(前日からの続き)
信仰とは
信ずることなのです
絶対者は動きません
真理は動くことはないのです
あとは
ひたすらな
祈り心
それだけです
霊のいのちに
目覚めて
本心が生き生きし出すと
私たちは
私たちのまわりの
人の心の中に
入っていって
あいさつして
あかりを点すことが出来るのです
自分のいのちと
とけ合ってゆく
これが自愛
他愛ということなのです
自愛
他愛
これが
人間の
本来の姿です
自分を
本当に愛して
本心をかがやかすことで
霊のからだが目覚めてきます
肉体の
奥の
おくの
私たちを
活きづかせている
生命そのものに
こうして私たちは出会うのです
自分という人間が
この世だけに
存在していると
思う限り
死ねば
自分という人間は
無になってしまうわけですが
本来生き通しの
光である我々は
霊界にも
神界にも
その場を持って
働いているというのが事実です
それでなければ
生命は
今迄つづいてくる筈がないのです
何のために
生命がここまで
つづいてきているかというと
それは
この宇宙をつくられた
神様のみ心を
そのまま
あらわすためなのです
丁度今は
くもりガラスのように
神様だとか
宗教だとかが
語られていて
本当の私たちが
一番知りたい
一番みたい
姿がかくされている
我々人間のおもいで
神様をみるから
いろいろな姿に
神様がみえて
丁度仮面舞踏会のように
神様を着飾らせているから
太陽の光のような
空気のような
神様がかくれてしまっている
そのくもりを
私たちの眼から
取るために
生命はつづいてきているのです
生命は
光の波動ですから
光をよびもどして
くもりを取るわけです
信仰とは
信ずることなのです
絶対者は動きません
真理は動くことはないのです
あとは
ひたすらな
祈り心
それだけです
霊のいのちに
目覚めて
本心が生き生きし出すと
私たちは
私たちのまわりの
人の心の中に
入っていって
あいさつして
あかりを点すことが出来るのです
自分のいのちと
とけ合ってゆく
これが自愛
他愛ということなのです
自愛
他愛
これが
人間の
本来の姿です
自分を
本当に愛して
本心をかがやかすことで
霊のからだが目覚めてきます
肉体の
奥の
おくの
私たちを
活きづかせている
生命そのものに
こうして私たちは出会うのです
自分という人間が
この世だけに
存在していると
思う限り
死ねば
自分という人間は
無になってしまうわけですが
本来生き通しの
光である我々は
霊界にも
神界にも
その場を持って
働いているというのが事実です
それでなければ
生命は
今迄つづいてくる筈がないのです
何のために
生命がここまで
つづいてきているかというと
それは
この宇宙をつくられた
神様のみ心を
そのまま
あらわすためなのです
丁度今は
くもりガラスのように
神様だとか
宗教だとかが
語られていて
本当の私たちが
一番知りたい
一番みたい
姿がかくされている
我々人間のおもいで
神様をみるから
いろいろな姿に
神様がみえて
丁度仮面舞踏会のように
神様を着飾らせているから
太陽の光のような
空気のような
神様がかくれてしまっている
そのくもりを
私たちの眼から
取るために
生命はつづいてきているのです
生命は
光の波動ですから
光をよびもどして
くもりを取るわけです