか……こんなみっともない死にかけのザマを見せて、やっぱり会うんじゃなかったと後悔するのか。が、まあ、この年になるともう、そんなこともどうでもよくなる――それが年を取るということの、いい面でもあるのだろうよ」
「同感だね。あたしだって、あんたに会って目と目が合った途端、やっぱり会いになんて来るんじゃなかったと、後悔するかもしれないと思いましたからね。けどまあ、アーロン、あんたとの面会が至極面白くない思いを味わわせられるだけのものであったにせよ……自分でわかってるわけですよ。それならそれで、『あのじじいはあのじじいで、自分とは違う意味で相変わらず哀れな人間なのだろう』と、心の中で陰湿な満足を覚えるのだろうとね」
「フハハハッ!で、どうだね?ユトレイシア交響楽団を引退後は、半身不随になったと聞いて――満足したかね?ま、わしはおまえさんと別れてからも、相変わらずといったところじゃったよ。シャロン、おまえが強迫神経症と呼ぶ症状とつきあいつつ、ユトレイシア交響楽団の副コンマスの椅子にしがみつき続け……再婚後のエマとの生活についても、エマのほうでは随分わしに対して文句があったろうと思う。が、まあ娘がひとりおったからな。娘のためにわしの欠点のある性格その他、色々我慢し続けたのだろうと思うわけだ」
「そういえば……娘にジョゼフィンと名づけたそうだね。そのことをリズから聞いた時、少し驚いたんだよ。あたしが、もし娘が生まれたらジョゼフィンと名づけたいと言ったことと、まさかとは思うけど、何か関係あったのかと思ってね」
ここで、アーロンはロイのほうをちらと見ると、(一体おまえさんはこの女にどこまで話したんだね?)というような、探るような目をしてから――オーバーテーブルの上を動くほうの指でコツコツ叩いていた。これはいつもは、アーロンが若干不機嫌になりつつあるという、介護員に対するサインであった。
「ま、エマが『娘の名前を何にするか?』と随分悩んでおったもんで……わしがちょっと横から『ジョゼフィンなんてどうだな?』みたいに一言いったわけだ。もちろん、シャロン、おまえさんがそんなことを言っとったなんてこと、エマは知らん。が、まあ、わしは娘の子育てには失敗した。あんなにエマが可愛がって大切に育てたのに、あんまり母親に反抗して『クソババア』だなんだ言って暴力を振るうもんで――わしはな、ある時我慢がならなくなって、ジョゼフィンのことを打ち据えて家から追いだしたのだ。その時のことを、後悔しなかったことは一度もない。が、まあ、同時にわしにもエマにもわかっておった。また同じことが繰り返されるのは耐え難いし、遅かれ早かれ娘のことは何かの形で追いだす以外にはなかったろうということはな」
この時、シャロンが目頭を押さえて泣きはじめるのを見て……ロイは驚いた。まさかとは思うが、自分に娘がいたら名づけようと思っていた名前をアーロンが覚えていたことに感動したのだろうか?それとも、その娘がうまく育たなかったと聞き、何か責任を覚えたということなのか――ロイにはわからなかった。
「それは……つらかったろうね。アーロン、あんたが娘のことを打ち据えたということは、それは相当よっぽどなことだったんだろう。あるいは、あたしが元の名づけ親だったのがまずかったのかもしれないね。なんにしてもあんたは、その娘さんのことを探しださなきゃいけませんよ。それが何故だかわかりますかね?なんでって、あたしだってあんたと再会したところで、何がどうなるとも思ってやしなかったのに――今はこうして一目だけでも、せめてもあんたが死ぬ前に会えて良かったと、心からそう思ってるんですからね」
この瞬間、シャロンとアーロンの心は、ロイにはよくわからないところで通じあい、繋がりあったようだった。このあとふたりは、急に礼儀正しくなったように、その後自分たちの人生がどんなだったかについて当たり障りがないようにではなく、腹を割って率直に話し合っていた。ロイもリズも、シャロンに対して、『自分たちがいるからと言って、ありのままのことをアーロンに話す必要はない。適度に誤魔化すか、あるいは嘘をつくくらいでいいのではないか』と先に言ってはおいたのだ。何も、離婚後は麻薬中毒になっただの、今は公的扶助の厄介になっているだの、なんでもありのまま話す必要まではない……そう思っていたからである。
