宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
(リンクフリー)

続 さやけき生命(1)

2016-08-16 22:39:59 | 祈り
 引っ掛(かか)らず生きてゆくということは
非常にむつかしいんですね。何もうまく
ゆかないとか、どうしたらうまくゆくだろうとか、
そういうことばかり考えるように人間というのは
出来てる。というか、そういう想いの習慣で来て
しまっている。そうですね。ところが、神様の
世界の中では、うまくゆくもゆかないも、
ちゃんともう備わっていて、そのままゆくように
なっているんですよ。人間の方が、
あれやこれや思い悩んで、奥のものを見る
ということがだんだんなくなって来てる。

 そういう習慣をつけるということが、昔は
あったんだけれど、今は少なくなって来た。
 そういうことで、なんかこう静か心という
ものが無くなって来た。静かに自分の
裡(うち)を省(かえり)みるとか、自分という
存在は何だろうというようなことを見つめる
ことが、少なくなって来てるんですね。
 ところが、そういうことが、人間の生命を
養うんです。つまり、祈りというものが人間の
生命を養ってゆく。静かに自分を省みて、
静かに目を閉じてみる。そういう時間が
本当は自分を養ってゆく。

 ところが今世の中はせわしくなっていて、
セカセカ動いている。セカセカ動かないと、
自分が置いて行かれるようなスピードで
皆んなが動いているものだから、自分も
動かないと置いて行かれると感じる。その
繰り返しで、追い付け追い越せですよね。
 ところが、神様の世界というのは、何もしなく
ても必要なものは全部与えてもらえる。
 その代わりに何が一番必要かというと、神様に
向かって素直に神様よろしくお願いしますという
心、それが一番必要なことになる訳です。
               (翌日へ続く)

さやけき生命(11)

2016-08-15 10:57:14 | 祈り
      (前日から続く)
 しかし、人間がスーパーマンで、何でも
出来て、それで人間万才(ばんざい)に終わって
しまったら、本当の科学でもないし、本当の宗教
でもない。
 本当の宗教というのは、神様への謙虚な
畏(おそ)れをもった祈り心というものを基盤
にしてやっていかなきゃいけない。地位を争う
とか、自分の立場や偉大さを顕示するとか、
そんなものはないんですよ。本当は、光と光が
口を利(き)いてるだけなんです。
 人間というのはそういうものなんです。
 そこで、相手に腹立つことも我だし、それに
腹立つ相手も我ですよね。肉体の思いぐせで
色々と出てく感情想念、これらは消えてゆく姿
だと思って、人間の真実の姿に近づいてゆく。
 そのために日々を祈りましょうと申し上げてる
わけです。
         「さやけき生命」前半 了

さやけき生命(10)

2016-08-14 06:16:55 | 祈り
       (前日から続く)
 “永久(とわ)なる生命、祈りて行かん
世界平和”でしょう。つまり、自分が自分がで
行くと、力んで自分が頑張ってやろうとすると、
そこで限られてしまうんです。自分の限界
だとかね。この世の生命が70年80年だろうと、
人間の本当の生命というのは、これはもう
ずっとあるんですから。
 永久なる生命につながるもつながらないも、
我々はずっとつながっているんですからね。
 そのことを思いながら生きて行くとすれば、
自分のなかにある光、神様から来るみ光、
それを自分の生命として宣り出して、世界平和の
祈りを祈り、神様ありがとうございます
と言える。そういう信仰を深くもつことですね。

 しかし、信仰も力まなくていいんです。自分で
やろうとか、頑張って自分がやらねばとか、
そうなると不自由になるんですね。信仰、宗教
というのは、自分を不自由にさせるものではない
のです。自分が自由になる為のものです。自分が
自由自在に動ける為のものですよね。人間は
本来自由自在なんだからね。神様に守られて
支えられて、何でも出来る存在なんだからね。
 我々が五感に感じているこの私自身は、ほんの
一部の働きでしかないんです。あとは氷山
のように隠れているんですが、今、少しずつ
皆んなが知らされて来ていて、科学の力でも
知らされて来る。もう少し経つと、
宇宙子科学など結果が現れて来て、色んなことが
出来て行く。知らされてくる。そういう時代に
なるでしょう。
            (翌日へ続く)

さやけき生命(9)

2016-08-13 09:33:07 | 祈り
       (前日から続く)
 それだけの話ではなくて、神様、今一生懸命
乗り越えています、乗り越えようとしています。
 つまり、持ち場で一生懸命やっていますという
時には、やっぱり光が入って、そこから確実に、
神様というのは、よしこれでいいと思えば、
ちゃんと卒業させて下すって次の場所に行く。
 ところがそこで迷うと、そのぶんだけ遅れて
しまう。そこへしがみつくことになるから遅れて
しまう。もうどうでもいいです、どうにでも
して下さい、と皆んな言うんですが、どうにでも
して下さいと言うのは、ヤケで言っちゃ駄目。
 気持ちを開いて言わなきゃだめね。ヤケだ
というのは自分がまだ残っているからヤケに
なる。神様と一緒になれば、ヤケも何も
無いんですよ。神様が動くのだから、神様が
働くのだから、多少どこかが痛かろうが
苦しかろうが、神様がさせるのだったら文句は
言えない。そういうものなんです、人間
というのはね。

 神様というのは、母親であり父親であり、
親なんですね。親がピタッと寄り添っていて、
それで世界平和の祈りの中に神様が
詰まっていて、神づまりの人間がこっちにも
いてね。我々一人一人の中に神様が
詰まっていて、小宇宙と大宇宙が握手して合体
している。そういうことが本当に思えた時に、
人間は一段階も二段階も上がるんです。

 だから、力んじゃだめ、気負っちゃだめ。
 自分でやれることなんてたかが知れている。
 自分が負わなきゃならないものなんて、たかが
知れている。どんな地位にある人であっても、
その地位をもって、お金をもって死ねるわけじゃ
ないから、そんなもの持って霊界には行けないん
ですよ。裸で生まれて裸で死ぬ。その時に、
神様の愛だけをもって向こうへ行けばいい。
 それだけをもって行けば、ものすごく楽ですよ、
ということを私は教えて来たんですね。
              (翌日へ続く)

さやけき生命(8)

2016-08-12 09:09:30 | 祈り
       (前日から続く)
 だから皆さん方はその先兵(せんぺい)
であると同時に、そのことを通して魂が
澄まされて行く。そして自分自身が朗らかに
なって、天の心を私の心とするようになる。
 その天心というものが自分の中にあるんだ
と思って祈っていく時に、あなた方の天命
というものが、一歩ずつ深くなって、一歩ずつ
開いていく。時に応じてそれは本当に大きく
深くなってゆく。最初は一歩一歩でいいんです。

 無茶な目標をかかげすぎると、出来ない自分に
うんざりしたりしますから、限定をしないこと。
 自分に限定の枠を設けてしまうと、そこから
どうにもならなくなる。その枠の中でしか
動けなくなるんです。ところが、神様の枠
というのは無限大ですから、枠というものが
ありませんからね。
          (翌日へ続く)