マネジメントは嫌いですけど
関谷雅宏
技術評論社
というわけでビジネス本である。と言っても関谷雅宏って誰やねん? 奥付の著者紹介をみても、ソフトウェアやミドルウェアの開発会社の管理職や役員を歴任してきてきた技術職畑の人くらいしかわからない。著者のXのアカウントが掲載されていたので覗いてみたが個人的趣味爆裂のアカウントでもっとよくわからない(笑)
ビジネス書は日々新刊が発表される。これもありがちな量産本のひとつかと思ったけれど、書店でパラパラしてみたら
・表紙を開いて1ページ目の本扉を見ると、左下にサブタイトルのように「人を動かす」では得られない答えがある、と書いてあった。カーネギーの古典三部作にケンカを売っているところに興味を持った。
・めずらしい横書き右開きであった。最近では「まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書 」が横書き右開きだったので、それを彷彿させた。
・出版元が技術評論社。この出版社はたまにエッジの効いた変に面白い本を出す。
という点が気に入ったので買ってみることにした。前回の投稿でも言ったように、僕もちょっとスランプ気味で、いろいろな観点にあたってみたいという気持ちもあった。
さて。読んでみての感想としては、まあそんなところかなという感じも多かったが、とは言えしっかり言語化してくれてもやもやしていたものが明確になったのも事実だ。本書は技術職やIT業界を踏まえての書き方が主なのでそうでない業界の自分としては隔靴掻痒なところもあったが、だからこその『 「マネジメント」とは「仮説」と「計測」を繰り返す「技術(あるいは機能)」でしかない』と突き放した姿勢はなんか心が洗われたような気がする。
「人を動かす」では得られない答えがある、というのは、単なる挑戦的な惹句なのではなかった。著者の主張によれば「人を動かすことに長けるマネジメント」とは「交渉力で問題を解決するマネジメント」であり、それすなわち「現在起こっている問題を現在用意できそうなリソースでなんとか解決しようとするマネジメント」ということになる、というロジックなのだ。これはけっきょく「全体的に短期的な目的を、手元にある資源を使いこなして達成するマネジメント」になってしまい、「未来に向かうマネジメントを行う余裕がなくなる」と主張するのである。
著者にとってマネジメントは「未来から逆算して考える」ものであり、マネジメントとは「現実に変化を起こす」ことであり、その判断は「仮説と計測」に尽きるもので「正解はない」ということであった。つまり、常になにかトライ&エラーをしながら、組織の体質改善を図り続けることがマネジメントであり、コトが勃発するたびにその交渉力でなんとかリソースを確保して解決していくのはマネジメントではない、ということになる。この両者は何がちがうかというと、前者が「成長」と「持続可能性」をマネジメントの目的に内包させているのに対し、後者はあくまで都度都度の対症療法でしかない、ということである。その違いは組織構成員(要は部下)の成長やモチベーションとか、その組織が出すアウトプットの向上というものに違いとなって現れてくる。
そうかー カーネギーの「人を動かす」は僕も一目置いていたのだが、本書の指摘もなるほど、という気がする。人が自分の意図どおりに動いてくれたりするとマネジメント冥利の感慨もあってついついそこに腐心してしまうが、それはやがて「短期的な目標に対しての問題解決型」マネジメントに終始してしまい、組織の成長や持続可能性といった観点が後背に追いやられてしまう。対症療法的な綱渡りを続けているうちに致命的なクライシスを迎えつつあることに気づかなったりするのだ。このあたり「世界はシステムで動く」の第1のフィードバックと第2のフィードバックの話にもちょっと通じる。
とはいっても、日々の業務の中で、人を動かさなければならないのはマネジメントとして避けられないことなので、ここは極論に振るのではなく、「人を動かして目の前の問題の解決をはかる」ことと「未来のために現在の仕組みを変え続ける」ことの両方をアウフヘーベンさせなければならないのだろう。
一方で、本書はかようなマネジメントは、所詮は「技術」であって「機能」である、とする。こと中間管理職の立場としては、それは経営など上層部から任命と指名において「させられている」ものであって、要は仕事としてわりきっていいのだ、とする。具体的には
・うまくいくうまくいかないは大雑把に50%の確率
・仕事は頼んだほうにも責任がある
・今現在ないものをつくるのだから、失敗しても今より悪くはならない
・誰かがやらなければならないから任命されたのであって、実績があるから任されたのではない
・結局、後から振り返れば「できることはできている」し、「できないことはできてない」
と吹っ切れている。見事なものだ。ついでに言うと我々がいつも苦しむ示達予算というものについても、「予算」というのは「押し付けられた不快なもの」だが「会社全体が生き残るための金なのだ」として、誰しも「今は採算がとれなくても、いずれ莫大な利益を生む」という言い草は会社の日常なのだから、「予算」がふってくるのは仕方がないのだ、というのは変に浪花節の説得力がある。本書ではむしろ「財務や経理がどんな理屈や力関係で予算をつくっているかを知っておくほうがいい」と諭している。
というわけでそれなりに面白い本であった。著者の矜持が垣間見えたところとしては「私はマネージャーの責任の中には会社が潰れたときにも食べていけるようにしてあげること」というくだりである。こういう上司に恵まれた部下は幸いであろう。