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そらママのひとりごと

季節の花を求めて、
気の向くまま足のむくまま出歩いています。

心の叫び

2018年08月09日 | Weblog

私の心の糸が切れたのは1月10日だった、

私は偶然にもあの人のメモのようなものをみてしまった、

そのことには触れず「私はいったい何なの、私は貴方の妻なのですか」と

あの人は何も言わなかった、

私は「いいです、もう妻ではありません、お手伝いさんに徹します」と

あれから、普通に接しているものの、

自分の心が離れているのがわかる、

次は父の日の前日だった、大きな声で怒鳴られた、

事情を説明するとあの人は納得した、

そして昨夜夕食後何気なく昔の話をした、

「そんなことは言った覚えがない」

私は昔貴方に言われた言葉でどんなにしんどかったか、

言われたようにそれを実行してきたのに、

言った覚えはないと、

子育てをしながら正規の仕事、時には何時間もの残業をして、

それでも貴方の言ったことは守ってきた、

それがどんなにしんどかったか、

えええ、それを言った覚えがないと言うの?

私が頑張って来た意味がない、

そして腹が立ったのか私を見て「死んでけ」「死んでけ」と二度まで

(死んでけは多分方言なので分かりにくいかも、死んで欲しいと言う意味の言葉)

私は何を言われて要るのかとっさに判断が出来なかった、

えええ?、耳を疑った、聞き間違えではないのか?

余りに突然の言葉に反論すらできなかった、

ああもうこれで終わったのだ!

これから私はどう生きていけばいいのか分からない、

今日はあの人の顔を見ることを避け家事全てを放棄した。

自室篭り手持ちのお金で買える中古マンションをネットで探していた、

中々決心がつかない、多分暫く迷うに迷っているのであろう、

    書こうか書かないか迷ったでも今の私の現状、

    避けては通れないと思った、そして

    記録して残しておくつもり。

              

1月10日からずっと悩み苦しんできた、ブログは更新しているものの

頂いたコメントにお返事を書きその方のところだけに

足跡を残すだけになってしまっていた、

いっそブログを辞めようかとも思った、

でも辞められなかった、ブログの向こうには、お顔は見ることは

出来ないものの何時も暖かいふれあいがあり、

どれ程慰められたか分からない、

これからどう私が進んで行くか、足踏みしているか分からない、

でもこんな私ですが暖かく見守って頂きたいと思います。

 

 

コメント (8)
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朝の涼しいうちに~

2018年07月17日 | Weblog

お友達の子供さんが難しい病気に

今は検査段階、来月には確定診断される予定

ネツトで調べても詳しいことは書いてない、

中々治癒するのが難しい、症例の少ない病気、

無論家族のサポートは必要、

病気を理解して貰うため文献探しに行って来ました、

我が家から近い県立大学の図書へ、ここでいい文献が見つからなければ

もう少し遠い国立の大学へいくつもりだ、

     

     

 私も現役中は何度と通った大学の図書室懐かしいです。

 色々専門書は置いてあるもののお目当ての書は中々ない、

 唯一見つけることが出来ました、

 とりあえず、この本で、

 

 以前私が通っていた頃と随分システムが変わりました、荷物はロッカーの中へ

 入室においても住所、氏名を書く、本を借りる時は電話番号、メールアドレスを記入

 後確認のため折り返しの電話、メールも、

 多分本の紛失を防ぐための策なのでしょうね。

          コメント欄はお休みさせて頂きます。

 

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昨日は父の命日だった。

2018年05月13日 | Weblog
 昨日は父の命日だった、もう20年近く前の大雨の夜
  善光寺参りに行った帰りトラックに跳ねられた、
 連絡を受けて大学病院に駆けつけたとき、
  父は既に息絶えていた、耳から血を流していた、
その時一目見てこれは駄目だと思った、
 ひき逃げだった、解剖の結果脳内出血、頚椎損症、内蔵破裂と分かった、
  どれ一つとっても致命症だった

 5月の雨は嫌いだ!


  あれから随分年月が経った、

    私は父に可愛がれれた記憶がない、

  小学生の高学年の時父から本居宣長の山桜の歌を言えと、
 そのような歌があることは知っていたが覚えている訳がない、
  言えないことに凄く怒られた記憶がある、
 字を書いても絵を描いても文章にについてもことごとく文句を言われた、
  ようは褒められたことが全くない、おまけに勉強も運動も何もかも出来ない私、

     「敷島の大和心を人間はば朝日に匂う山桜花」
 
 この歌を小学生の子供が言えるはずがないと今でも思うし
  何故父がこのよな難しい歌を言えと言ったのか今でも理解に苦しむ、

 私の曾祖父は本居宣長の弟子であった(父曰く一番弟子だったと)
  代々国文学者の家系だったそうだ、
 何か関係があるのかよく分からない、

  思い出したことがある、お金に困っていた父はその頃宣長の掛け軸を3本程
   売ったと後で聞いた一本1万円 その当時の1万は大金だったと思う。

 昨日松阪のベルファームに薔薇の花を見に出かけた、
  駐車場の入り口近くに宣長の歌碑を見つけた、
 ここは何回か通っているのに全く気がつかず初めて見た、
  父に叱られたことを思い出してしまった、

 何故父があの時私にあのような事を言ったのか今でも知る由がない、
  ただ命日にこの歌碑を私が見つけたのは不思議、

 きっと父は私に謝りに来たのではないかと勝手に思っている。

  数少ない父との思い出が甦った日でもあった。

    コメント欄は閉じさせて頂きます。
  
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ブログ暫くお休み致します。

2018年04月28日 | Weblog
   何時も拙い私のブログにおこし頂き有難うございます、
    翌朝7時に自宅を出て九州に行ってきます、
   無理せずゆっくり楽しんでくるつもりです、
    5日には帰宅する予定です。

   それでは皆様お元気でよき休日をお過ごしくださいね。

          

          コメント欄はお休みさせて頂きます。
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もう山口君を許してあげて!

2018年04月28日 | Weblog
 ここ数日前からTOKIOの山口くんの涙の会見が報道されている、
  確かに山口君のとった行動はけっして良くない、
 でも涙で会見している姿を見るともう許してあげてもいいのではと
  思ってしまう。

 被害に遭われた女子高校生は気の毒
  でも夜中に男性の部屋に行くのはどうかと思ってしまう、

 この年齢になると男性の部屋に入るということは危険が伴うことぐらい
  解かっていたはず、

 そもそもこの高校生門限なんてなかったのかなぁ?
  親はどのようにこの女子高校生を躾けてきたのか疑問に思う、

 山口君のとった行動はいけない!
  でもね、誰にも過ちはある、やり直せないほどの過ちではない、

 今後お酒を断ち人生やり直して欲しい、
  まだまだ若い
 やり直しは充分できると思う、

  男の子を持つ親として少し甘いかなぁ
 もし自分の息子ならと思ってTVを見ていた。
コメント (8)
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