これは、非常に大事なことなので申し上げ
ますけど、人間神の子論ですがねえ、これは、
私が生前から言ってますようにね、人間神の子
というと、それをお題目のように唱えて、
いやそりゃあ本当なんですよ。人間は
神の子なんですもの。人間は分霊(わけみたま)
で分生命(わけいのち)で来てるんだから、
神の子なんだけど。
例えば、それだけを追って、ずっと言って、
それが出来ないのは、お前の心が悪いんだ、
お前の心がけが何とかという風になっちゃうと、
それが責めることになる。人間の今の現実の状況
といいますか、人間の心の状態、有りのままの
自然な状態、それを認めないことになる。
だから、私はそこに、人間神の子だけじゃなくて、
世界人類が平和でありますようにという、あの
世界平和の祈りを出したし、神様のお約束によって、
祈りと教義を出した訳ですよ。
それでね、〇〇さんが言ったのは、神の子の
自覚が足りないと。あの人もまだ足りないんでね。
何が足りないかというと、説明がもう一つ、
こういう事が加わらないと駄目なんです。
つまり、神の子として、みんなが自覚をし
深めなきゃあいけないというのは、私が先程から
申しましたように、この世界の空気の流れと
いうものが、もう本当に切羽詰まって来て、
平和の方へ転換して行かないといけない。その
為の空気づくりをしないといけない。だから、
人間の中に、そんなこと出来るかしらという
業を抱いてしまう自分と同時に、人間の神性が
ある。光り輝く自分がある。それを自覚
して欲しいということを、白光が
言ってるんだと。
それだけじゃなくてね、もう一つ言わなきゃ
いけないのは、世界人類が平和でありますように、
日本が平和でありますように、私達の天命が完う
されますように、守護霊様守護神様ありがとう
ございます、というあの世界平和の祈り、そして、
あの教義ですよね。あれが、人間神の子の自覚の
根底になかったら駄目なんです。祈りという
ものが根底になかったら、人間神の子は単なる
暗示になっちゃう。
人間神の子、人間神の子、確かにね、
そう言ってれば、何か落ち着くようなことを
感じる人もいるかもしれないけれども、自分の
生活は落ち着いていないし、性格もイライラして
良くないし、こんなのどこが神の子なのかなあ
と思う。でもそれは自覚が足りないから
だという。それだけじゃあ駄目なの。それだけ
じゃあ、やっぱり〇〇さんが言うようにね、
暗示になっちゃう。
そこが説明が足りないと言ったのは、
先っきも申しましたように、世界人類が平和で
ありますようにという中へ、私達の想いも願いも、
足らないという想いもね、色々な苦しみも
悲しみも、全部放り投げて、そして光に
なっていく。光のエレベーターである、
世界人類が平和でありますようにという
この祈りを、我々は持ってる訳でしょ。ね、
教義も持ってる訳ですよ。で、いざとなったら、
五井先生という呼びかけを持っている。それは、
伝家の宝刀(ほうとう)じゃないけども、
その祈りを土台にして、そこを土台にして、
私たちが神の子なんだと思うことは、決して
暗示になっていかないんですね。
その時に、我々は本当に、この世の中の
現われが良いものであるにしろ悪いものである
にしろ、みんな消えてゆくものなんです。
過去世からのものが消えてゆく、悪いものも
消えてゆく、良いものも消えてゆく。そして、
本当にただ一つのもの、神様の愛、それだけが
残る。そして、その神様の愛が私たちを
生かしている。その信仰と言いますか、想い
と言いますか、光の言葉と言いますか、
そういうものだけが残るんですよ。本当の
ことを言えばそうなんです。
だけど、そこへ行くにはなかなかね、人間は
肉体を持ってますと、なかなか行けませんよ。
〇〇さんが言ったようにね、色々なことを
思ってしまうし、色んな悩みを持ってる人が
あるね。先程の話じゃないけど、交通事故に
あう人もある。その時に、人間神の子のことを
思えと言ったって、なかなか思えないです。それ
だけでは強迫になっちゃうし、強制に
なっちゃいますよ。
そうじゃなくてね、人間は本来神の分霊である
というあの教義ね、そして、消えてゆく姿という、
一番の消しゴムを持ってる、人類の業を消す
消しゴムを持ってる、あの教義と祈りという
