宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

世界平和の祈りは 愛の祈り

2014-11-25 07:30:28 | 祈り
神様の
目的は
世界平和
宇宙の大調和
そして
人類の進化
これ以外に
何にも
ありゃあしません

とにかく
世界人類が平和でありますように
宇宙に愛の気がみちて
地球人類が
真実に進化をすること
愛と調和が
この世界を
動かしている
根本であることを
知ること
これなんです

自分も人もなく
みんなが
心を一つにして
世界平和のために
起ち上がらなければならない
それには
一人の人間の心をおだやかにし
万人の心を平和の気で
みたしてゆく
世界平和の祈りが一番なんです

世界人類が平和でありますように
これは
宇宙神の
大神様の
愛念なんですよ
みなさんの
心の中に眠っている
みんなが愛と平和を元として
生きるようにという
おもい願いを
呼び覚ます
祈りなんです

世界人類が平和でありますように
ってのは
みなさんの
ふるさとなんですから
わかります?
みなさんは
ここから
神様の
無限の愛の中から
生まれてきた
神の分生命(わけいのち)
分霊(わけみたま)
なんです
なかには
随分と
ひねこびた分霊もいるな
なんて
思う人もいるかも知れないけどもね
我々人間の
いのちというのは
一瞬一瞬
神様に
生かされてるんです

よく
生殺与奪の権って
言葉をいいますけれど
生殺与奪の権は
ただ
神様だけに
あるんです
ああもう修行がおわったな
それじゃあ次はここ
ここってね
向こうでちゃんと
みて
考えておられる
だから
我々のいのちは
肉体人間の我でもって
どうこうなると
いうもんじゃないんです
神様の方で
我々の
いのちを
必要ないとおもえば
いつでも
ストップさせられるわけですからね
ただ
むやみやたらに
そういうことを
なさるわけじゃないんですよ
肉体から
いのちを
移行させるにしても
きちんと
みて下さってるんです

神様と人間というのは
もう切っても切れない間柄
一体の間柄なんですからね
我々のいのちが
この地上から
消えるって
いう時は
それは
神様からみて
もっともいい時なんです
一生や二生のいのちではない人間の
何百生何千生のいのちの
移りぐあいを
みている
それが神様です

私たちは
神様が
光であることを
あらわすために
この地上に生きているわけで
肉体を持っているよりも
霊界に移行させた方がいいな
その方が
この人は
より光るなと
神様がおもえばですね
我々はむこうへ行くわけ
私達は
お任せのいのちなんです
この身でつくり出したものなんて
一つもありゃしない
神様の愛によって
みこころによって
生かされているんです
そうおもうと
一瞬も無駄には出来ませんよね
お任せのいのち
戴きなおしのいのちなんですから

そういうことを
ずっと考えてゆくと
神様ありがとうございます
というおもいしか
なくなるでしょう
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私達の天命が完うされますように
守護霊様
守護神様
ありがとうございます
という
世界平和の祈りが
自然に唇をついて出てくる
出てこないではいられないんですよ
ここには
すべてがあるんですもの
今迄
聖者方が説いてこられた
最高の教えが
そのすべてが
凝集されてここにあるんです

世界平和の祈りは
愛の祈りです
神の愛と
人の愛とが
むすび合う祈り
すべての祈りの
本山なのです

一人一人が
神の子ども
宇宙人類
世界平和の祈りは
その自覚を
本心に深くうながさずにはいないのです
いや世界平和の祈りをするとき
みなさん一人一人は
世界人類の中にとけこむと同時に
宇宙人類になっているんです
わかりますか?

大きな大きな
いのちの大河
とこしえのいのちの道
それが
世界平和の祈りなのです

世界平和の祈りには 人類共通の悲願が結集している

2014-11-24 09:08:36 | 祈り
我人とともに祈りをささぐ
っていう
言葉がありますが
実際祈りというものは
大きな大きな
広大な世界の中に
入ってゆくようなものです

最初は
一人祈り出す
ところが
祈ってゆくうちに
一人じゃないということに
気付いてくる
みなさんの
守護霊さんや
守護神さんやね
あらゆる天地の
神霊達が
祈りのなかに
とけこんでくる
世界人類が平和でありますように
っていう祈りは
そういう祈りなんです

自分というものが一つもない
みなさんの思いを
抱きとりはしますよ
けれど
そのおもいを
そうかよしよしと
抱きとってね
もっと
光のある方へ
もっと
愛のある世界へ
世界人類という
大きな大きな
とてつもなく大きな
流れのなかに
入れてしまう
とたんに
みなさんは
世界人類になるんです
世界人類という
大きな流れのね
みなさんは
一滴の
水なんですよ
そして
この水は
流れは
神様に
ずっと
つづいてゆくんです

