この世を生きて
ゆく上で
一番大事なことは
自分を愛し
自分を赦す
ということです
自分を赦す
ということがなければ
他人と生きることは
できません
厳格に理想を追求しても
自分自身の弱さを認め
やわらがせる
ということがなければ
長つづきしないんです
もともと
人間は凡夫なんだ
この肉体人間というものは
どうしようもなく弱いものだ
ということを認めて
弱い自分を
すっかり神のなかに返してゆく
世界平和の祈りのなかに返してゆく
そして
任せて
新しくしてもらう
ということが大事なんです
人間は
一瞬一瞬
つねにあたらしく
されているものですけれど
迷いや
こだわりの多い
肉体人間の思いグセを
なくしていくには
消えてゆく姿で世界平和の祈り
これしかないのであります
こだわる自分がいる
迷う自分がいる
それを
ああこれは消えてゆく姿だな
過去世の業がこれでもって
消えるんだな
守護霊さん守護神さん
ありがとうございます
神様ありがとうございます
と祈り一念でやってゆくと
いつの間にか
きれいになるんです
そして
光でいっぱいになるんです
それを
ああ私はまたやってしまった
とクヨクヨしてたんじゃ
いつまでたっても
自分を愛することも
赦すこともできない
自分を愛し
また
自分を赦し
というのは
決して
自分を甘やかすことじゃないんです
そんな次元の問題じゃありません
なぜかというと
私がいつも申しておりますように
人間は神の分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)であって
その根元は
大愛の大円光なのであります
現世のように
俺が俺がの世界でもなければ
この人の立場はたてることができたけど
今度はあの人がたたなくなった
どうしよう
どうしよう
とそんなことでくずれるものではないのです
人間というものは
そんなとるに足らないことで
あっちがどうしたこっちがどうした
というもんじゃない
それらは
神の愛の前には
みんな消えてゆく姿なのであります
そして私どもは
この愛を
からだいっぱいにうけて
この世に生きているのであります
いうならば
愛の光
ゆるしの光
このからだいっぱいにつまっている
もうゆるすもゆるさないもない
そういう朗らかないのちを
私どもは生きているのであります
そしてそれが人間の本当の姿
なのであります
このことを
世界平和の祈りを行じて参りますときに
私どもは
実にはっきりとしらされる
のであります
みずからが
光であり
永遠であり
久遠のいのちと
ひとつにとけあって
なおその白光を
かがやかすために
生きているのだ
ということを
私どもは
こころにしらされるのであります
自分を責め裁くところからは
この世界は展開して参りません
なぜなら人は
想念の世界に住む者だからであります
ですからすべてのおもいを
神に返して
祈りのなかで
つねに神を
よびながら
自分自身の心をみがき澄ませ
本心の開発と進化を心がけてゆくこと
こそが
何よりも大事なことになってくるので
あります
どうぞ世界平和の祈りのなかで
神を呼び祈り一念の生活を
なさって下さい
それではどうもありがとうございました
平成2年2月28日~3月1日
ゆく上で
一番大事なことは
自分を愛し
自分を赦す
ということです
自分を赦す
ということがなければ
他人と生きることは
できません
厳格に理想を追求しても
自分自身の弱さを認め
やわらがせる
ということがなければ
長つづきしないんです
もともと
人間は凡夫なんだ
この肉体人間というものは
どうしようもなく弱いものだ
ということを認めて
弱い自分を
すっかり神のなかに返してゆく
世界平和の祈りのなかに返してゆく
そして
任せて
新しくしてもらう
ということが大事なんです
人間は
一瞬一瞬
つねにあたらしく
されているものですけれど
迷いや
こだわりの多い
肉体人間の思いグセを
なくしていくには
消えてゆく姿で世界平和の祈り
これしかないのであります
こだわる自分がいる
迷う自分がいる
それを
ああこれは消えてゆく姿だな
過去世の業がこれでもって
消えるんだな
守護霊さん守護神さん
ありがとうございます
神様ありがとうございます
と祈り一念でやってゆくと
いつの間にか
きれいになるんです
そして
光でいっぱいになるんです
それを
ああ私はまたやってしまった
とクヨクヨしてたんじゃ
いつまでたっても
自分を愛することも
赦すこともできない
自分を愛し
また
自分を赦し
というのは
決して
自分を甘やかすことじゃないんです
そんな次元の問題じゃありません
なぜかというと
私がいつも申しておりますように
人間は神の分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)であって
その根元は
大愛の大円光なのであります
現世のように
俺が俺がの世界でもなければ
この人の立場はたてることができたけど
今度はあの人がたたなくなった
どうしよう
どうしよう
とそんなことでくずれるものではないのです
人間というものは
そんなとるに足らないことで
あっちがどうしたこっちがどうした
というもんじゃない
それらは
神の愛の前には
みんな消えてゆく姿なのであります
そして私どもは
この愛を
からだいっぱいにうけて
この世に生きているのであります
いうならば
愛の光
ゆるしの光
このからだいっぱいにつまっている
もうゆるすもゆるさないもない
そういう朗らかないのちを
私どもは生きているのであります
そしてそれが人間の本当の姿
なのであります
このことを
世界平和の祈りを行じて参りますときに
私どもは
実にはっきりとしらされる
のであります
みずからが
光であり
永遠であり
久遠のいのちと
ひとつにとけあって
なおその白光を
かがやかすために
生きているのだ
ということを
私どもは
こころにしらされるのであります
自分を責め裁くところからは
この世界は展開して参りません
なぜなら人は
想念の世界に住む者だからであります
ですからすべてのおもいを
神に返して
祈りのなかで
つねに神を
よびながら
自分自身の心をみがき澄ませ
本心の開発と進化を心がけてゆくこと
こそが
何よりも大事なことになってくるので
あります
どうぞ世界平和の祈りのなかで
神を呼び祈り一念の生活を
なさって下さい
それではどうもありがとうございました
平成2年2月28日~3月1日