ものを根っこにしていく。私たちの肉体は
そうは思えないけど、我々の真性は、本当の
ところは神の子なんだと。そうらしいと。だから、
五井先生がそうおっしゃるんだから、昌美が
そう言われるんだから、一回、自分の中を統一
してみよう、祈ってみよう、ね、五井先生の
口笛に柏手に、その想いを流れに乗って
みようとね。その想いを呼び寄せてみよう。
すると、そこの家人になるんです。
私が生きている時に言いましたようにね、
守護霊さんを想っていると、守護霊さんの世界に
行くと言いましたでしょ。それと同じなんですよ。
そこの世界へ行くんです。だからね、苦しいと
想ってる時は、その苦しいという流れの世界に
行くんですよ。で、あなた方が皆ね、大変だ
苦しい、これは困ったどうしようかというのは、
それは確かに現実の色々なことが迫って来て、
苦しいというのがあるんだけれどもねえ、その
苦しいなら苦しいの想いの中へ入って、先っきも
申しましたけどねえ、その世界へ連れて行かれる
訳ですよね。自分の中の本体が行きたくない
のにね、光の方へ行かないでそっちの方へ
行くから、自分の中のものが詰まっちゃって、
もう息苦しくなっちゃって、何とかならないか
なあっていう、そういう想いが一杯出てくる
訳です。
やっぱり人間というのは、先程申しましたように、
光の自分も持ってるわけ。そして、本体はこっちな
訳ですね。人間神の子なんです。しかし、そうは
思いにくいから、色々教義だとか、世界人類が
平和でありますようにと言って、個と人類がね、
同時に救われる、この祈りの中へ自分を入れて
しまって、そうして、無心になって祈って
いく内にね、人間神の子が宣り出されてくる
訳ですよ。ああ神の子になったなあって、そんな
もんじゃない。本当に自然に光明体になっていく
訳です。目には見えないけど。
祈ってる時に、あなた達は皆光の子
なんですよ。神様の子なんです。その本来の
ものがこちらからすると、祈ってる時に
みんな観えてくる。世界平和の祈りを
おいといて、教義をおいといてね、祈る
ということをおいといて、人間神の子、
人間神の子といっても、そりゃあ無理なんです。
我々に一番大事なのは何かというと、それは
祈りなんです。祈るということを離れたら、
我々は何にも出来ない。祈りは、神様と我々を
結びつける。神様の愛と我々の愛を結びつける。
神様からいただいている、我々の中にある色々な
おもいやりだとか、肉親への愛情だとか、
子供への愛情だとか、師弟の愛だとか、色んな
愛がありますよね。それだけじゃなくて、
それを世界人類に広げてゆく。
そういう神様からいただいてる大きな恵み
というものを、もう一度自分の中に、何て
いいますか、振り返ってみてね、そうして、
暗示だけに終わらないように、今、白光は、
勇ましくして、何とか世界人類全体の業
といいますか、そういう暗い想いというのを
はね飛ばさなきゃいけない為に、色々行進を
しています。そうすると、砂埃がたってしまって、
その砂埃が、弱い人たち悲しんでいる人たちの
中へ入っちゃってね、そういう苦しんでいる人の
ところにまで、なかなか目がいかなくて、
その辺が申し分けないと思っているけれども。
結局、人間神の子は暗示にならないか
というのは、真理としては暗示にならない。ね、
真理としてはその通りなんです。これは、私が
言ったのも、生長の家のあの先生が言ったのも
一緒なんですよ。一緒なんだけども、あの先生の
時には、あれは精神分析になっちゃった。人間は
分析出来きれないものがある。何故ならば、
人間は神様から来てる生命なんだからね。
それに対して、ありがとうございますと言って、
感謝の気持ちがないと、分析しちゃったって
どうしようもないんですよ。だから、その感謝の
おもいをかえしてゆく、往相と還相でかえしてゆく。
この現実の世の中のこの生活を大事にしてゆく。
想いを大事にしてゆく。ありのままの自分を大事
にしてゆくということと同時に、神様の世界を思う。
そうして、霊界で働いている人々のことを思う。
そのことが霊なる生命の、我々の奥の光明体を
発展させてゆく。そうして、自分の光を増してゆく。
そうなってゆくんだということを覚えてですね、
そうして、我々は本当に神の子なんだという自覚を、
さり気なく深めて行って下さい。
