『ER』、自分的になんかめっちゃ懐かしいww(笑)
といってもわたし、シーズン4~5くらいまでしか見てなくて、その後かなり経ってからたま~にHKでやってるの見ても、登場人物がかわりすぎててストーリーもさっぱり意味不明でした(^^;)
大体この頃にも『ER』の原作になったというこの本について、「読みたい!」と思って探したんですけど、図書館などで何故かヒットしなくて「え~、なんでだろ?」と思いつつ諦めた……といった記憶がありますそれで、つい最近マイケル・クライトンの『ウエストワールド』について検索してるうち、関連商品として出てきたわけです。『五人のカルテ』が!「わあ。昔検索した時何故か出てこなかったのになあ」と思い、早速注文。まだ読んでる途中ですが、すっごく面白いです♪
いえ、わたしマイケル・クライトンの小説読むの、実はこれが初めてなんですよね(すべて『ウエストワールド』きっかけです・笑)。
たぶん、ドラマ化に際して、約25年前に書いたという『五人のカルテ』に「著者のノート 1994年」という文章が最初のほうに付けられているのですが、そこに>>「最近この本を読み返してみて、医学がいかに変わったか――また、それと同時に、いかに変わらなかったかという点で、大いに驚かされた」と書いてあって……わたしも実は最初思ったんですよね。「う゛~ん。今読む分には医学的な情報として古かったりするのかなあ」なんて……でも、この時からさらに二十年近くが経過しているにも関わらず――本の内容についてはまったく古びてないと言っていいと思います
あ、それで『五人のカルテ』をトップ画にしたのがなんでかっていうと……↓が医学生のギルバートのお話だからだったり(^^;)それで、海外の医療ドラマとか見てると、レジデントとかアテンディングといった言葉が出てきますよねこのあたり、アメリカといった国の制度とわたしの書いてる小説の中では設定違うということで(笑)。
ただわたし、実は海外の医療ドラマ見てて、ずっと前から結構不思議に思ってたのが――「医学生とインターンってどう違うの?」と言いますか、「医学生のことを、もしかして向こうではインターンって言うとか?」、「というか、そもそもなんで医学生があんなにバリバリ医療行為とかやっちゃってるんだろう……」みたいな、ちょっとした疑問があったりして(^^;)
で、このあたりのことを以前ネットで調べて「なるほど~!」と自分的に納得したのですが、今回『五人のカルテ』を読んでて、よりはっきりわかったような気がします
>>医学生というのは学士号を持ち、さらにM・D(医学博士)の称号を目指して、卒業までの四年間大学に在籍するものをいい、まだ医師免許証を持っていない。やがて免許証をもらうと、さらに一年間インターンとして大学病院で過ごす。
インターンはM・Dの博士号をもち、卒業後一年間学習するもので、その免許証は病院内でのみ有効。理論的には病院を出て開業することはできるわけだが、実際にはだれもそうせずに、レジデントへの道を進む。
レジデントはインターンを終えて、たとえば小児科とか外科とか内科とか精神科とかの専門の修練を続けるものを言い、インターンから引きつづき同じ病院にいてもいいし、ほかの病院に移ってもかまわない。このレジデントの期間は科によってちがうが、二年ないし六年である。
医学生は、病院よりもむしろ大学に対して責任を負い、病院の中では幾分皮肉な意味をこめて「飾りもの」というあだ名がついている。
>>学生は法律上、診断用の器具を動かすこと以外に何もやってはいけないことになっている。それも、診断のために使う場合だけに限られている。しかし、実際には、この規則は拡大解釈されて、医師の監督のもとに、腰椎穿刺、胸、腹部、あるいは骨髄の穿刺までやってよいし、救急棟では傷の縫合をやり、薬の調合、静脈注射、静脈内点滴から、輸血までやれるようになっている。そのほか、検査室のいろいろな検査も行なう権限をもっている。
(『五人のカルテ』マイケル・クライトン著、林克己先生訳/ハヤカワ文庫より)
まあ、このあたりが今回の言い訳事項かな~なんて(^^;)
あ、ちなみにお話のほうはですね、ギルバートの医学生としての生活と、彼の育った家庭環境のこと、実の母に代わって彼を育てたという家政婦ダイアナのこと、それから恋愛関係のことなどが語られて終わり……という、比較的短い感じかな~と思います(たぶん、『アレンとミランダ』と同じくらい)。
あと、例によって医学関係に関することはいい加減な知識に基づいたものということになりますが(笑)、参考にさせていただいた医学エッセイなどについては、そのつど前文のほうに引用して、言い訳事項にかえさせていただく……ということになるかなと思ったりm(_ _)m
それではまた~!!