だが、アーロンが「若い頃のおまえさんは美人だったからの。わしと別れたあとでも、男なんか引く手あまただったろうが」と言うのを聞いて、彼女はリズにもロイにも話さなかったことを語っていたのである。「悪い男に引っかかっちまってね。そいつがマフィアのボスの麻薬をちょろまかしたとかで……さんざんな目に会ったよ。そいつが拷問されて死ぬところも目の当たりにしたし、あたしがもしそのボスの情婦として気に入らなかったとしたら、あたしも酷い目に合わされて同じように死んでいたろうね。まったく、とんでもない悪徳紳士だよ。見た目、マフィアのようにはまるで見えない男なんだが、いかにもって感じのギャングなんかより、よほど質の悪い男でね……そのあたりであたしもようやく麻薬なんてものと手を切ろうと思ったわけさ」と。
今度は、アーロンが目頭を押さえるのを見て、ロイは再び驚いた。普段、よほどのことでもなければ涙を流しそうもない老人ふたりが――自分にはよく理解できないところで激昂するのを見、やはりこのふたりの間でしか通じないしわからない<何か>があるのだろうとしか思えなかったのである。
「わしはな……ジョゼフィンのことは探したくなかったのだよ。何故といって……最初は大麻、その次は麻薬か。そんなものに14歳の頃から手を出しておったらしくてな。わしはそのことでは随分エマを責めた。おまえは母親なのに、何故気づかなかったのだと、そう言ってな。そうこうするうち、16、7歳の頃にはそういう界隈に出入りして、麻薬をキメてからヤルのは最高だのなんだの、わしやエマが聞きたくもないようなことを、煙草をスッパーと吸いながら言うようになったわけだ。とはいえ、エマが甘やかして育てたからだなんだの、わしには妻を責めることは出来ん。それは当時から本当はわしにもわかっておったことだて……が、まあ、母親が説教をはじめると、気が狂ったようになって手がつけられんもんでな。ある時、エマの体を台所のところで蹴り飛ばし、食事がまずいだなんだと言うのを聞いて――あいつがエマの頭をスリッパで殴るのを見てな、わしもとうとう頭にカーッと血が上ったわけだ。気がついたら娘のことを殴っておったわい。恐ろしかったぞ……何分、その年まで人の機嫌を窺うばかりで、ろくに喧嘩すらしたことなかったもんでな。正直、そのあとのことはよく覚えとらん。ジョゼフィンのことを引っつかんで外へ追いだすと、『おまえはもうこの家の子ではない!どこへでも行ってのたれ死ね!』と、この口がそう勝手にしゃべっておったわ……」
シャロンは、「何が原因でそんなふうな娘に育ったのかね」といったように、理由については一切聞かなかった。同じ屋根の下で二年ほど暮らしたせいもあり、エマ・キャンベルのことも知っていたから、ある程度察しのほうはつくとか、そうしたことではないだろう。ただ、彼女にはそうした理屈すらも越えて、何かが「わかる」ようだった。少なくとも、ロイはそんなふうに見えた。
そしてふたりが初めて無言になったこの時、ロイはそっと部屋から出ていくことにした。アーロンもシャロンも、今度は「いておくれ」とは言わなかったし、そもそも、随分前から彼の存在自体に気づいてなかったようで、ゆえに彼が出ていったことにもまるで気づいていないようですらあった。
「どう?シャロンとアーロン……」
二階の食堂あたりを探すと、リズの姿はすぐ見つかった。それまで彼女は老人たちと一緒にテレビを見、世間話をして笑っていたのだが――ロイの姿に気づくと、椅子から立ち上がったのだった。
