宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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世界平和の祈りは この世とあの世を一つに結ぶはしご

2011-12-02 10:15:31 | 祈り
霊界というところを
一口でいうのは
とてもむずかしいけれど
一口でいうと
その人の心境が
そのまま
あらわれてくる世界だ
ということが
いえます

思いやりの深い人は
そういう世界に行くし
怒りっぽい人は
怒りっぽい人で
集まっていたりする
そういうものなんです
だから
心をみがいてゆく
といいますか
心を澄ましてゆくことが
第一なのです

それには
とにかく
祈ること
統一することです
でも
統一といっても
何も
かたちにとらわれることは
ありません
歩きながら
電車にのりながら
お風呂のなかで
世界人類が平和でありますように
とやればいいんです

いつかも申しましたように
本来
人間というものは
身体中で祈っているものですから
どんな人だって
本当は
ずっと祈りづめなんです
それなら
宗教はいらないようなものですが
何度も説いておりますように
私どもは
この地球で生活するうちに
業半分光半分
というような存在になって
しまっているのです
肉体波動
この世の波といったものが
そういう屈折を
生み出したのであります

それで
本心は
かがやきつづけておりましても
この世に生きている
「私」
というものが
どうしても自分をかがやいているとは
思えない
ということに
なってきて
神様から離れてくらした思いの
時間の方が
長くなってしまった
のであります

そこで
先程から申しておりますように
私どもは
真に自由で
朗らかな
自分自身に帰るために
祈りのなかで
自分自身と対面してゆく必要が
あるのであります
これは
さまざまな聖者方が
道を説かれたときも
そうでありましたが
今日ほど
祈りのなかに
自分自身を見出し対面する
ということが求められている
時代は
ないのであります
それは
なぜかと申しますと
もはや
自分一人が
救われればいい
それで事足りる
というような時代では
ないからであります

私ども一人一人が
世界人類すべてが
本心の光を
自らのなかに自覚し
自分達のいのちが
神から分けられてきた
生命であり霊である
ということを
自覚して
心から
祈ってゆくときに
はじめて
この地球世界は
完全な
浄化が
なされるのであります

私どもがかって
霊であって
この地球に
降りて参りましたときには
一人一人が
地球浄化の使命を
になっていたのでありましたが
今また
世界平和の祈りによって
今度こそ完全な
平和と
愛と
調和が
実現してゆくのであります
そして
私どもが
無心に
祈れば祈るほど
霊界の自分自身も
神界の自分自身も
光のうちに
働くことが
できるのであります
人間というものは
三界をつらぬいて
神に直結している存在であり
本来
自在身でありますが
その自在な働きをつよめ
深めるものは
ただ
ひたすらなる幼な子のような祈りなので
あります

我々は
死んでから
はじめて
あの世に行くのではありません
この世で
日々を送りながら
同時に
あの世にも存在しているもの
なのであります
むこうでの事象が
徐々に
こちらにおりてきて
そして
現実になってゆく
そういう意味で
現世は
あの世の
鏡だということが
いえますが
微妙な霊妙な波動を
光のままにおろして
そして
私どもが
肉体人間のままに
それを受けて
働くために
是非とも必要なのが
祈りなのであります
消えてゆく姿で世界平和の祈り
なのであります

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様守護神様
ありがとうございます
と唱えると同時に
天と地に
光の柱ができるのであります
この世とあの世を
一つに結ぶはしごがかかるのです
そして
この祈りを唱えてゆくときに
守護霊守護神の助けを借りながら
私ども自身が
実は自在に
こちらとむこうを
目にもとまらぬはやさで
行きかっている
というのが
本当のところなのであります

生命というものは
尽きることがありません
この世とあの世というのも
実はずっと連なっていて
私どもはいつも
両方の住者なのであり、瞬々刻々の
心境に応じて
その場その場で神に素直になるための
修行を
おこなっているのであります
          平成2年2月21日