レディ・ダイアナ。-【1】-
「すみません、子供がその……なんていうか、うるさくて」
「ああ、いえ。べつに……」
その日、ギルバートは医学生としてではなく、健康診断のためにユトレイシア大学付属病院を訪れていた。病院の北東の棟の一角に、人間ドックを専門とする部門があるのだが、そこで、あくまで一般的な健康診断を受けていた。「身体測定」や「血液検査」、「尿検査」など……そして彼は今、医師から診察を受ける前に「胸部X線検査」を受けるため、順番待ちをしていたわけである(ちなみに、人間ドックでは本人の希望によって「肺機能検査」、「腹部超音波検査」、「胃カメラ」、「腫瘍マーカー」、「マンモグラフィー」その他、選べる検査項目は100項目にも渡る)。
ユト大付属病院の一般放射線科では、午前十一時というこの時間、合成皮革の茶色い長椅子には、患者が十数人待っている状態だったろう。だが、人間ドックに付属の放射線科では、待っている患者はほんの5~6人ばかりしかいない。そして、モザイク模様の高級そうなソファのまわりを、母親がCT検査を受けるのについてきた双子が、退屈をまぎらすためか、きゃっきゃっとはしゃいで走りまわっていたのである。
「というより、元気そうで何よりじゃないですか」
姉が妹の頭を引っつかみ、妹が廊下に響き渡るくらいの大声で「キヤアアッ!!」と奇声を発していても、ギルバートは心からそう思っていた。というのも彼は、先週まで小児科で実習を受けていたからで、実習中、彼女たちくらいの年齢(まだほんの5~6歳)の子供たちが難病で苦しむ姿をずっと見ていたからである。
「いえ、もうなんていうか、元気すぎてお恥かしい限りですわ。こらっ!セリーナ、オリビアちゃんをいじめるんじゃありませんっ!!」
母親にそう叱られても、姉のセリーナのほうではあっかんべーをしている。妹のオリビアのほうでも負けてはいない。姉が肩から下げるポシェットを引っつかむと、その中から顔をだしたぬいぐるみを取りだし、壁に投げつける。
「ママーっ!オリビアのこと𠮟ってえっ。わたしが大事にしてるサイババを壁に投げつけたんだよっ。こんなのひどいよっ!!」
「元はといえばセリーナが先に意地悪したからでしょっ!ママっ、オリビアは悪くないっ。なんにも悪くないもんっ!!」
母親が(いつもこうなんですのよ)というようにぐったりするのを見て、ギルバートも困ったように微笑った。途端、セリーナもオリビアも恥かしそうにもじもじしだす。ふたりは突然、何かのことで意見が一致したように、向かいのソファに仲良く腰かけた。「ごめんね、セリーナ」、「ううん、わたしも悪かったわ。サイババに罪は何もないのに……」
このあと、ふたりが並んで絵本を静かに読みだすと、まだ三十代くらいに見える母親は、一生懸命笑いを堪えていたようである。ようするに彼女たちは、「ハンサムなお兄さんにみっともないところを見られた」と思い、突然にして態度が急変したのだった。
「女の子なのにふたりとも、落ち着きがなくってねえ。ほんのちょっと嫌なことがあると、さっきみたいにすぐ奇声を発したり、意地悪な姉のクレヨンを全部叩き折ったり……時々、ADHD(注意欠如・多動症)なんじゃないかと疑うことまであるくらいですの」
「そうですか。でも、子供が元気に走りまわったり、突然奇声を発したりするのも……俺の聞いた話じゃ、ちゃんと意味があるそうですよ。というのも、子供っていうのはまだ体の器官がすべて成長途中ですからね。体の内側にある衝動に突き動かされるように走りまわるのは、心臓その他の臓器を丈夫にするためでしょうし、奇声を発するのは肺が健康に機能して成長するためですよ。ある意味、すべては自然なことです。ただ、ADHDの疑いが濃厚であるとしたら、なるべく早く診断を受けられたほうがいいとは思いますが……」
ここで、ギルバートは放射線技師に名前を呼ばれ、「失礼」と言ってそちらのドアのほうへ消えた。双子の姉妹の母親は、ギルバートがまるで医者のような口振りだったため、そのことを聞こうとしたわけだが――(でも、お医者さんにしちゃ若すぎるものねえ)と結論すると、そのことはすぐ忘れてしまった。彼女のほうではCT検査のほうへ呼ばれたわけだが、「ママが戻ってくるまで静かにしてるのよ」と言われたにも関わらず……セリーナとオリビアは格好いいお兄さんの姿がなくなるや否や、今度はサイババの首がちぎれかけていることについて――「さっきあんたが壁に投げたからよっ!」、「ううんっ、その前からちぎれてた!」だのいう、ニワトリが先か、それとも卵が先かというのと同じ、答えのでない問題について長い口論をはじめたのだった。