昭和63年7月22日
ますけど、人間神の子論ですがねえ、これは、
私が生前から言ってますようにね、人間神の子
というと、それをお題目のように唱えて、
いやそりゃあ本当なんですよ。人間は
神の子なんですもの。人間は分霊(わけみたま)
で分生命(わけいのち)で来てるんだから、
神の子なんだけど。
例えば、それだけを追って、ずっと言って、
それが出来ないのは、お前の心が悪いんだ、
お前の心がけが何とかという風になっちゃうと、
それが責めることになる。人間の今の現実の状況
といいますか、人間の心の状態、有りのままの
自然な状態、それを認めないことになる。
だから、私はそこに、人間神の子だけじゃなくて、
世界人類が平和でありますようにという、あの
世界平和の祈りを出したし、神様のお約束によって、
祈りと教義を出した訳ですよ。
それでね、〇〇さんが言ったのは、神の子の
自覚が足りないと。あの人もまだ足りないんでね。
何が足りないかというと、説明がもう一つ、
こういう事が加わらないと駄目なんです。
つまり、神の子として、みんなが自覚をし
深めなきゃあいけないというのは、私が先程から
申しましたように、この世界の空気の流れと
いうものが、もう本当に切羽詰まって来て、
平和の方へ転換して行かないといけない。その
為の空気づくりをしないといけない。だから、
人間の中に、そんなこと出来るかしらという
業を抱いてしまう自分と同時に、人間の神性が
ある。光り輝く自分がある。それを自覚
して欲しいということを、白光が
言ってるんだと。
それだけじゃなくてね、もう一つ言わなきゃ
いけないのは、世界人類が平和でありますように、
日本が平和でありますように、私達の天命が完う
されますように、守護霊様守護神様ありがとう
ございます、というあの世界平和の祈り、そして、
あの教義ですよね。あれが、人間神の子の自覚の
根底になかったら駄目なんです。祈りという
ものが根底になかったら、人間神の子は単なる
暗示になっちゃう。
人間神の子、人間神の子、確かにね、
そう言ってれば、何か落ち着くようなことを
感じる人もいるかもしれないけれども、自分の
生活は落ち着いていないし、性格もイライラして
良くないし、こんなのどこが神の子なのかなあ
と思う。でもそれは自覚が足りないから
だという。それだけじゃあ駄目なの。それだけ
じゃあ、やっぱり〇〇さんが言うようにね、
暗示になっちゃう。
そこが説明が足りないと言ったのは、
先っきも申しましたように、世界人類が平和で
ありますようにという中へ、私達の想いも願いも、
足らないという想いもね、色々な苦しみも
悲しみも、全部放り投げて、そして光に
なっていく。光のエレベーターである、
世界人類が平和でありますようにという
この祈りを、我々は持ってる訳でしょ。ね、
教義も持ってる訳ですよ。で、いざとなったら、
五井先生という呼びかけを持っている。それは、
伝家の宝刀(ほうとう)じゃないけども、
その祈りを土台にして、そこを土台にして、
私たちが神の子なんだと思うことは、決して
暗示になっていかないんですね。
その時に、我々は本当に、この世の中の
現われが良いものであるにしろ悪いものである
にしろ、みんな消えてゆくものなんです。
過去世からのものが消えてゆく、悪いものも
消えてゆく、良いものも消えてゆく。そして、
本当にただ一つのもの、神様の愛、それだけが
残る。そして、その神様の愛が私たちを
生かしている。その信仰と言いますか、想い
と言いますか、光の言葉と言いますか、
そういうものだけが残るんですよ。本当の
ことを言えばそうなんです。
だけど、そこへ行くにはなかなかね、人間は
肉体を持ってますと、なかなか行けませんよ。
〇〇さんが言ったようにね、色々なことを
思ってしまうし、色んな悩みを持ってる人が
あるね。先程の話じゃないけど、交通事故に
あう人もある。その時に、人間神の子のことを
思えと言ったって、なかなか思えないです。それ
だけでは強迫になっちゃうし、強制に
なっちゃいますよ。
そうじゃなくてね、人間は本来神の分霊である
というあの教義ね、そして、消えてゆく姿という、
一番の消しゴムを持ってる、人類の業を消す
消しゴムを持ってる、あの教義と祈りという
ものを根っこにしていく。私たちの肉体は
