読書の記録

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谷川俊太郎氏 逝去

2024年11月21日 | その他

谷川俊太郎氏 逝去



 本当に「詩」で食っていけている人はこの日本では絶対的に少ないはずだが、谷川俊太郎氏はその中のひとりだっただろう。彼の訃報に際し、SNS上ではめいめいがお気に入りの氏の詩を上げながらお悔やみの投稿をしていた。


 若き日のデビュー作「二十億光年の孤独」は今から70年も前に発表されたものだが、現在読んでも心に迫るものがある。デビュー作がこれでは、ピークアウトが早すぎてしまやしないかと思うくらいだが、その後も彼の詩は世間に愛され続けてきた。


 僕は13才のときに、東京都内にある某私立中学校を受験した。国語で出題されていたのが谷川俊太郎の「朝のリレー」だった。受験本番の入試問題という非常事態にも関わらず、この「朝のリレー」のあまりにも清廉さに僕は心を奪われてしまった。谷川俊太郎の名前は知っていた。小学6年生の国語の教科書にも出ていたし(「りんごへの固執」だったと思う)、あとで書くけど僕にはおなじみの名前だった。


 だけど「朝のリレー」は、そのときが初読だった。カムチャッカの・・で始まって次々とメキシコ、ニューヨーク、ローマとつながっていく言葉のマジックは、純粋な13才の僕の心をノックアウトしたのである。40年前の話なのにしっかりと覚えている。

 にもかかわらず、というべきか、それゆえにというべきか、僕はこの中学校の受験に落ちてしまった。


 だけれど、僕はこの「朝のリレー」と出会うためにこの中学校を受験したのだ、とずっと思っている。

 この「朝のリレー」は、その後テレビのCMなどにも使われて谷川俊太郎の代表作になった。彼の作品の中でも特に抒情性と優しさに富んだ詩である。


 しかし、なんといっても僕にとって谷川俊太郎といえば「スヌーピーの翻訳者」だ。スヌーピーやチャーリーブラウンでおなじみのコミック「ピーナッツ」を50年にわたって我が日本にて翻訳してきたのは彼である。そのことは「スヌーピーたちのアメリカ」という本を紹介したときに克明に書いた。ピーナッツのマンガを初めて手にしたのが僕が小学校4年生のときなので、私立中学の入試問題よりも小学6年生の教科書よりも、僕は翻訳家として谷川俊太郎の名前を知ったのだった。日本において、ピーナッツの翻訳が単なる英文翻訳家でも児童向け翻訳家でもなく、詩人の谷川俊太郎であったことは日本にとってまことに奇蹟的幸運だったと本当に思う。


 晩年の彼の講演を聞いたことがある。千葉県にある美術館で行われたイベントだった。自作の詩を朗読した。既にご高齢だったからあまり声の張りはなかったが、いやいやと照れながら朗誦する姿を見ながら、目で追う詩と耳で聞く詩はぜんぜん別物なのだと強く思った。楽譜を見るのと実際に音で聞くのの違いくらいーーというと大げさすぎるが、台本を読むのと実際の舞台を見るものくらいの違いはあったような気がする。谷川俊太郎の詩は音なんだなと思った。ご冥福を祈る。


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