(前日からの続き)
自分を好きになること
自分をほめること
自分を労わること
これらは
何よりも大事なことです
なぜなら
自分を責めるところからは
何も
生まれてこない
からです
自分は駄目だという
おもい
自分をいやしめ
おとしめて
暗くくらく
なってゆくところから
生じてくるのは
我であり
とらわれであり
自分は
これだけの
人間でしかない
という
限定であります
人は
そういうふうに
思うことに
慣れて
今日までを
生きてきたので
それは
肉体を自分自身とみる
ところから
生じた点で
無理のない
ところもあったのですが
人間というものは
無限定の
神の愛から
生まれてきたものであり
神から
わかれてきた
ものであることを
一人のこらず
しってもらうために
世界平和の祈りが
私に託されたのでした
人が
闇のすえではなく
光のすえであり
光の子であること
人は
自らきづかないままに
つねに
神に祈りをささげている存在であること
神の愛のうちに
我々は
個を持ったまま
永遠のいのちの
ながれへと
とけ入る存在であることを
世界平和の祈りは
しずかに
私どもに教えてくれるので
あります
(つづく)
自分を好きになること
自分をほめること
自分を労わること
これらは
何よりも大事なことです
なぜなら
自分を責めるところからは
何も
生まれてこない
からです
自分は駄目だという
おもい
自分をいやしめ
おとしめて
暗くくらく
なってゆくところから
生じてくるのは
我であり
とらわれであり
自分は
これだけの
人間でしかない
という
限定であります
人は
そういうふうに
思うことに
慣れて
今日までを
生きてきたので
それは
肉体を自分自身とみる
ところから
生じた点で
無理のない
ところもあったのですが
人間というものは
無限定の
神の愛から
生まれてきたものであり
神から
わかれてきた
ものであることを
一人のこらず
しってもらうために
世界平和の祈りが
私に託されたのでした
人が
闇のすえではなく
光のすえであり
光の子であること
人は
自らきづかないままに
つねに
神に祈りをささげている存在であること
神の愛のうちに
我々は
個を持ったまま
永遠のいのちの
ながれへと
とけ入る存在であることを
世界平和の祈りは
しずかに
私どもに教えてくれるので
あります
(つづく)