祈りというのはね
何も世界平和の祈りばかりじゃない
南無阿弥陀仏でも
主の祈りでも
アラーでもですね
それはみんな
この
神様の流れのなかに
とけこんで
一つになって
神様の愛と一体になる
ということの
あかしなんです
かがやく
いのちを
宣り出すんですからね
で、こうした
祈りの中でも
一番
世界平和の祈りというのが
光にみちている
なぜなら
この祈りのなかには
人類共通の願い
世界人類が平和でありますように
という願いがね
悲願が結集しているわけですよ

我々
現在今生きてる人間だけじゃない
人と生まれた以上
誰もが持つ
願い祈りが
このなかには入っている
このなかには
みなさんの先祖のおもい
ねがい、祈りね
そうして
世界人類ったって
この地球だけじゃない
宇宙の星々の
兄弟たちが
宇宙人類たちが
みんな
世界人類が平和でありますようにって
祈っている
こんなにやさしい
子どもでも唱えられる
祈り言のなかに
みんなが
参加してるんです

これまで
地球を何とかしようと思って
苦労した
釈迦や
キリストや
日蓮や
聖者達が
この祈りを
みなさんが唱える時には
一緒にきて
唱えている

祈りというのは
一人でするようでいて
決してだから
一人のもんじゃない
わたくしは
最初に
我人ともに
っていいましたけれど
本当に
我人ともに
なんです

この肉体界にいて
働いている我々と
もう肉体を
脱いでしまって
それぞれの
霊界の修行場
天地にいる霊人たちと
それから
すぐれた宇宙の兄弟たちと
霊肉ともに
一つになって
祈っている
そうして
それぞれが
本源の神のいのち
本心の光を
かがやかせることに
よろこびを感じて
益々
神様に
ありがとうございます
という
感謝のおもいを
届かせてゆく
世界平和の祈りというのは
そういう祈りです

いつの間にか
心があらわれて
子どものように
素直になって
自然になってゆくんです
とにかく素直になってゆく
神様の前に
裸でたって
さあいつでも私のいのちを
お使い下さい
っていえるように
なるんです
自分がなるんじゃない
神様がさせて下さるんです

神様は
それぞれの
働きの場所を
ようく御存知です
世界人類が平和でありますように
という祈りを
かさねてゆきましょう
大調和の祈りのなかに
自分のいのちを
とけこませて
参りましょう
        昭和62年3月6日 朝

祈りというのは 私と本心の光との対話です

2014-11-23 07:11:50 | 祈り
祈りというものを
忘れた宗教
それは
もはや
宗教ではありません

祈りというのは
どういうことかと
いいますと
神と人との
和合なのです
もともと一つであった
分かれている(ホントは分かれちゃ
いないんだけれども)いのちが
お互いを確認して
抱き合う
抱き合うのは親と子
つまり
神様と我々人間です
それが
祈りなんです

だからといってね
神様も
人間も
ずーっと別々に離れていた
なんて考えちゃあ
それは間違いなんですよ
とんでもない間違い
神様は離れちゃいないのね
ずっと手を差しのべたまんまですよ
ずっとこう
手を広げてね
大きく広げて
さあいつでも
おいで 
抱いてあげると
スタンバイしてる
それが神様なんですよね

ところが
私がいつも言いますように
この波動の粗い
肉体界におりてきて
肉体をまとってね
くらしてくうちに
人間は、霊じゃなくて
肉が自分の主人だと思っちゃった
そうして
この肉体が三千世界だと
おもっちゃったんですね
だから
この肉体がなくなったら
自分はどこに行くんだろうと
思っちゃってね
もう、不安で不安でしょうがない
そういう状態で
ずっと来たわけですよね

本当は
我々のいのちは
神様からきていて
我々が神様を
忘れ果ててる時でも
神様の方では
ちゃんと一人一人を
見守ってね
だからこうして
我々は
生きてられるんだけども
肉体だけと思っちゃった
人間は
そこに神様が
いるなんて思えなくなって
しまったんですよね

それでも
うんと苦しい時に
神様仏様
助けて下さいってよく言いますよね
苦しい時の神頼みね
あれは
神様なんてないと
この想念で思っていましても
私どもの
奥の奥のからだは
神様によって
生かされている
ということを
知ってるわけでして
それで
いよいよ苦しい時には
命の親である
神様をよぶと
こういうわけですよね
必死の思いでよびかける

ところが
祈りというものは
もっと自然な
もっと平安にみちたものでしてね
私と神様との
私と本心の光との
対話ですからね
もうこれは
本来平和の光にみちているわけです

じゃあ、必死のおもいで
神様!ってよぶ
その心はどうなるのかというと
これも
絶対に無駄にはならないんです
なぜかといいますとね
いいですか
人間というのは
先ず
神の光によって生まれたもの
神によって
いのちを吹き込まれた存在です
ですから
どんなになっても
おおもとを忘れかけて
苦しくなった時には
神様をよぶように出来ている
呼ばなきゃ
生きてゆけない
自分がどこからきて
どこへこの生命が
流れてゆくのか
ということをですね
確かめないと
一瞬も
安心出来ない
そういう存在なんですよ

