お手紙拝見致しました。
息子さんのこと、さぞ、ご心配だろう
と思います。
親であれば、誰しも、子どもの幸せを
願わない親はありません。
特に、自分のいのちにかえても、
とおもうのが、母の愛で、お手紙を
拝見しながら、私は、私の修行時代に、
心配そうにやせ切った私の姿をみつめ、
何とかして、私を、幸せに、平安に
してやりたいという願いにみちた母の
面ざしをおもいだしました。
わからないながら、私の苦しみを
かわれるならとおもっていてくれた
母の愛が、私をここまで導いて
くれたのだと思っております。
私はあなたの御手紙を拝見しながら、
母の愛と、その愛のはるかなる光源に
想いを馳せたのであります。
母の愛、また、すべての愛の源は、
神の愛であります。
神様は、一人一人を愛しみ、
いつくしんで、決してこれを捨てる
ということがありません。
あなたの息子さんも、神様の大切な
子どもなのであります。
そこで申し上げますが、決して、言葉を
出しすぎないように、あたたかく、
息子さんを見守り、息子さんの天命を
祈るということが、まず第一であります。
子どもというものは、どんなに
まごころが出ているとわかっていても、
自分の心をどうしようもない時、
はたからいろいろ言われますと、つい
反発してしまいがちになるもので
あります。
御心配でしょうが、どうぞ息子さんを
生かしているいのちのすこやかなる
ことを信じ、また、息子さんを信頼
されて、ただ黙ってしずかに見守る
ようになさってごらんなさい。
しずかなこころから、生まれるものは
多いと思われます。
そうして、すべての心の疲れを、
世界平和の祈りのなかに入れて、
日々、私をよんで下さい。
かならず参りましょう。
祈りは光、そしていのちであります。
あなたもまた息子さんも、ともに
永遠の祈りであるこの世界平和の
祈りのなかにとけこまれる光であり
いのちであります。
どうかかたく立って、愛深く、
御自分に、息子さんに対して
下さいますように。
合 掌
昌 久
息子さんのこと、さぞ、ご心配だろう
と思います。
親であれば、誰しも、子どもの幸せを
願わない親はありません。
特に、自分のいのちにかえても、
とおもうのが、母の愛で、お手紙を
拝見しながら、私は、私の修行時代に、
心配そうにやせ切った私の姿をみつめ、
何とかして、私を、幸せに、平安に
してやりたいという願いにみちた母の
面ざしをおもいだしました。
わからないながら、私の苦しみを
かわれるならとおもっていてくれた
母の愛が、私をここまで導いて
くれたのだと思っております。
私はあなたの御手紙を拝見しながら、
母の愛と、その愛のはるかなる光源に
想いを馳せたのであります。
母の愛、また、すべての愛の源は、
神の愛であります。
神様は、一人一人を愛しみ、
いつくしんで、決してこれを捨てる
ということがありません。
あなたの息子さんも、神様の大切な
子どもなのであります。
そこで申し上げますが、決して、言葉を
出しすぎないように、あたたかく、
息子さんを見守り、息子さんの天命を
祈るということが、まず第一であります。
子どもというものは、どんなに
まごころが出ているとわかっていても、
自分の心をどうしようもない時、
はたからいろいろ言われますと、つい
反発してしまいがちになるもので
あります。
御心配でしょうが、どうぞ息子さんを
生かしているいのちのすこやかなる
ことを信じ、また、息子さんを信頼
されて、ただ黙ってしずかに見守る
ようになさってごらんなさい。
しずかなこころから、生まれるものは
多いと思われます。
そうして、すべての心の疲れを、
世界平和の祈りのなかに入れて、
日々、私をよんで下さい。
かならず参りましょう。
祈りは光、そしていのちであります。
あなたもまた息子さんも、ともに
永遠の祈りであるこの世界平和の
祈りのなかにとけこまれる光であり
いのちであります。
どうかかたく立って、愛深く、
御自分に、息子さんに対して
下さいますように。
合 掌
昌 久