「いい雰囲気みたいだ……なんて言うと、誤解されそうだけど、なんて言ったらいいのかな。オレやリズが当初想像してた以上に、何か通じあってるみたいでね、最初はふたり同時に「いろ!」とか「いておくれ!」みたいに言われたもんだから、黙って様子を見てたんだけど……今はもうオレの存在自体が邪魔じゃないかと思って、出てきたんだ」
「そう。じゃあ、うまくいったのね」
リズは心底ほっとした、というような溜息を着いていた。実をいうと彼女は最後まで『自分たちは余計なお節介をしようとしているだけなのでは……』というように思い、迷っていたからである。
このあと、夕方になるまで、施設のご老人に混ざって賭け事をして遊んだあと――ロイとリズはふたり揃って再び703号室のほうまで戻った。話のほうがすっかり済んで、そろそろ暇乞いをするべき頃合……となったら、シャロンのほうで部屋を出て、詰所の看護師にでも連絡するだろうと思っていたのだが、おそるおそる室内の様子を窺ってみると、なんと!この時にはなんとも機嫌のよさそうなアーロン・グリーナウェイの笑い声が聞こえてきたのである。
「そうよなあ。ランディ・リッジウェイの奴の女たらしっぷりは、年を取っても直らんかったらしくて、こういう老人福祉施設でも同じくらいの年の若作りしたのを左右に抱えておったものよの。ま、そんな奴さんも数年前にお亡くなりになったわな。わしがホスピスに見舞いにいった数日後に息を引きとって、今度は葬式にでなならんかったわけだわい」
「へえ……まあ、ユトレイシア交響楽団時代から、男っぷりのいい人だったけど、なんでああも、チェロ弾きってのはチェロ弾いてるってだけでモテるもんなのか、あたしは理解に苦しむよ」
――このあたりでロイが部屋のドアをノックすると、「ああ、きっとロイの奴だわい」と言って、アーロンは「いつも通り遠慮なく入ってくればええのに」と、機嫌よさそうに笑っていたものである。
「さてさて、お迎えが来たようだから、そろそろわたしも帰ることにしますよ。ああ、楽しかった。昔の共通の知人やら友人やらが、その後どうなったか、大体のところわかったし……」
「ふう~ん。もうそんな時間かの。ああ、もう外のほうが暮れかかってきとるわい。夕食を食ってけと言いたいところだが、若い人らは若い人らで予定があるんだろうからのう。ま、シャロン、気が向いたらまたいつでも来ておくれ。この老いぼれが死なないうちに、最低でもあと一回くらいはな」
「ええ。また必ず来ますとも……で、二度来ても三度やって来てもあんたが死なないもんで、その後も何度も来ることになった――みたいになればいいと、今はあたしも本当にそう思ってますからね」
このあと、挨拶もそこそこに、シャロンはアーロンの動くほうの右手をぎゅっと握りしめてから、部屋のほうをあとにしていた。ロイもリズも、そう多くを聞かずとも、大体のところ雰囲気で察していた。何より、ふたりの間に『昔のある一時代を知っていた友人同士』といった空気が流れているのを見て――自分たちが想像していた以上に、おそらくは何かがうまくいったのだろう、ということが……。
翌週、アーロンは訪ねてきたロイに、「娘のジョゼフィンのことを探してみることにした」と、照れくさそうに言った。「よく考えたら、これ以上悪い知らせを聞いたところで、自分がショック死することはない」と気づいたということだった。だが、ロイにはわかるような気がした。アーロン自身が父親としてショックな真実を知ることになったとしても……今、彼にはシャロンがいる。話を聞いていて思うに、娘のジョゼフィンのことで、いかな結果がもたらされようとも――シャロンが一緒に受け止めてくれるなら、アーロンはそれがどのようなひどいものであれ、知る覚悟が出来たという、そういうことなのだろうと……。
