(前日からの続き)
我々がこの地上で、例えば、電車の中で、
世界人類がーっていう風に心の中で唱える
とすると、それは目に見えない世界、天界の
方にもそのスイッチが入って、みなさんに
関係する縁のある霊人達も一緒になって
祈る。そして、救われたいと思う人達も
一緒になってその光を浴びる。そういう
皆さんの一言、世界人類がーって思った
時に、目には見えないけれども、光の
いろんな交差があり連動がある。生きて
いる人も死んでいる人も、この世界平和の
祈りの救世の大光明霊団に関係する諸神
善霊がこれに参加をしている。そして
その時には、目には見えないけれど、一大
セレモニーがそこで始まるわけですよ。
そういうことは非常に霊的な事ですから、
やたらそういう事をいうとね、私は見えない
とか、あなたは見えたかとか、見えるか
どうか聞こえるかどうか、感じるか感じない
かの話になって、あなた見えなくてお気の毒
でしたねと、そういうところで相手を低く
見てしまう思いが、まだ人間の中にはある。
本来は神の子だけれど、この地上で
我(が)とたたかいながら生きていますと、
我の方に引っ張られていく。そういうことが
あるでしょ。そうすると、その現象面だけに
把われてしまって、本来我々が実践して
いかなければならない祈りがもう祈れない。
祈って祈って祈り抜いて、自分自身の
生命を朗らかにしてゆくその祈りがね、
祈れない。
しかし、祈れない時でも、守護霊さんと
思う、守護神さんと思う、これも思えない
時は、もうどうにもしてくれ!と思い
ながらでも神様を呼ぶ。そういうところへ
皆が成っていかなきゃいけない。そういう
祈りに高められていかなきゃいけない。
高められる一つの一段階を我々は踏まな
ければいけないのです。ところが、人間
というのは弱いものですから、祈りを
忘れて現象面のことだけになって、何が
大事なのかということを忘れてしまうと
いけない。ですから、現世利益的なことを
在世中にはあまり言って来なかった
のですが。
(翌日に続く)
我々がこの地上で、例えば、電車の中で、
世界人類がーっていう風に心の中で唱える
とすると、それは目に見えない世界、天界の
方にもそのスイッチが入って、みなさんに
関係する縁のある霊人達も一緒になって
祈る。そして、救われたいと思う人達も
一緒になってその光を浴びる。そういう
皆さんの一言、世界人類がーって思った
時に、目には見えないけれども、光の
いろんな交差があり連動がある。生きて
いる人も死んでいる人も、この世界平和の
祈りの救世の大光明霊団に関係する諸神
善霊がこれに参加をしている。そして
その時には、目には見えないけれど、一大
セレモニーがそこで始まるわけですよ。
そういうことは非常に霊的な事ですから、
やたらそういう事をいうとね、私は見えない
とか、あなたは見えたかとか、見えるか
どうか聞こえるかどうか、感じるか感じない
かの話になって、あなた見えなくてお気の毒
でしたねと、そういうところで相手を低く
見てしまう思いが、まだ人間の中にはある。
本来は神の子だけれど、この地上で
我(が)とたたかいながら生きていますと、
我の方に引っ張られていく。そういうことが
あるでしょ。そうすると、その現象面だけに
把われてしまって、本来我々が実践して
いかなければならない祈りがもう祈れない。
祈って祈って祈り抜いて、自分自身の
生命を朗らかにしてゆくその祈りがね、
祈れない。
しかし、祈れない時でも、守護霊さんと
思う、守護神さんと思う、これも思えない
時は、もうどうにもしてくれ!と思い
ながらでも神様を呼ぶ。そういうところへ
皆が成っていかなきゃいけない。そういう
祈りに高められていかなきゃいけない。
高められる一つの一段階を我々は踏まな
ければいけないのです。ところが、人間
というのは弱いものですから、祈りを
忘れて現象面のことだけになって、何が
大事なのかということを忘れてしまうと
いけない。ですから、現世利益的なことを
在世中にはあまり言って来なかった
のですが。
(翌日に続く)