* * * * * * *
健康診断の結果を受けとり、ギルバートが人間ドックのある棟から出ようした時のことだった。「やれやれ。胃カメラなんて二度と飲みたくねえよなあ。おえっぷ」だの、「いやいや、それを言ったらオレは大腸検査だな。ケツから管入れられるなんて、人生最大の屈辱だぜ」といったように、出入り口で話す中年の黒人男性の会話が聞こえてきたのである。
「医者の奴は、『こっちは何人ものケツを毎日相手にしてるから、一日の仕事が終わる頃にはどのケツがどの患者のケツだったやら、さっぱり覚えてもいない。だから、恥かしがる必要はない』なんて抜かしやがる」
「ハハハッ。オレが昔バリウム検査を受けた時はアレだぜ。みんなそのうち、健康的な屁をブリッブリこきはじめてな。あっちでもブリッ、こっちでもブリリッ……それを笑うオレのほうでもブリッブリッ。いやはや、病院なんて場所へやってきた日には、高貴な人間性なんてものは皆無に等しくなっちまうな。まったく、我々人間の品性などどこへやら、まさしく屁のごとしというわけさ」
「違えねえ」
ふたりはそんな話をして愉快そうに笑い、大学病院を出ると、正門通りのほうへ歩いていった。ギルバートはその会話が聞こえた時には笑わなかったものの――駐車場へ向かう途中、無性におかしくなってきて、最後にはフェラーリの前で大笑いしていた。
(確かにな。それを言ったら泌尿器科の医者だって、産婦人科の医師だって、あるいは消化器や肛門科の医者だって……チンポコのサイズのでかさやらなんやら、いちいち覚えてなんかいないだろうよ)
これは、医師のみならず看護師や介護員などもみなそうであろう。もちろん、患者が体のある部位を見せる時に恥かしがったり、場合によっては配偶者といった同席者が来るまで診察は待ってくれと言ったりする気持ちは、ギルバートにしても理解はできる。だが、医師や看護師といった人種は――特に大学病院といった個人病院でない大きな病院の勤め人は――かなり特徴的な病変でもない限り、患者の身体的特徴についてはすぐ忘れてしまう。そのくらい病院の業務に追われて忙しく、当の患者を前にしてカルテを目にするまでは、相手のことは頭のどこかにデータとして保存され、再びダウンロードするまで忘れている……といったような、何かそうしたほど良い記憶状態にあるわけである。
医学生という立場であるギルバートに関していえば、かなり深い心の交流まで持った患者のことは覚えているが、それよりも圧倒的に多いのが<その他大勢>といった、救急科(ER)で出会った患者などだった(彼は今そこで、インターンやレジデントの監督の下、問診のみならず気管挿管や腰椎穿刺など、その他外科的手業に至るまで習得中だった)。そうした毎日出会う患者の中で、それほど深く関わった患者でない限り――100日後にも、ある黒人男性の尻にあった大きなおできを覚えているとか、ある白人女性の脇の下にあったイボを覚えているとか、名前と顔が一致する形で記憶が長期保存されることはないようだ……というのが、ギルバート自身の実感である。
ギルバートは今、医学部の三年であったが、医師免許をまだ取得してないにも関わらず、二年の時からすでに現場に出ている。これはユトランド共和国の医師育成システムで、医師免許をまだ持っていないにせよ、医学生は臨床実習において傷の縫合や静脈注射、静脈内点滴や輸血、気管挿管や腰椎穿刺、骨髄の穿刺などなど……インターンやレジデントらの「監督下であれば」、そうした医療行為についても許されているためである。とはいえ、二年時には、患者からの症状の聞き取りといった一次業務、他にバイタルを測定するといった看護師を補助する業務、あるいは介護員とまったく同等の立場でなんでも雑務をやらされる――といった立場からのスタートではあったのだが。
その後、医学部卒業時に医師免許を取得するための国家試験を受け、合格した場合は、翌年からインターンとして働き、その次にもう二年、レジデントとして研鑽を積み、大体この頃自分の専門を決め、専門医として最低一年、場合によっては2~3年(こちらの場合のほうが多い)、さらに自分が専門とした科で腕を磨くと、ようやく一人前と呼ばれる立場になるわけである。