そして、ロイとリズが進級試験に無事パスし、目前に迫った夏休みのことをあれこれ計画しだした頃のことだった。アーロンが彼の総資産の中から僅かばかりの金を使い、私立探偵が調査してみたところ、ジョゼフィン・グリーナウェイについて、以下のことが判明したのである。まず、彼女は今四十六歳で、シングル・マザーとして子供を一男一女育てていること、ノースルイスというユトレイシアから千キロ以上も離れた北部一の都市に今は住んでいること、生活のほうは大変なようだが、仕事をふたつ掛け持ちして、どうにかやっているらしいということなどなど……私立探偵の男の話によると、ジョゼフィンは母のエマが三年前に死んだと聞くと、泣き崩れたらしい。このことを聞くと、「わしよりもエマが生きておったら良かったのにな」とアーロンは寂しそうに呟いたが、ジョゼフィンは11歳の娘と10歳の息子を、彼らの祖父が死ぬ前に会わせることには同意したという。彼女自身は市場での朝早い仕事と、夜の工場での仕分け作業があり――休みも取れないため、無理だということではあったが。
なんにしても、そのようなわけで、アーロンの元には今までその存在すら知らなかった孫がふたり、夏休みを利用して会いに来るという手筈が整った。「その日が楽しみだ」とか、「今まで生きてきてこんなに嬉しかったことはない」とか、そんな言葉は彼の口から一度も洩れることはなかったが……「これでもう、赤の他人に遺産を残さなくてすみそうですね。シャロンは別としても」とロイが言うと、偏屈なアーロンじいさんは「さあ、どうかね」などと、首を傾げていたものである。「何分、このわしの孫だからな。会った五分後には、遺産など一ドル足りとも残したくないような、クソ生意気な口を聞くかもしれんて」
けれどもちろん、ロイにはわかっている。別れた先妻と再会してからというもの、アーロンはすこぶる機嫌がよいことが多く、介護員たちも「頭でも打ったかね、あの人」と、不思議がる回数が増えている。シャロンに対しても、「この老いぼれに孫がふたりもいたと!ハハハッ。長生きってのはしてみるもんだわい」と、わざわざ電話して報告したらしい。また、そのことでは随分しつこく感謝の言葉を先妻に繰り返し述べたようだった。「おまえさんに会わなんだら、とてもジョゼフィンのことを捜す勇気までは持てんかったろうな」と……。
「不思議だよねえ。ジョゼフィンってのは、あたしとの間に出来た娘じゃなくて、アーロンとエマの間の娘さ。なのになんでかあの人、あたしとの間に出来た娘みたいな言い方をすることがあるからね。ボケてきたんじゃなきゃいいけど……」
シャロンはそんなふうに言って不思議がっていたが、アーロンが強くそう望んでいるため、孫のエマとアーロンがやって来たら、一緒に会うことにしたらしい。これはロイとリズが時々話すことなのだが、アーロンとシャロンはふたりでいると、『夫婦のよう見える』というのか、むしろ『夫婦のようにしか見えない』のが不思議なのだった。また、孫よりも実の娘と再会する時のほうにアーロンは恐怖を覚えるらしく――その時にも「シャロンが一緒にいるのであれば、会ってもよい」というように、すこぶる彼女のことを頼りにしているのであった。
「ねえ、リズ。リズはさ、もしシャロンが今住んでる部屋を出て、<ユトレイシア敬老園>に通いやすいような場所に引っ越すと言ったら……その時には、君もあの部屋を出るかい?」
「そうねえ。まあ確かに、わたしも下からシャロンのハープの音色が聴こえなくなってきたら寂しいものね。わたしも、アーロンに相談されたわよ。シャロンは遺産としてこっそり残されたのならともかく、自分が生きてる間は金なんか渡そうとしても受け取りそうにないって。でも、今となってはなるべく長生きしたい自分にしてみたら、生前分与みたいな形で、いくらなりと、シャロンに渡したいらしいわよ」
結局、ロイは例の件に関しては、スタンガンをリズに渡すことで今のところ譲歩しているわけである。けれど、あれほど梃子でも動かない頑固なアーロンじいさんでさえ――死ぬまで頑ななまでに頑固という名の孤独を抱いていそうな彼でさえ変わったのを見て、アーロン・グリーナウェイよりはまだしも柔らかい心の恋人を、説得できないはずがないと思い、今ロイは算段を練っているところなのであった。
>>続く。