自己本位
という言葉があります
人間はいざとなったら
自分を助けることだけで精いっぱいだ
というんですね
なるほど
この世に生きて
毎日毎日時間に追われ
自分の心がどこにあるか
それさえ見失ってしまう
肉体人間の世界では
そうかも知れない
しかし
私がここでいう人間は
そんなちゃちなものじゃないんです
死んだらおしまい
なんていうはかないものじゃないんです
自分をしるっていいますけどね
第一自己ってものを
どこまでみなさん突きつめて
毎日生活してますか
自己 自分 私
わたくし自身
このわたくしというものが
何処からきて
何処へ行くのか
というのは
昔々からの大問題ですよね
それは
人が
己れの存在とかいのちについて
考えはじめたときから
ずっとついてまわった問題でしょ
今もそうですよね
自分が何処からきて何処へ帰るんだろうって
ずっと考えますよね
そこで我々は
我々の肉体というものと
死というものに
ぶちあたらないではいられないのです
死というものを考えたときに
はたと
自分のおもいがとまってしまう
とめられてしまうんですね
なぜか
それは
自分というものが
死をむかえた時点で
この世から消えてゆかなくてはならない
という何とも知れないこわさに
ぶちあたるからなんです
自分という人間が消える
いなくなる
これは恐怖ですよね
何ともいえない気持ちになる
それで永遠なるものを求めて
神とか仏とかをみんな呼び求めるわけですが
何でこういう気持ちになるか
というと
肉体を自分自身だ
すなわち
自分自身だと思いちがいをしている
ところから起こってるんですね
実は
肉体というのは
狭いせまい箱なんです
もっと自由自在な自分
というものは
肉体のもっと奥の奥にあるんです
私がいつも申しますように
人間には霊妙な身体が
いくつもいくつもかさなっているんです
人が
現在この地上で生きるために
まとっているのが肉体だということで
あってですね
たまたま、五感でとらえられるのが肉体だ
というだけの話なんです
こんな風にいうと
先生はこの世の生活を軽くみているんじゃあないか
とおもう人も出てきそうだけども
そうではなくってね、そりゃあこの世に
生きてる間、肉体を軽蔑しちゃあ
駄目ですよ
何ったってやっぱり地上にいる間は大事に
しなきゃね
それで生きてるんですから
ただ私がいいたいのは
肉体だけが人間で、肉体がある間だけが
人間のいのちじゃないっていうんです
もしそうだったら
神も仏も大自然もこの宇宙も
もろもろのいのちの営みは
とても狭くるしいもろいものに
なってしまう
だけどそんなものじゃないんです
真実の人間というのは
この地上にいて、神霊幽界に同時に
存在してるんです
そしてつねに祈っている
光を放っている
神からくる光をながしている
そういうすごい存在なんです
ずっとつらぬいて生きるいのちなんですね
つまり
我々は神からわかれてきたいのちであり
霊なんです
もとはそうなんです
だから
人間というものを本当に突きつめてゆくと
虚無になるんじゃなくって
自由自在、無碍になるんです
何しろ大元の大愛までさかのぼるんですから
大変なものなんです
こういうことがわかると
もうずっと安心して
世界平和の祈りと消えてゆく姿でね
五井先生の口笛と
柏手にのって
自分自身をつねに祈らせて下さい
役立たせて下さい
と祈ってゆくと
どんどん
自分自身が大きくなって
朗らかになって
守護霊
守護神の守りのもとに
大きく深い働きが
出来てゆくようになるんです
よろしゅうございますか
それではどうもありがとうございました
平成2年1月28、29日 記
という言葉があります
人間はいざとなったら
自分を助けることだけで精いっぱいだ
というんですね
なるほど
この世に生きて
毎日毎日時間に追われ
自分の心がどこにあるか
それさえ見失ってしまう
肉体人間の世界では
そうかも知れない
しかし
私がここでいう人間は
そんなちゃちなものじゃないんです
死んだらおしまい
なんていうはかないものじゃないんです
自分をしるっていいますけどね
第一自己ってものを
どこまでみなさん突きつめて
毎日生活してますか
自己 自分 私
わたくし自身
このわたくしというものが
何処からきて
何処へ行くのか
というのは
昔々からの大問題ですよね
それは
人が
己れの存在とかいのちについて
考えはじめたときから
ずっとついてまわった問題でしょ
今もそうですよね
自分が何処からきて何処へ帰るんだろうって
ずっと考えますよね
そこで我々は
我々の肉体というものと
死というものに
ぶちあたらないではいられないのです
死というものを考えたときに
はたと
自分のおもいがとまってしまう
とめられてしまうんですね
なぜか
それは
自分というものが
死をむかえた時点で
この世から消えてゆかなくてはならない
という何とも知れないこわさに
ぶちあたるからなんです
自分という人間が消える
いなくなる
これは恐怖ですよね
何ともいえない気持ちになる
それで永遠なるものを求めて
神とか仏とかをみんな呼び求めるわけですが
何でこういう気持ちになるか
というと
肉体を自分自身だ
すなわち
自分自身だと思いちがいをしている
ところから起こってるんですね
実は
肉体というのは
狭いせまい箱なんです
もっと自由自在な自分
というものは
肉体のもっと奥の奥にあるんです
私がいつも申しますように
人間には霊妙な身体が
いくつもいくつもかさなっているんです
人が
現在この地上で生きるために
まとっているのが肉体だということで
あってですね
たまたま、五感でとらえられるのが肉体だ
というだけの話なんです
こんな風にいうと
先生はこの世の生活を軽くみているんじゃあないか
とおもう人も出てきそうだけども
そうではなくってね、そりゃあこの世に
生きてる間、肉体を軽蔑しちゃあ
駄目ですよ
何ったってやっぱり地上にいる間は大事に
しなきゃね
それで生きてるんですから
ただ私がいいたいのは
肉体だけが人間で、肉体がある間だけが
人間のいのちじゃないっていうんです
もしそうだったら
神も仏も大自然もこの宇宙も
もろもろのいのちの営みは
とても狭くるしいもろいものに
なってしまう
だけどそんなものじゃないんです
真実の人間というのは
この地上にいて、神霊幽界に同時に
存在してるんです
そしてつねに祈っている
光を放っている
神からくる光をながしている
そういうすごい存在なんです
ずっとつらぬいて生きるいのちなんですね
つまり
我々は神からわかれてきたいのちであり
霊なんです
もとはそうなんです
だから
人間というものを本当に突きつめてゆくと
虚無になるんじゃなくって
自由自在、無碍になるんです
何しろ大元の大愛までさかのぼるんですから
大変なものなんです
こういうことがわかると
もうずっと安心して
世界平和の祈りと消えてゆく姿でね
五井先生の口笛と
柏手にのって
自分自身をつねに祈らせて下さい
役立たせて下さい
と祈ってゆくと
どんどん
自分自身が大きくなって
朗らかになって
守護霊
守護神の守りのもとに
大きく深い働きが
出来てゆくようになるんです
よろしゅうございますか
それではどうもありがとうございました
平成2年1月28、29日 記