つまり、ユトランド共和国で立派な医師になりたければ、医学部を卒業するまでに六年、インターンとして一年、レジデントとして二年頑張り続ける必要があるということになる。また、大抵の場合はなんらかの専門医となる資格を得るのにさらに1~4年かかることから……ギルバートがもし、父親の『テレンス・フォードヘルニア病院』を整形外科医として継ぎたかったとすれば――おそらく、あと約7年ほどかかるという計算になるだろう。
三年になったこの頃からすでに、クラスメイトの間では「なんの専門医になりたいか?」といったことは、軽い冗談含め、よく話題に上ることではあった。とりあえず、二年時から病院の各科病棟での、一通りの雰囲気については掴んだとはいえ……ギルバートには今の時点で自分が本当に整形外科医になりたいかどうかについては、まだわからないままだった。
『人を殺さなくて済むって言ったら、やっぱ皮膚科医だろ』
そう言ったのは、学部内で割と仲良くしている友人のシェルドン・ギーガーだった。いつでも、「ERの受付にいる事務員が超可愛い」だの、「手術室のオペ看に物凄い美人がいる」だの、そんな話しかしないしょうのない奴ではあるのだが……何故か妙に気のあうところのある男だった。
『そんなこと言って、シェルドンち、循環器が専門だろ?それで、親父の病院継ぐってことは……心臓外科医になるっきゃない運命なんじゃねえの、おまえの場合』
こちらも、悪友なのは間違いないのだが、ギルバートは彼、ディック・デヴィッドソンとも医学部のカフェテリアでよく食事する仲だった。ふたりとも、父親がこのユト大医学部卒で、結構な寄付金を大学病院へ送付しているらしい。そのお陰かどうか、彼らが食事するカフェテリアは、大学内にある他のカフェテリアよりも格段に美味しく、その上料理や飲み物の数も豊富だった。また、ユト大内におけるこうした格差を指して――医学部のことをホワイト・〃リッチ〃・キャッスルと揶揄する者は多い。
『心臓外科医ねえ……術中心停止で患者の家族から訴えられたり、一度心臓外科を専門にしたが最後、死ぬまでに一体何人患者を殺すことになるのかねえ。そりゃもちろん、故意の殺人ではないさ。けど、そのたびに「オレは最善を尽くしたんだ!オレは最善を尽くしたんだ!オレは最善を……」なんて、限りなく苦悩しなきゃならんわけだろ?ゾッとしちまうよな、まったく』
『案外ナイーブなお坊ちゃまなのな、シェルドン。確かにそれだったら皮膚科医にでもなるしかないぜ。おれが聞いた話じゃ、皮膚科医ってのは、その地域の医者として百人……いや、八十人も信者がいれば一生安泰って話だからな。つまりな、皮膚疾患ってのは、飲み薬や塗り薬で短期間で治る場合もあるが、またもう一度ぶり返してきたり、慢性的で治るまで時間のかかる場合が多い。そしたら、患者は定期的にその病院へ通うわな。この場合、何より大事なのは、医者の腕なんかじゃないっていうのが、おれの親父の話だ。とにかく老若男女、すべての患者に対して優しく接し、共感的に話を聞いてやってさえいりゃあ……「あすこのギーガー皮膚科の先生は思いやり溢れる素晴らしいお医者先生だ。まったく泣けてきちまうよ」ってことになり、そこの一家は全員すっかりギーガー先生のファンになっちまう。おできが出来ればギーガー先生、イボが出来てもギーガー先生、水虫が出来てもギーガー先生、その他インキンタムシが出来ても……』
『オレの名前をありとあらゆる皮膚疾患と同列にするなよ、ディック。それよりおまえはディックなんて名前なんだから、泌尿器科の専門医にでもなっちゃどうだ?』
どうでもいいことだが、ディックはペニスの隠語である。一応念のため。
『ケッ。泌尿器科なんて、うんざりするぜ。女のアソコに合法的にお触りした上、金まで稼ぎたきゃ、産婦人科医にでもなったほうがまだマシだ』
『それこそオレにしてみりゃ「おえっ!」だ。何人も赤ん坊を取りあげてるうちに、絶対インポになっちまうだろ』
ここでギルバートは、ふたりの会話がおかしいあまり、飲んでいたカフェラテを吹きそうになった。この間、ギルバートはひたすら聞き役に徹し、シェルドンとディックの会話に口を挟まなかった。だが、そのせいでふたりの興味の矛先がギルのほうへ向かいはじめる。