だから
そのおおもとが
ぐらついた時には
神様ってよぶ
よばなきゃいられないんです
それで
自分というものは
どういうものなんだという
ことを
みんなの奥の心が
確かめて
それで
生きてゆけるんです

私はいつも
世界平和の祈りは
エレベーターだといってますけど
こうやって
神様って
呼んだ時には
その人は
祈りというエレベーターの中に
緊急避難したようなもんなんです

そこから
あらためて
神様のこと
自分を生かしている生命のこと
なんかを考えてく
それで
ずっとおちついてくると
その人なりの祈りが
口をついて出てくるんです
ですからね
神様助けて下さい!!って
いった時には
もうその人は
神様というチャンネルを
ひねって
実は神様のなかに入ってるんです

祈るということは
神様と一緒だ
いつも一緒だと思うこと
同行二人ですよね
けれど
そう思うためには
神様というチャンネルを
ひねらなきゃ
何にもなりませんでしょう
アンテナを神様に合わせないとね
そこから祈りは
深くなってゆくんです

先ず
神様というアンテナ
に合わせること
スイッチをひねって
チャンネルを
合わせて
すべては
そこから始まるんです
ですから
苦しい時の神頼みというのを
私はちっとも 
軽べつしません

神様というのはね
何とかして
人間を
抱きとろう抱きとろうと
あらゆるチャンスをつくって 
待って下さってるんです
だから
神様助けて下さい
うちの会だと
守護霊さん
守護神さん
助けて下さい
それも大変な時は
五井先生
お願いします
ですよね

そうすると
どうなるかというと
私という空っぽのからだをとおしてね
私をよんだ人にですね
神様の愛念がパーッと行くわけですよ
瞬間にゆくわけ
それは
とっても
はやいんです
呼んだ瞬間に
こっちにすりゃあ
呼ばれた瞬間に
その人を
光で愛でおおっている
神様が愛で抱きとってるんです
すごいですよ
神様の愛というのはね
それでもって
さあおちついたかい
それじゃあ
あなたの知ってる祈りを
やってごらんと
こうなるわけですよ

人間というものは
一たん
愛で抱きとられて
激しくないて
訴えて
おちついてくると
今度は
神様との
会話を
始めるんです
それが祈りです

会話してゆく内に
段々
我がうすれてきて
ただ
神様と話すことが
嬉しくなって
そのうちに
我というものがなくなっちゃって
ただもう
神様神様と
おもっちゃう
こうなると
その人は
どこもかしこも
光ってるんです
光でいっぱいになっている
そうして
元々の人間の本来
神の光明体
光のからだを
あらわしてゆくんです

もうその頃になると
自分で光ろうなんて
思ってない
光ってるとも思わない
ただ
神様と話すのが
嬉しくて
嬉しくて
しようがない
自分というものが
なくなっちゃってるんです
自分というものを忘れてる
ねっ
それでもってただ嬉しいわけ
その嬉しいというのは
あなた方の本心が
あなたをつくってる
元々が嬉しがるわけですよ

こうやって
祈りっていうのは
どこまでも
どこまでも
自分を昇華して
澄み清めて
すきとおった
純な心になって
遂に光そのものになるまで
つづいてゆくんです
ね、
人間っていうのは
いつでも祈ってんですよ
みんな気付かないけれど
絶えず祈っている
十五分 
統一して
これで今日のお祈りはおわり
なんてそんな
ちゃちなものじゃないんです
もう
どんな時でも
祈っている
祈りつづけている
全身全霊
未来永劫
人間というのは
祈りのかたまりです
その祈りは
神様とともにあるというよろこび
自(おの)ずから
自分の光に
気付いてゆくよろこび
自分のいのちが
光っていることに気付くよろこび
これなんです

あなた方が祈る時
そこは光になります
なぜならみんな
神様の子ども光の子
だからです
祈りは光、光そのものなのです
      昭和62年3月5日

祈りについて 序

2014-11-22 07:00:15 | 祈り
        序
               五井 昌久
 祈りというものは、一人で祈っているように
思ってしまいがちなものであるが、実はすべての
天地の霊人とともに祈っているのである。

 本心の光との握手。これこそが、祈りの最大目的
であるが、祈りは、ささげる内に、おのずと神への
感謝が、光となってみちてゆくものである。

 本巻では、こうした祈りについて、私の思いを
述べてみた。
              昭和62年3月5日

御 詩(うた)(2)

2014-11-21 07:31:14 | 祈り
あくがなるわらんべの如き素直さよ
神に素直とかしわ手を打つ

黙しつつ一人びとりのかなしみを受けとめて
吾光と為さむ

人はみな光のいのち天地の光の柱
祈りゆく一人

こころしづかに神にむかひて祈る時
うちとにみつる愛の光は

手を組みて祈ればかなし大神の
御愛の深さまことの深さ

いのちとはにながれて神のみ光の
一筋とならむ我等のいのち