そうは思えないけど、我々の真性は、本当の
ところは神の子なんだと。そうらしいと。だから、
五井先生がそうおっしゃるんだから、昌美が
そう言われるんだから、一回、自分の中を統一
してみよう、祈ってみよう、ね、五井先生の
口笛に柏手に、その想いを流れに乗って
みようとね。その想いを呼び寄せてみよう。
すると、そこの家人になるんです。
私が生きている時に言いましたようにね、
守護霊さんを想っていると、守護霊さんの世界に
行くと言いましたでしょ。それと同じなんですよ。
そこの世界へ行くんです。だからね、苦しいと
想ってる時は、その苦しいという流れの世界に
行くんですよ。で、あなた方が皆ね、大変だ
苦しい、これは困ったどうしようかというのは、
それは確かに現実の色々なことが迫って来て、
苦しいというのがあるんだけれどもねえ、その
苦しいなら苦しいの想いの中へ入って、先っきも
申しましたけどねえ、その世界へ連れて行かれる
訳ですよね。自分の中の本体が行きたくない
のにね、光の方へ行かないでそっちの方へ
行くから、自分の中のものが詰まっちゃって、
もう息苦しくなっちゃって、何とかならないか
なあっていう、そういう想いが一杯出てくる
訳です。
やっぱり人間というのは、先程申しましたように、
光の自分も持ってるわけ。そして、本体はこっちな
訳ですね。人間神の子なんです。しかし、そうは
思いにくいから、色々教義だとか、世界人類が
平和でありますようにと言って、個と人類がね、
同時に救われる、この祈りの中へ自分を入れて
しまって、そうして、無心になって祈って
いく内にね、人間神の子が宣り出されてくる
訳ですよ。ああ神の子になったなあって、そんな
もんじゃない。本当に自然に光明体になっていく
訳です。目には見えないけど。
祈ってる時に、あなた達は皆光の子
なんですよ。神様の子なんです。その本来の
ものがこちらからすると、祈ってる時に
みんな観えてくる。世界平和の祈りを
おいといて、教義をおいといてね、祈る
ということをおいといて、人間神の子、
人間神の子といっても、そりゃあ無理なんです。
我々に一番大事なのは何かというと、それは
祈りなんです。祈るということを離れたら、
我々は何にも出来ない。祈りは、神様と我々を
結びつける。神様の愛と我々の愛を結びつける。
神様からいただいている、我々の中にある色々な
おもいやりだとか、肉親への愛情だとか、
子供への愛情だとか、師弟の愛だとか、色んな
愛がありますよね。それだけじゃなくて、
それを世界人類に広げてゆく。
そういう神様からいただいてる大きな恵み
というものを、もう一度自分の中に、何て
いいますか、振り返ってみてね、そうして、
暗示だけに終わらないように、今、白光は、
勇ましくして、何とか世界人類全体の業
といいますか、そういう暗い想いというのを
はね飛ばさなきゃいけない為に、色々行進を
しています。そうすると、砂埃がたってしまって、
その砂埃が、弱い人たち悲しんでいる人たちの
中へ入っちゃってね、そういう苦しんでいる人の
ところにまで、なかなか目がいかなくて、
その辺が申し分けないと思っているけれども。
結局、人間神の子は暗示にならないか
というのは、真理としては暗示にならない。ね、
真理としてはその通りなんです。これは、私が
言ったのも、生長の家のあの先生が言ったのも
一緒なんですよ。一緒なんだけども、あの先生の
時には、あれは精神分析になっちゃった。人間は
分析出来きれないものがある。何故ならば、
人間は神様から来てる生命なんだからね。
それに対して、ありがとうございますと言って、
感謝の気持ちがないと、分析しちゃったって
どうしようもないんですよ。だから、その感謝の
おもいをかえしてゆく、往相と還相でかえしてゆく。
この現実の世の中のこの生活を大事にしてゆく。
想いを大事にしてゆく。ありのままの自分を大事
にしてゆくということと同時に、神様の世界を思う。
そうして、霊界で働いている人々のことを思う。
そのことが霊なる生命の、我々の奥の光明体を
発展させてゆく。そうして、自分の光を増してゆく。
そうなってゆくんだということを覚えてですね、
そうして、我々は本当に神の子なんだという自覚を、
さり気なく深めて行って下さい。
昭和63年7月22日