宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

い の り

2014-11-10 07:43:46 | 祈り
 祈りというのはどういうものかというのは
考えれば考える程わからなくなる。まじめな
信者さんである程そういう質問をよく受けます。 
 そういう人ほど良心的で考え込んでしまって、
自分が出来ていないのに人に薦める訳には
いかないとか、共に祈るような資格は私には
ないんじゃないかとか。そうなるとちょっと
ノイローゼに近い位に悩み込んでしまっている。

 祈りというものは、神様と私の対話なのです。
 と同時に、世界人類と私の祈りでもあります。
 この場合の世界人類というのは、地球の
世界人類だけではなくて、宇宙全体の宇宙の星の
兄弟たちとの一人一人との、その交信も
含みますね。
 ですから、真に広い幅になる訳です。
 そこまで考えていくと、私共の世界人類が
平和でありますようにという祈りというのは、
非常に大きいし深い。そして、自分が出来るか
出来ないかということではなくて、もう
向こうの方で抱きとってもらってる訳
なんですね。ですから、何も考えずに祈る
というのが一番いい訳なのです。
 四の五の言ってる間は理屈なんです。祈りと
いうのは理屈を超えたものなんです。

 そんなこと言ったって祈れませんという時は、
祈れなくていいのです。集会に行きたくないのに
無理に集会に行ったり、何か行事があるから
絶対に人数がいるからといって集めたって、
それはどうにもならないんです。その人の
気持ちがどうにも向かないという時に、無理に
薦めたってそれは萎びるだけなんです。本体と
肉体は違う訳だから、本体は行きたければ、
さっさと霊体が行っちゃってる訳です。自分の
肉体がどうであれ、霊体は行って統一会に
出たりなどしている訳ですから、そこまで
我々の肉体人間が神経質になることは
ないんです。

 ですから、真面目な人ほど色々色々考える
けれども、しかし、そうじゃなくて、もう一回、
子供みたいに無邪気になって、世界人類が平和で
ありますようにという風に祈る。祈って任せる。
 そこからでないと我々の道というのは開いて
いかない。そういう風に思います。
        昭和63年6月13日(月)
           五井 昌久