『いいよなー、ギルはさあ』と、アンガス牛のハンバーガーの包みをくしゃっ!と丸め、ディックは言った。『酸素を吸って吐いただけで女にはおモテになるし、将来は親父のヘルニア工場を継ぐつもりなんだ……っておまえが白い歯をキラッとさせただけで、大抵の女は失神ものだ。そうか、確かに整形外科医もいいよな。おれの親父の話じゃ、整形外科医なんてただの大工だってことになるらしいが、おれはそうは思わん。何より、自分のミスで手術中に人が死んだりすることがないだけでも、ポイント高いよな。精神科病棟にいるような、ボケたりしてて頭のおかしい症状ともほぼ無縁。そうだなあ。おれも整形外科医目指しちゃおっかなあ』
『そうかあ?』と、シェルドンが反駁する。『オレがERで見る限り、整形外科医もまた因果な商売としか思えんがな。交通事故で足の吹っ飛んだ部分を縫合したり、ちぎれた腕やら指の動脈や神経を長い時間かけて丁寧に繋ぎ合わせたり……見てるだけでもゾッとするのに、インターンになったら今度はオレらがこれをすんのかって思っただけで――患者じゃなくて、自分の体を抱きしめたくなっちまうくらいだからな』
――赤のフェラーリを運転して、自宅マンションへ戻るまでの間、ギルバートは悪友ふたりの会話を思いだし、車の中で笑った。そしてこのあと、ギルバートにしても『整形外科医になろうかどうか、迷っている』と、本心を吐露していたのだが……そのことにはいくつか理由がある。まず第一、ギルバートの父テレンスは、息子にヘルニア病院の名前を継いでほしいわけではなく、それが皮膚科であれ泌尿器科であれ産婦人科であれ……とにかく、息子が医師として一人前になってくれることがもっとも望ましいと考えているのである。ゆえに、自分の引退後は別名ドクター・ストリートと呼ばれる好立地な場所に建つ、『テレンス・フォードヘルニア病院』を新しく建て直してもいいとすら彼は言っていた。第二に、医学部二回生になってから、とりあえず一通り各科を見てまわったところ、ギルバートはディックとは違い、整形外科病棟よりも精神科病棟のほうが面白いというのか、興味深いとすら感じていたというのがある。つまり、整形外科医になるのであれば、精神科医になるのも悪くない……と思うところがあり、それよりもさらにギルの強い興味を惹いたのが、心臓外科や脳神経外科で見た仕事のほうだったろう。
(だがまあ、心臓外科はともかくとして、脳外には怪獣がいるからな……)
そう思い、ギルバートは溜息を着いた。ギルバートが昨年から医学生という名の雑務係として各科を回って思ったのが……大学病院というのは、彼が当初想像していた以上にヒエラルキーによる序列というのか、そのあたりがはっきりした縦型社会なのである。インターンを平社員中の平社員とした場合、レジデントは係長、シニアレジデントは部長、アテンディングと呼ばれる指導医は、さらにその上の社長にも等しい存在だった。そして、ギルバートは何故か、脳外科にいる非常に腕がいいと評判の医師に、まだ医学生という身分であるにも関わらず、嫌われているのだった。
ディック・デヴィッドソンなどは、『酸素を吸って吐いただけで女におモテになる……』と言っていたが、逆もまた真なりと言うべきか、ギルバートはある状況下において、非常に疎まれやすい存在としての自分を十分自覚している。簡単にいえば、医学生時代からすでに、出世レースは始まっているといって過言でないと言うことだった。この頃からうまく立ち回って上司たちに自分をアピールし、気の利く人間として名前を覚えてもらったり、部下として可愛がってもらう関係性を築いておくのは重要らしい――ということがわかって以降、まだ医学生であるにも関わらず、自分の立場というのはよく考えて行動しないと極めて危ういことになる……ということを、ギルバートはつくづくと思い知ったのだ。
ユト大医学部の男女の入学者の比率は、大体のところ7:3と言われている。また、大学の付属病院の勤務医の割合も、大体のところ同様だったと言えただろう。ゆえに、まだまだ男社会的雰囲気が強く漂う医学部内において――「新しくきた医学生の子、可愛いわよね」といった看護師の噂話を聞いただけでも、レジデントから睨まれる結果を招いたり、「おい、優男、これやっとけ!」と、面倒な雑務をインターンから押しつけられて疲労困憊するなど、微妙ないじめと言える環境が、今後自分に与えられる可能性というのは否めない。
もっとも、ギルバートが<怪獣>と呼んだのは男性医師ではなく、現在二十一歳の彼より一回り以上年上の、女性の指導医ではあったのだが……。
>>続く。