宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

愛と光こそ…

2014-11-15 08:01:04 | 祈り
   〇
神は人間を
はなれたことがない

   〇
愛と
光こそ
我等が
ふるさと

   〇
真実を求めれば
神に到る

徹底して神にすなおに

2014-11-12 07:37:35 | 祈り
本心というのは
私たちの
このいのちを
かがやかせている
神の
愛と
ゆるしと
智恵と
光明燦然たる
世界です
私たちの
ふるさとです
このふるさとの道を
歩いてゆくと
宇宙の
大調和
神々の
愛のひびき
宇宙神の
みこころの奥へと
たどりつきます

我々が神の
分生命(わけいのち)であるということ
一人びとりが
神のいのちのわかれ
光の末である
ということに
思いを至らせるとき
神様ありがとうございます
本心さんありがとうございます
世界人類が平和でありますように
という
祈り言に
なってゆくのであります

世界平和の祈りは
神の人類をおもう
愛念の結集であり
平和をもたらさんとされる
神の
ゆるしの祈(の)り言であります

何の
とらわれも
こだわりも
なく
ひとつの
ひっかかりも
ない
澄みにすんだところから
人類全体を
光の子として
神のいとし児として
とらえなおしを
なさろうとされる
神の
約束の
祈り言であります
また
私ども
一人びとりの
神に対する感謝のひびきを
こもらせた
祈りであります

光の祈りである
この祈りをとなえるとき
人は
たちまちに
救世の大光明に
とらえられ
ふるさとである
本心
神の愛の
み心から
放射される
愛念に
いだかれてゆくのであります

祈りというものが
すべての
はじまりなのです
祈って祈って祈りぬいている生命
それが人間の本来のすがたなのです

余分なものを
脱いで脱いで
消えてゆく姿と観じて
生きてゆくとき
人は一たん
まはだかにされてしまいます
それは
世間からみれば
お金がなくなったとか
地位を失ったとか
失笑をかったり
色々なことが
起こってくるのですけれど
人間の本心本体
光明心というものは
ゆらがない
ゆらぐことのない
光のいのちを
我々は
神から
いただいているのです
これがあって
はじめて
我々は
生きてゆくことが
できるのであります

この世の中は
すべて
おもいの
あらわれの世界であります
ですから
いいことも
わるいことも
苦しいことも
辛いことも
すべてを消えてゆく姿なんだと
おもって
世界人類が平和でありますようにという
世界平和の祈りのなかに
投げ込んでしまうと
あとは
守護の神霊が
みんな
やってくれるんです

だから
何にも
心配する必要はない
ただ
祈って
その
持ち場
持ち場で
一生懸命
努力をするということが
大事なんです

そうすると
みんな
光ってきます
みんな
スッキリと神様のいのちに
つながってゆくのです

それには
すなお
ということが
一番
徹底して
神にすなおになる
あせらず
力ませず
世界平和の祈りは
そこまでみなさんを
連れてゆく祈りです

守護の神霊の加護
そのたゆまざる
休息のない
愛念というものが
なければ
私たちは
生きてはゆけません

そうして
天命というものは
これら神霊をとおしての
ふるさとである
神への感謝と
世界人類の平和を
祈る祈りのなかから
かがやかに
あらわれ出てくるものなのです

個々の天命の完うと同時に
世界人類
宇宙人類との
ともなる
いのちを
祈り
宇宙神の
愛の気をうけて
美と真と平和という
この宇宙を保つ
天命が成りますようにという
ひびきが
込められているのです


私は
はっきりと
世界平和の祈りのもつ
果てしのない
大光明のかがやきを
述べてゆこうとおもいます

この神の愛
大光明は
我々を
遠くはなれてはいない
我々一人びとりの
身内に
それは
同時に分けられ
鳴りひびいて
いるのです

神のすえである
我々の
いのちの
なかに
それは
厳然と
存在し
我々を
生かして
いるのであります

この真理を
本来霊である
人間は
知っていたのですが
肉体をまとううちに
ふるさとの
記憶が
うすれて
しまったのです

我々が
天命を完うするというのは
我々自身の天命であると同時に
宇宙神の目ざしておられる
全宇宙の完全平和を目ざすという
宇宙神御自身の
みこころが
わけられ
盛られているのです

世界平和の祈りは
この真理へと
我々を
つなぎ
むすぶ
祈りなのです

あなた方が
この祈り言を
祈るとき
あなた方自身の
本来のいのちの
かがやきが
祈りの光明とともに
照り渡ってゆくので
あります

本当に
朗らかな
いのちが
そこに
あらわれ
この地上は
平和な世界へと
展開してゆき
やがて
死なざるままに
人はみな
霊人として
宇宙の
兄弟たちと
交わり
神の
みこころにしたがって
まかせて生きてゆく
ことに
なるのであります

消えてゆく姿と世界平和の祈りの
光明
この祈りに集われた
霊人たちの
智慧は
私どもを
ゆたかに
朗らかに
導かずには
いないのであります
ともに
世界平和の祈りを
祈って
参りましょう
     平成元年12月26日

本心というふるさとにかえる

2014-11-11 08:22:15 | 祈り
本心と本心が
あいさつをかわして
光が
結ばれる
いのちと
いのちが
こもごもに
祈りを
かわして
神の
光を
あびる

私たちは
そのいのちを
本心を
この身に
おびているのだ

世界人類が平和でありますように
という
祈り言にのって
私たちは
かぎりなく
あたらしくされる

光の進軍
それは
人類の
高く
深い
進化のための
進軍である

宇宙の星々の
兄弟たちが
天使たちが
前後左右から
私たち
一人びとりのいのちを
ささえて
私たちを
宇宙神の
愛の
みふところへと
先立って
案内の
労を
執って下さるのだ

何も
わずらうことはない
何も
おそれることはない
赤児のように
純に
私たちは
私たち自身の奥にある
光を
世界平和の祈りのなかで
つよめて
ゆけば
いい

今こそ
地球は
平和に
なるべき
時が
きたのである
世界平和の祈り言が
宇宙にとよもし
我々一人びとりが
神の器として
用いられる時が
きたのである

ふんわりと
世界平和の祈りの
エレベーターにのって
光をむすび
いのちを
結んでゆこう
祈りの座
本心の座
神の愛へと
かえってゆこう

本心にかえるということは
ふるさとにかえるということです
ふるさとを
おもうことは
神を呼ぶことです


という
言葉のしたわしさ
なつかしさ
幾多の
詩人たちが
あなたへの
愛をうたった
郷愁をうたった
我しらず
人は
あなたをよび
あなたをしたう

神よ
わが愛のふるさとよ
わが愛のゆきつくところ
わがいのちの
いこうところ

私は
しずかに
本心の座へと
歩む
あなたの
愛へと
あゆむ
    平成元年12月26日